第353話 ろくでもない男

 僕は〈クルス〉に長いキスをした後、もう帰ることにした。

 〈クルス〉の家の人達と顔を合わせるのは、少し気恥ずかしい。

 それにこの家で、〈クルス〉だけと過ごすのが、大切だと思ったんだ。

 〈クルス〉が一人で過ごしていたこの家で、僕と二人で過ごしたことが、〈クルス〉の何かを埋められたらと思う。


 昔、〈クルス〉が、この家で考えたことは「ろくなことじゃなかった」と話していた。

 今、〈クルス〉が、この家で考えたことは「ろくでもない男」のことだと思う。

 「ろくでもない男」の方が、少しだけマシなんじゃないかな。


 僕と〈クルス〉は、家族になるのだから。


 〈クルス〉が、「ろくでもない男」を躾しつけして、「少し改善した、ろくでもない男」に出来るかも知れない。

 可能性は、残されているはずだ。ないかな。わんわん。


 「〈クルス〉、それじゃ帰るよ。またね」


 「〈タロ〉様、お気をつけてお帰りください。それと、これはタルトの残りです。〈タロ〉様のために作りましたから、〈タロ〉様に食べて欲しいのです」


 「ありがとう、〈クルス〉。僕が全部食べるよ」


 「うふふ、お試しの新妻からのおねだりです」





 夕方になったら、〈アコ〉が僕の部屋を訪ねてきた。新町へ僕を、引っ張って行くためだ。

 僕は咎人とがびとのように、ヘコヘコと〈アコ〉に連行されて行く。

 なんでだろう。


 「〈タロ〉様、早く。出入り禁止のお店に連れて行ってください」


 言ってることがおかしいだろう。出禁なのに連れて行けとは。

 それでは、出禁とは言えないじゃないのかな。

 それに出禁にしたのは、おっかあで、僕はされていない。


 「うん。でも、そこは出禁じゃないよ。それに、若者に危険性はないから、勘違いしているよ」


 「ふん、行けば分かりますわ」


 まあ、それはそうだな。大人しく行って、スルメでも食べよう。


 「〈タロ〉様、ここですね。《美しい肴の店》、いやらしい名前です」


 いやー、そこまで、いやらしくないと思うけどな。

 まだ夕方なので、店には、お客はいなかった。店を開けたばかりなんだろう。


 「いらっしゃいませ」


 仕込みの手を止めて、《入り江の姉御》と母親の妖狐母娘が、声をかけてきた。


 「あっ、〈アコータ〉さんと、〈クルスー〉さんなの」


 「ご領主様、またおいでくださったんだね。ありがただね。許嫁のお嬢様も、良く来てくださった」


 「ご領主様は、あたいに会いに来たんじゃないのか。許嫁さんと逢引きか。逢引きに、うちの店を選ぶたぁ、良い趣味してなさるよ」


 〈アコ〉は、まだ茫然としている。店へ入ってからの展開が、予想とは全然違ったのだろう。


 「ははは、美味しいスルメが、また食べたくてね」


 「ふっふっ、匂いも濃いし、しゃぶると、味がジュクジュクと染み出てくるだろう」


 いやー、何をしゃぶっている表現なんだろう。スルメじゃないよな。


 「許嫁のお嬢様は、何になさる」


 「はっ。はい。〈タロ〉様と同じものをお願いしますわ」


 「はいよ。熱めのお酒とスメルが、二人前だぁ。大急ぎで支度するよ」


 「〈タロ〉様、知ってたなら、教えてくださいよ。そしたら、こんなに心配しませんわ」


 〈アコ〉は、《入り江の姉御》と母親と分かって、ホッとしたようだ。

 それはそうだろう。年が違い過ぎるもの。母親と祖母の年齢だからな。


 心配がなくなったせいだろう。お酒をおちょぼ口で飲んで、スルメをチビチビとかじり出した。


 「あっ、〈タロ〉様の言ってた、とおりですね。肴は、本当に美味しいです。このスメル、絶品のお味ですわ」


 「ほっほっ、嬉しいことを言ってくださるね」


 「そうだろう。うちのスメルは、そんじゃそこらものと、鮮度と手間が違っているのさ」


 「まったく、そのとおりですわ。だから、お店の名前が、《美しい肴》なんですね」


 「ふっふっ、ちょっぴり、すかし過ぎたかな。でも、お嬢様ご名答だよ。良く当てなすったな。違う意味に取る男が多いんだ。まあ、店で金を落しゃなんでも良いんだけどな」


 そうだな。船長みたいな、ゲスが中年には多いよな。

 でも、〈アコ〉も入り口で同じ様なことを言ってたな。〈アコ〉もゲスなのか。

 ゲスって言うより、下衆げすの勘繰かんぐりなんだろう。


 「うふふ、そうなんですか。お二人とも、お美しいですからね」


 へぇー、褒めるんだ。店の様子が分かったので、余裕をかましているのか。

 それとも、「いやらしい」と言った、お詫びなんだろうか。


 「ふっふっ、年寄りをからかっちゃ困るね」


 おー、自分では、一応年寄りと思っているのか。

 今は、だまくらかす相手がいないので、正体を隠す気がないのだろう。

 隠そうとすると、魔力を消費するので、今はエコ運転をしているんだろう。


 「ふっふっ、おなごから褒められると、何だかくすぐったいね」


 「その美しさを、保つ秘訣ひけつはなんですか」


 うーん、それは教えてくれるわけがない。秘伝の術や薬を、他人に伝えるはずがない。

 妖狐とバレたら、人間社会で生活出来なくなってしまうんだぞ。


 「秘訣ね。それは魚を食べることさ。もう一つは、どうしようかな」

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