第264話 階段の途中
〈クルス〉は、嬉しそうにお弁当の献立を教えてくれた。
海と山の幸をふんだんに使っているらしい。正直に言うと、僕はあまり興味が無い。
食べるのは好きだが、材料や調理法は、特に知りたいとは思わない。
これから先も、〈クルス〉が作ってくれるはずだから、僕はそれを美味しく食べれば良いだけと考えている。
「そうか。〈クルス〉は、色々と工夫してくれているんだな。今日のお弁当もすごく美味しいよ」
「ふふ、〈タロ〉様、あまりがっついたらダメですよ。喉に詰まったら大変です。はい、お茶です。飲んでください」
〈クルス〉は、自分用の小さなお弁当をチョコチョコ食べながら、僕の世話もしてくれる。
綺麗な娘が作ったお弁当を食べながら、横でその娘が嬉しそうに僕を見ている情景だ。
エッチなことではないけど、これはこれで幸せと言えると思う。
僕は噛締めるように、幸が詰まったお弁当を完食した。
お弁当を食べたら、もう辺りは薄暗い。帰る時間だ。
階段を僕が、先頭になって降りていく。〈クルス〉は、僕の直ぐ後ろについている。
階段の真ん中くらいで、降りるのを中断した。
〈クルス〉の身体が、僕の背中に当たったのを感じる。
「〈タロ〉様、急に止まっては危ないです。止まる時は声をかけてください」
僕が、後ろを振り返ると、〈クルス〉の唇が目の前にある。
僕は、片手を手すりから離して、〈クルス〉の首を抱えてキスをした。
〈クルス〉は、「あっ」って言ったが、両手は手すりを掴んだままだ。
僕に不意打ちのキスをされるがままだ。
ただ、目は閉じていない。いつもと違って、目は開けたままになっている。
急な階段の途中で、目を閉じるのが怖いのだろう。
もしかしたら、こんな場所で何をするんだという、抗議の意味もあるのかも知れない。
「ごめん。〈クルス〉の唇を見たら、自然としちゃったんだよ」
「もう、〈タロ〉様は。ドキドキさせないでください」
階段を降り切った後、〈クルス〉が僕の背中に当たってきた。
急に止まってはいないので、今度は〈クルス〉が意図的に当たってきたんだ。
僕は、振り返って〈クルス〉の目を覗き込む。
薄暗い階段室なのに、〈クルス〉の目はキラキラと光っていた。
ちょっとした悪戯を仕掛ける、小さな少女のような目だ。
〈クルス〉の腰を引き寄せると、光っていた目は静かに閉じられた。
僕は、さっきと同じようにキスをしたが、今度の〈クルス〉はされるがままではなかった。
両手を僕の背中に回して、さするように動かしている。
手を動かしている理由は分からない。自然と動くのかも知れない。
そして、自分から僕の唇を軽く吸ってきた。「チュッ」という音が、薄暗い階段室に小さく響く。
「〈タロ〉様、もう暗くなります。さあ帰りましょう」
「分かったよ、〈クルス〉」
僕達は《赤鳩》に向かって歩き始めた。しかし、〈クルス〉は僕の横を歩こうとはしない。
えぇ、さっきのキスはなんだったんだ。
「〈クルス〉、どうして後ろを歩いているの」
「今日は〈タロ〉様の後ろ姿を、見たい気分なのです」
どんな気分なんだよ。そんなのがあるのか。〈アコ〉に続いて、〈クルス〉も僕から離れて歩く。
二人は、僕と並んで歩きたくはないらしい。
何か溝が出来ている感じだ。何も思い当たる節がないぞ。原因が分からない。
寂しくて悲しくて、やるせないことだけは、ひしひしと分かる。
僕はヨロヨロと〈クルス〉を《赤鳩》へ送り届けたが、顔を見ることが出来なかった。
僕はずっと下を向いていたんだ。
「武体術」の授業は、何だか気が抜けた感じになっている。
対抗戦が終わって、皆の気持ちの糸が、プッツリ切れてしまったのだろうか。
そんなに、頑張って練習をしていたように思えなかったけどな。
もしかしたら、あれで頑張っていたのかも知れない。
先生も、審判で張り切り過ぎたのか、ぼーっとしている。
ダラダラと模擬刀で、遊んでいる生徒の注意もしない。
今日は九割以上自習だな。僕も怠けることにしよう。
遊んでいる生徒の中でも、表情の明暗がくっきりと分かれている気がする。
暗い顔で覇気がなく目が死んでいるグループと、楽しそうにはしゃいでいる目が生き生きとしているグループだ。グループになっていない、無表情な生徒もパラパラいる。
「〈アル〉、どうしたんだろう。一組と二組の様子がまるで違うよ」
「はぁ、〈タロ〉は、また、抜けたことを聞くな。対抗戦で勝った方は元気だし、負けた方は元気がなくなるのは当たり前だろう」
抜けている。誰が。僕が。なんて失礼なヤツなんだ。確認のために聞いただけだ。解れよ。
「でも、あんなの単なる授業の一コマじゃないか」
ふん、たかが学年の対抗戦で大げさな。
「はー、何を言っているんだ。単なる授業で、観客を入れるはずないだろう。あれは、《黒鷲》の公式行事なんだぞ。注目度がすごいんだ。俺達はもう有名人なんだぞ」
はぁー、有名人。最近注目されるようになったかな。
僕は前から、少し有名だからか、違いは感じられないな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます