第298話 手は抜きません

 「はい。注目してください。先生の顔を見てください。下ばかり見てはいけません。今日は、海賊を退治するつもりで、勇敢な演奏を心がけてください」


 〈ヨヨ〉先生の服のせいで、生徒は下の方を見ているんじゃないのかな。

 僕だけでも、先生の顔を見よう。

 生徒に太ももをまじまじと見られて、上気している先生の顔は、とても官能的だ。

 菩薩なのか、妖魔なのか。


 それでも、生徒はそれぞれの楽器を奏で始めた。

 先生に惑わされながらも、さすがは「楽奏科」の授業を、選択しただけのことはある。

 〈ヨヨ〉先生は、短い裾を気にしながら、「ぅふん、勇敢な音です」「はぁん、勇気ある演奏です」と、生徒の間を歩いている。

 「勇敢な音」「勇気ある演奏」の意図する意味は不明だ。

 先生の中では、確固たる信念があるのだろう。

 先生が、その場の気分で言っているんじゃないと思うな。


 おっ、いよいよ僕の横を通るぞ。


 「あはぁ、〈タロ〉君は軍のお偉いさんなのですね。先生、ちっとも知らなかったわ。〈タロ〉君は、秘密を一杯持っているのね。先生は秘密が大好きです。〈ヨヨ〉も、はぁん、小さな秘密があるのですよ」


 先生は何が言いたいのだろう。僕は何と答えれば良いのだろう。


 確かなのは、先生の秘密を知れば、ただでは済まないことだけだ。

 下半身が大やけどをおうだろう。

 それでも、秘密を知りたいと強く思わせるのが、〈ヨヨ〉先生の魔力だと思う。

 太ももの奥に、魔力の元となる、未知なる器官があるのだろう。


 「偉くはないですよ。僕は〈ヨヨ〉先生の教え子です。これからも、ご指導をよろしくお願いします。秘密も持っていません。警戒しないでください」


 「うふん、当たり前です。〈タロ〉君の指導に手は抜きませんよ。あはん、でも警戒はしちゃいます。〈タロ〉君は〈ヨヨ〉を見る時、他の生徒と違うところを見ているんですもの」


 先生は僕の太ももに、手を置きながら話している。

 手を微妙に動かしているのが、すごく気持ちが良い。なんて、すごいテクニックなんだ。

 「手は抜きません」と言っておきながら、もう抜かれそうだ。


 でも、怖いな。先生は生徒が、自分のどこを見るのかを、常にコントロールしているんだな。

 何のためかは、知らないけど。精気でも集めているんだろうか。眷属にしようとしているのか。


 僕は警戒されているんだな。背筋がゾクゾクする。

 先生が太ももを、ずっと触っているせいだけでもない。

 未知のものに対する、根源的な恐れだと思う。憧れかも知れない。


 僕は、先生にいずれ精気を抜かれるかも知れない。ひょっとしたら、生贄にされるかも知れない。

 でも後生だから、喜びのうちに極楽へ送って欲しいです。

 苦痛が快感に変わるまで、延々とじらして、もてあそばないでください。お願いします。


 今日も、夕方から館で、溜まっている執務をこなすことになっている。

 その前に〈南国果物店〉で、冬に売る果物の相談を行った。


 でも、蜜柑と決まっているので、単なる確認だ。

 〈リーツア〉さんの目論見によると、この冬は大商いが期待出来るらしい。

 〈リーツア〉さんは、ニタリと不敵にわらっているけど、話半分に聞いておこう。

 往々にして、期待は裏切られるものと相場が決まっている。


 それと、檸檬は思っていた以上に売れたようだ。今も売れ続けているらしい。

 そのうち、蜜柑の収益を超える勢いと言っていた。王都の住人は、柑橘系が好みなんだな。

 重苦しい石造りの街は、爽やかなビタミンを求めているのだろう。

 それもあっての、〈リーツア〉さんの自信なんだろう。

 ただ、マンゴーは振るわなかったみたい。全てが上手くいくはずもない。外れもあるさ。

 マンゴーの語感が悪かったのかな。


 秘書役の〈ソラィウ〉が、嬉々として書類を山積にしてくる。


 コイツは、いじめっ子か。僕を虐めて楽しいらしい。人格が歪んでいるんだろう。

 あそこも、曲がっているんだろう。僕もそうだ。溜息しか出ないよ。


 「ご領主様、塩着魚と干物の一号店が、赤灯通りの鱈腹町に開店しました。出だしは、そこそこと言うことです」


 そうか、食べ物屋の感触を掴みたいのなら、あの町が一番なんだろう。

 店舗は、〈リーツア〉さんの紹介かも知れないな。


 「そうか。そこそこか。地道にやるしかないな」


 「そうですね。あまり馴染みのない食材ですから、結果が出るのは少し時間がかかると思います」


 その後も、僕は夜遅くまで働いた。書類の量はそこそこじゃなかった。


 〈アコ〉の母親が、西宮を訪ねてくれと五月蠅いらしい。

 〈アコ〉が根負けして、僕に訪問を頼んできた。

 〈アコ〉の母親とは、しばらく会っていないので、久しぶりに訪ねてみよう。

 大切な休養日の時間が削られるが、未来の姑との関係も大切にしたい。


 「〈タロ〉様、ご無沙汰しております。《ラング領》では、大変お世話になり、ありがとうございました」


 「いえいえ。〈ハル〉様、こちらこそ、顔を見せるのが遅くなり申しわけありません。今日はお会い出来て嬉しいです」


 〈クルス〉も〈アコ〉の母親と、にこやかに挨拶を交わしている。

 自分達も、母親どうしも友達だから、相当親密だ。叔母さんと姪っ子って、いう感じだな。

 お茶と焼き菓子を用意してくれたので、四人で少し茶会をすることになった。

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