第354話 「げぼ」

 なるほど。魚にはⅮHA(ドコサヘキサエン酸)みたいな有用成分が多く含まれていると、何かの番組でやっていたな。

 血行が促進されて美容効果があるらしい。頭も良くなると聞いたこともある。

 真偽はどうなんだろう。


 「もう一つは何ですか。ぜひ教えて頂けませんか」


 「うーん、ご領主様のお嫁さんだから、特別に言っちゃおうか。でも秘密だよ」


 「はい。必ず秘密は守りますわ」


 おぉ、とうとう秘密をバラしちゃうのか。

 今、目の前にいる母娘は、毛むくじゃらの狐に変ってしまうのか。本当に良いのか。

 お山に帰らなくては、いけなくなるんだぞ。


 「それは、真珠なのさ。真珠の粉を、白粉(おしろい)に混ぜているんだよ。真珠の粉を混ぜると、肌の輝きが違うんだ」


 「はっ、お二人の若々しい肌は、真珠の効果だったんですね。でも、真珠って、ものすごく高価なものですわ」


 「そうなんだけど。あたいらは、貝から取れたクズ真珠を砕いて使ってんだ。だから、タダなんだよ」


 「あの、その。その真珠の粉を、分けて頂くわけにいかないですか」


 「うーん、少ないからな。余分がないんだ。それにお嬢様は、まだ随分とお若いから、こんな粉に頼ったらいけないよ。魚をたんと食べたら、充分美しくなるさ。ご領主様よ、そうだろう」


 「ぐっふ、げぼ」


 ゴグギャー、急に話を振るなよ。喉にスルメが引っかかって、死にそうになったじゃないか。


 「〈タロ〉様、大丈夫ですか」


 〈アコ〉が、心配して背中をさすってくれる。何とか死ななくて済んだ。


 「〈アコ〉、ありがとう。もう大丈夫だよ」


 「ほっほっ、ご領主様、さっきの返事は「ぐっふ」なのか、「げぼ」なのか、どっちなんだ」


 「ふっふっ、あたいは「げぼ」だと思うな」


 こいつら、僕をからかってやがる。領主を舐め過ぎなんじゃないのか。

 それとも、男を舐めているのか。舐められても仕方がないか。船長に、農長が常連だもの。

 前に〈クサィン〉とも、何かあったようだしな。


 「何言ってんだ、違うぞ。〈アコ〉は。うーん、〈アコ〉って言うと混乱するか。僕の嫁になる〈アコーセン〉は、今でも王国一美しいぞ」


 「おほっほっ、良く言いなさった」


 「ふーふっふっ、ご領主様は、言う時は言いなさるね。良い男だね」


 〈アコ〉は、僕の肘を掴んで真っ赤になっている。言った僕も顔が熱い。

 許嫁を人前で褒めたのは、初めてなんだ。顔が真っ赤なんだろう。


 僕達は、恥ずかしくなったので、逃げるように店を出た。

 店の扉を閉めるまで、妖狐母娘の甲高い笑い声が聞こえていた。どうして笑われるんだろう。

 領主の権威が形無しだよ。嫌になるな。


 僕は、少し落ち込んで暗くなった通りを、考えながら歩いている。

 〈アコ〉も何も話さないで、僕の肘を両手で掴んだまま歩いている。


 夜になりかけのこの時間も、《ラング》の町は活動を止めていない。

 僕達の反対側からも、追い越していく人も、大勢が行きかっていた。

 すれ違う時は、僕達に微笑みながら、会釈もしてくれる。

 町の人達の様子が、僕の気持ちを良い方向に変えてくれたらしい。

 落ち込んだ気持ちが戻って、前向きな気持ちを取り戻したと思う。


 「〈アコ〉、ごめん。人前で「王国一美しい」は言い過ぎだったかな」


 「〈タロ〉様は、言い過ぎだと思うのですか」


 「うーん、そうは思わないけど。〈アコ〉が、とても恥ずかしそうだったから、人前では言わない方が良いかと思ったんだよ」


 「ふぅ、私の方が悪いと思いますわ」


 「えぇ、〈アコ〉は何もしてないじゃないか」


 「はい。私は何も返せませんでした。何もしなかったのが、悪いと思うのです」


 「どうして」


 「〈タロ〉様に「王国一美しい」と言われたのは、とても嬉しいことなんです。人前で言って貰えて、誇らしい気持になりました。それなのに私は、恥ずかしいのが優(まさ)って、固まったままでした。それが悔しいのですわ」


 「悔しいの」


 「そうです。悔しいのですわ。今も私は、どうしたら良かったのか考えています。でも、結論は出ないのです。〈タロ〉様は、私にどうして欲しかったのですか」


 「うーん、そうだな。ニッコリ笑って欲しかったかな」


 「そうですか。それはそうかも知れませんね。でもですよ。あそこで私が笑ったら、自分のことを美人と思っているようで、とても出来ないですわ」


 「そうなの。美人だから良いじゃないか」


 「ふぅ、〈タロ〉様。私はそれほど美人じゃないですわ。前にも聞きましたが、どうしてそう思うのですか」


 「どうしてって言われてもな。感覚だからな。そうだ、〈アコ〉は僕の身内だから、特別なんだよ」


 「身内ですか」


 「良く分からないけど。身内だから、贔屓(ひいき)しているんじゃないかな」


 「私を贔屓されているんですか」


 「僕の嫁になるんだから、当然贔屓しているよ。〈アコ〉は違うの」


 「私は。そうですね。贔屓ではないと思います。〈タロ〉様は私にとって、とても特別な人です。でもそれは、贔屓とは違います」


 「そうなのか。難しいことなんだな」

 

 「うーん、難しいですか。私の思いは、単純のような気がします。世間でも、良くある話だと思いますわ」

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