第280話 一家団らん
「きゃー、〈タロ〉様、今直ぐ扉を閉めて。そんなの見たらダメです」
「もー。油断も隙もありませんわ。いやらしい」
微笑ましいと思っていただけなのに、こんな風に言われるなんて、酷いな。
僕のことを、変態だと思っているのか。今股間を見たら、少しポロリとはみ出しそうだったけど。
「分かったよ。今直ぐ閉めるよ」
「〈タロ〉様、着替えはここに置いておきますので、早く着替えてください」
〈クルス〉が、少しぷんぷんした感じで、着替えを持ってきてくれた。
着替え終わったら、〈アコ〉が「ここに座ってください。髪を梳いてあげますわ」と言って、ブラシを手に持っている。
「えっ、梳かなくても良いよ。寝癖を水で直すだけで十分だよ」
「何言っているのですか。それで良いはずありません。冗談じゃありませんわ」
〈アコ〉も、少しぷんぷんした感じだけど、丁寧に髪を梳いてくれた。
もう結婚したみたいな。二人がもう僕の夫人になっているみたいで、またくすぐったい気持ちに襲われる。
不快な感じではないけれど、何だか身体がムズムズしてくる。
「〈タロ〉様、朝食を食べに行きましょう。お披露目の前に、礼服とドレスに着替える必要がありますので、時間がないのですわ」
「急き立てるようですが、時間が押しているのです。早め早めに行動しましょう」
何だか、二人に追いまくられているな。二人のペースに完全に嵌められているぞ。
でも、仕方がないか。しょせん、僕はこんなもんだ。自分って、いうものがないな。
食堂へ行くと、〈セミセ〉公爵一家も朝食を食べている最中だった。
〈セミセ〉公爵自らが、子供に食べさせている。何とも微笑ましい光景が見えている。
食べさせて貰っている子供はもちろん、側室の夫人も楽しそうな笑顔だ。
爽やかな朝の、一家団らんの光景と言えるだろう。
でも、〈セミセ〉公爵には、正室とその子供もいるから、この光景はたまにしかないんだろうな。
そう思うと、夫人と子供の笑顔が、いじらしくなってくる。
これが堪らなく欲しくて、夫人は昨日あんなにゴネたんだろう。必死だったもの。
僕達は、〈セミセ〉公爵と夫人に軽く会釈して、テーブルについた。
一家団らんを邪魔してはいけない。
〈バクィラナ〉公爵と夫人は、もう食事を終えたらしい。お年寄りは朝が早いからな。
健康のため、散歩でもしてるんだろう。
朝食は、自重して軽いセットを注文した。
お披露目の最中に、腹を下すわけにはいかないからな。二日連続で、下痢は避けたい。
旅団長が、式典の最中にトイレへ駆け込むのは、あまりにも無様だ。
僕には、慎重な行動が求められている。大層に言うとだ。
食卓に置かれたカップに目を向けると、輪切りにされた檸檬が目に入ってきた。
鮮やかな黄色が、お茶に添えられている。
「おっ、これは〈南国果物店〉から、買ってくれているのかな」
「そうだと思いますわ。檸檬は珍しいものです。それを大量に扱っているところは、他にないと思いますわ」
「〈タロ〉様のお店は、すごいですね。ここまで商圏を、広げておられるのですね」
うーん、本当にすごいな。僕も今まで知らなかった。隣の町まで売れているんだな。
この旅館は、高級感を演出するために、舶来の果物を取り入れたんだろう。
中々、センスが良いじゃないか。狙いどおり、朝食に特別感が醸し出されているぞ。
それにしても、朝食毎に檸檬が消費されると、結構な量になると思う。
お茶をお代わりする人も、いるかも知れないし、朝食の時だけとも限らない。
檸檬は、良い稼ぎになってくれているみたいで、嬉しくなってしまうよ。
「ははっ、ここは良い旅館だな」
「うふ、〈タロ〉様。昨日はブツブツ言っておられたのに、褒められるのですね。変り過ぎですわ」
「ふふ、手の平を返したような変わり方ですね。現金過ぎますよ」
部屋に帰ってきたら、直ぐに礼服に着替える必要がある。
でも、良く考えたらまだ時間の余裕はあるぞ。
「あぁ、焦りますわ。〈タロ〉様に構っている時間はありませんので、自分で支度をしてくださいね」
「ふー、私も自分のことで、精一杯なのです。自分のことは、自分でしてくださいよ」
「分かったよ」
はぁー、今度は一転ほったらかしか。
今まで世話を焼いてくれた、甘いムードは幻だったんだな。
結婚しても、始めは優しく接してくれるけど、少ししたらこんな扱いなんだろう。
一足早く現実を突きつけられたようで、悲しいな。
夢が萎んでいくようだけど、人生そんなに甘くはないってことだな。
結婚生活に、過度の期待をするのは控えよう。それが、精神衛生上必要だと思う。
二人は、服を脱ぎ捨てて、スリップ姿になっている。
後ろを向いているけど、鏡に前も映っている。
けれど、僕のことを気にしていられないのか、髪を梳くことに集中している。
ひょっとしたら、僕のことを忘れているのかも知れないな。
鏡に、スリップ越しの濃いピンクの先っちょが、映し出されている。
それも今は、全く気にしていない。
ひょっとしなくても、髪と顔に集中するあまり、見えていないのかも知れない。
見えているのが、見えていないと言うことだ。
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