第300話 母校の《緑農学苑》

 僕は、〈アコ〉を引き寄せ、栗色の髪をそっと撫ぜた。フアフアの髪が愛おしい。


 「あぁ、そうでした、髪を撫でて貰ったのですね。あの時も、胸がキュンとして、ドキドキが止まらなかったの。思い出したら、〈タロ〉様、私胸が苦しいの。もっと、強く抱きしめてください」


 僕は、〈アコ〉を思いきり抱きしめた。ただ、これじゃ反って、もっと胸が苦しくなるかな。

 〈アコ〉の大きな胸が、ひしゃげてしまっている。


 「〈アコ〉、胸は苦しくないか」


 「〈タロ〉様の腕に抱かれたら、少し収まりましたわ。でも、まだ苦しいから、私を離しちゃダメですよ」


 「まだ苦しいの。大丈夫」


 「うぅ、〈タロ〉様が、初めに髪を撫ぜたのを覚えていてくれたのが、嬉しいのですわ。心が震えるほど嬉しいの。私、泣きそうです」


 「えっ、泣かないでよ」


 「〈タロ〉様、むり」


 ひゃー、〈アコ〉を泣かせたら、〈アコ〉の母親に怒られないかな。

 〈アコ〉は、僕の胸に顔を埋めて、声を出さずに泣いているようだ。

 今僕に出来るのは、〈アコ〉の髪を撫で続けることだけだ。早く泣き止んでくれないかな。


 晩秋の西宮の庭は、木々が黄色と赤色の葉をまとい、冬の到来に備えている。

 人間の目には綺麗な景色だが、木々は老廃物を切り離しただけだ。

 でも、それがいつか養分となって、どこかの木を育てるのだろう。


 僕達が抱き合っている横を、老夫婦がゆっくり通り過ぎていく。

 僕達を見て、会釈をされたので、僕だけ会釈を返しておいた。

 老夫婦は、二人とも微笑んでいたと思う。過ぎし日の自分達に、微笑んだのかも知れない。


 でもこの状況は、誤解されないだろうか。

 何か酷いことをして、僕が〈アコ〉を泣かしたみたいにも見える。

 奴隷の方は断ったし、髪を撫ぜただけなのに、どうしてなんだ。


 「〈タロ〉様、ごめんなさい。もう落ち着きましたわ」


 「良かった。もう大丈夫なの」


 「えぇ、少し感傷的になりましたわ。あの頃の、不安な気持ちを思い出したのです。でも今は。私の隣には、〈タロ〉様がいてくれますわ」


 〈アコ〉は、「うふふ」と笑いながら、僕の目を見ている。

 僕は〈アコ〉にキスをして、もう一度髪を撫ぜた。

 〈アコ〉のフアフアの髪が、僕の手に絡みついて、少しの間くすぐってきた。


 〈アコ〉の母親は、〈アコ〉の顔を見て、一瞬「ほぉ」って顔になっていた。

 でも、何も言わないで〈アコ〉を胸に抱き寄せた。

 やっぱり、母娘なんだな。口喧嘩ばかりじゃないんだな。

 大きなおっぱい同士が、互いに潰しあっている。



 〈アコ〉は、母親と話をするために、西宮に残った。つもる話があるのだろう。

 午後からは、〈クルス〉と二人切りだ。何をして過ごそうかな。


 昼食は、〈南国果物店〉で賄い飯を分けて貰った。

 おかずは、塩着魚と干物で、主食はパンだ。このおかずなら、ご飯が欲しいところだな。

 塩辛いのと白米は、相性がピッタリだと思う。

 塩着魚と干物は、試供品的に置いていったらしい。まだ沢山あって、ご近所にも配ったようだ。

 味は問題ないのだから、口コミでドンドン広がっていって欲しい。


 「〈クルス〉、どこか行きたい所がある」


 「〈タロ〉様の行きたいところで良いです」


 うーん、そう言われても。僕は、〈クルス〉と一緒ならどこでも良いからな。

 〈クルス〉とイチャイチャするのが、希望だからな。

 でも、人目に触れない場所が良いとは言えないな。下心がバレバレで、さすがに恥ずかしいや。


 「いや。〈クルス〉の希望で良いんだよ。何でも良いから言ってご覧よ」


 「うーん、そうですか。特にないのですが。どうしてもと言われたら、緑ですね」


 「緑。緑ってなんだ」


 「それは、具体的ではないのですが。樹木とか草原のことです。王都は都会なので、《ラング領》みたいに緑が多い風景が、少し恋しくなったのです。周りが石ばかりなので、緑色が懐かしい気がします」


 「そうか。そうだよな。僕も、その気持ちが分かるよ。でも、どこへ行けば良いのかな」


 〈リーツア〉さん達、〈南国果物店〉の従業員に聞いたら、〈テラーア〉が、母校の《緑農学苑》が良いと教えてくれた。


 《緑農学苑》は、王都である《アルプ》の町の城壁に、へばりつくように造られているようだ。

 学舎の一つだけど、付属の農場が必要だから、城壁の中には造れなかったんだろう。

 首都の中に、農場は無理だ。都市開発的に、大きく間違っている。

 《緑農学苑》は、牧場も林も大きな畑もあるし、野外公園的なものもあるらしい。


 とにかく、建物と家畜以外は、緑色しかないらしい。

 〈テラーア〉は、少し忌々しそうに「緑しか」と言った。

 《緑農学苑》で、良い思い出でがないのかな。

 他の学舎生から、「緑しかない」と言われるのかも知れないな。ありそうなことだ。


 問題は、どうやって行くかだ。遠いから歩きは論外だ。

 馬車しかないと思っていたが、一番良いのは馬らしい。

 野外公園は広大だから、公園に着いた後の移動に困るみたいだ。

 住宅地にあるような公園じゃなくて、景勝地にある自然公園みたいなものなんだな。

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