第304話 腰に片手を当てて
僕は、〈クルス〉を抱いている手に力を込めて、おでこに「ちゅっ」とキスをした。
「心配しないで、〈クルス〉。僕はちゃんと〈クルス〉が好きだよ。僕に一番必要な女性だと思っているよ」
それから〈クルス〉は、僕の胸に長い時間顔を埋めていた。手も僕の背中に、回している。
〈クルス〉が、何を思っているのかは、僕には全く想像も出来ない。
僕に出来ることは、その間〈クルス〉の髪を撫ぜることだけだった。
〈クルス〉の髪は、艶やかで細くて滑らかだ。
いくら僕がすくっても、指の間からすり抜けてしまう。
でも、僕は諦めずにすくい続けようと思った。それが、〈クルス〉への答えだと思う。
しばらくして、〈クルス〉は何を思ったのか、僕の首筋を「カリッ」と噛んだ。
「いっ、痛いよ。〈クルス〉」
「ふふふ、私も〈タロ〉様に、印をつけました。それと、〈タロ〉様を堪能しましたよ。おあいこですね」
「はははっ。良く分からないけど、〈クルス〉が笑って良かったよ」
「ふふっ、〈タロ〉様に私の気持ちが、分かられて堪まるものですか」
僕達は、《緑農学苑》の外縁を一周して、付属農場に併設された売店へ寄ってみた。
売店は、《緑農学苑》で生産された、様々な農産物を販売しているようだ。
直売所だから、値段が安いのだろう。ここへの馬車の定期便もあるらしい。
夕方近くの今も、初老のご夫人が数人、熱心に野菜の品定めをしている。
売店の店員は、若い女性だ。たぶん、学舎生の実習の一環なんだと思う。
メモを見ながら、明るく元気な声を張り上げている。まだ覚えきれていないのだろう。
僕は、搾りたての牛乳を飲んだ。腰に片手を当てて、背筋も真直ぐ立ててだ。
ここの牛乳は、殺菌処理が施されていない。直ぐそこの農場から持ってきた、搾りたての牛乳だ。
さらっとしているが、吃驚するほどクリーミーだった。風味も甘さも際立っている。
「〈タロ〉様、ここの牛乳は、とても美味しいです。また、ここに来たいですね」
「そうだな。また来たいな。僕もこの牛乳が気に入ったよ」
「〈タロ〉様、一つ疑問があるのですが、聞いてもいいですか」
「何だよ。言ってご覧よ」
「牛乳を飲む時、腰に手を当てるのは、どうしてなのですか」
「あぁ、あれね。あれは、《ラング》伯爵家の伝統だよ。牛乳の栄養を、出来る限り直に胃腸へ入れて、素早く吸収しようとしているんだよ。効果は不明だけどな」
「ふふ、《ラング》伯爵家の伝統なのですね。それでは、私も伝えていかなければなりませんね」
ごめん、〈クルス〉。伝統いうのは嘘なんだ。今僕が、思いつきで、でっち上げただけなんだ。
でも、《ラング伯爵》家に、今は僕しかいない。
だから、〈クルス〉が子供に伝えてくれたら、それはもう伝統なんだと思う。
「ぜひ、そうして欲しい。風呂上りなら最高だな」
僕と〈クルス〉は、残りの牛乳を、腰に手を当てて一気に飲んだ。
その後、二人で笑いあった。初老のご夫人が、こっちを見ていたが、訝しげだったと思う。
牛乳の瓶を返す時も、売店を冷やかす時も、〈クルス〉は僕の腕に、ずっと絡みついて離れない。
初老のご夫人が、こちらを見ていても、おっぱいを押し付けたまま、平気で僕に笑いかけていた。
心から楽しそうに、笑っていたように思う。
腕を絡めるのは、〈アコ〉の母親に何か言われたのかも知れない。
ただ、少し前まで深刻そうな顔をしていたのに、変わり身が早すぎる気もする。
女心と秋の空って言うヤツかな。心が勝手に、クルクルと翻ってしまうのだろう。
翻るのは、スカートの方が良いのにな。
それに良く考えたら、さっきの「分かられて堪まるものですか」は、結構キツイ言い方だよな。
僕には、分かるはずがないってことだよな。
男と女の違いなのか。真面目な〈クルス〉と、ちゃらんぽらんな僕の違いなのか。
お堅い〈クルス〉と、エッチな僕との違いかも知れない。
〈クルス〉の中で、何かが変わったのも間違いないと思う。
少女から、女に変ったのか。許嫁から、恋人に変ったのか。
それとも、精神的な部分で、一人で生きることから、僕と共に生きることを決めたのか。
僕には良く分からないけど、〈クルス〉にとっては、人生を揺るがす大きな変化なんだろう。
受け入れがたいことでも、あるのかも知れない。
でも僕は、分からないなりに、これからも離れずに〈クルス〉と進んで行こうと思っている。
今、二人で馬に乗って進んでいるように。
馬は鞍だけど、人生は一緒の家で。必ず喜びに包まれた人生にしたいと思っている。
ベッドの上で、〈クルス〉を僕に跨らせて、喜びに包まれた頂を迎えたいとも思う。
それも二人一緒にだ。
タイミングを合わせるための、練習が何度も必要になると思う。
それには、〈クルス〉の身体を隅々まで、分かってなくてはいけないな。
反応も深く分かってなければならない。
そのためにも、もっとおっぱいやお尻を揉む必要があるな。
これもあれも、喜びに包まれた人生のためなんだ。絶対必要条件なんだ。
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