第252話 妹さん
「んー、ムニュムニュの意味が、良く分かりませんわ」
「はぁー、ムニュムニュの語感が、いやらしく感じます。〈タロ〉様、やらしことを考えていませんよね」
やっぱり好きと言って良かった。二人の目の奥に、もう怒りの炎は灯っていない。
僕に平穏が訪れたようだ。「好き」と言う言葉は、思った以上に強い力を持っているんだな。
適当で意味不明なのに、結構効いたようだ。
「まあ、要らないから奴隷は断って、物を分割で貰うことにしたんだ。度数の高いお酒で、あちらでは有名な銘柄らしいよ」
「奴隷を断るのは、当たり前のことですわ。それと、そのお酒はどうされるのですか」
「そうだな。外国の珍しい酒だから、お祭りの振る舞い酒にしようと思っているんだ。余った分は売っても良いし」
「振る舞い酒ですか。それは良いですね。きっと町の人達が喜ぶと思います」
「うふ、売ればお金が入ってきますわ。私達は〈タロ〉様の噂で傷つきましたから、おねだりしても良いですよね」
えぇー、結局これが言いたかったのか。
上手い具合に乗せられた気がするな。僕は噂の一番の被害者なのに。
「うへぇ、上手く売れたら考えてみるよ」
「うふ、きっと上手くいきますわ」
「ふふ、期待しないで待っています」
何を買わせようとしているのか。気になるけど、今は気にしないでおこう。
お酒が、売れるかどうかも分からないんだ。二人の気分が良くなっただけで十分としておこう。
しかし、《チァモシエ》嬢をあのまま奴隷にしていたなら、今頃僕はどうなっていたのだろう。
考えただけで、身震いが止まらない。生き地獄を見せられたのに違いない。
地獄の獄卒となり果てた〈アコ〉と〈クルス〉が、僕を衆合地獄で誘惑するだろう。
上下運動のそのたびに、身体から体液を撒き散らし、もだえ苦しむ未来が待っている。
〈アコ〉と〈クルス〉は、口角を機械的に上げて、永遠に微笑み続けると思う。
《チァモシエ》嬢は、鉄のハイヒールを履いて、僕を存分に踏みつけるだろう。
その瞳には、蔑みながら法悦した影が潜んでいると思う。
〈サトミ〉は、乾いた眼を横を向けて、手袋に包まれた手を僕に差し出すだろう。
うー、何だこの妄想は。正しい選択が出来たんだから、誰も悲しんでいない。
心無い、悪意に満ちた噂を流されて、心が弱っているのかも知れない。
こんな時は、上を向いて晴れ渡る青空を見よう。流れる雲のように、心を大空に溶け込まそう。
そうだよ。何かを買うだけで、済むのなら安いものだ。
喜ぶ顔も見れるし、感謝もして貰えるからな。
人生の選択を誤れば、そこには千尋の谷が待っているんだ。
深いな。怖いな。少し惹かれるな。
「それはそうと、どこか行きたい所があったんじゃないのか」
「そうでした。吟遊詩人が「中央広場」で興行しているのですわ。評判が良いので見に行きたいです」
「これも、学舎町ですごく噂になっています。先程の噂と相乗効果な面もあります」
《チァモシエ》嬢の噂と関係があるのか。
そこはかとなく、嫌な予感がするな。気のせいであって欲しい。
「中央広場」までは少し距離があるので、辻馬車を拾った。
〈アコ〉と〈クルス〉は、吟遊詩人の話で盛り上がっている。
どうも、美少年のお涙ちょうだいもんらしい。女性は、こういうのが好きなんだろう。
「中央広場」に着くと大勢の人が、広場の周りに垣根を作っている。
評判をとっているだけはあるな。食べ物や飲み物を売る屋台も、多いような気もする。
経済効果も中々のもんだ。
「花はいかがですか。綺麗な花をお一つどうぞ」
少女が、ソプラノで歌うように花売りをしている。
可愛い顔立ちだけど、服は薄汚れているな。この服しか持っていないんだろう。
靴も今にも穴があきそうな古いものだ。可哀そうだけど、こんな子は王都には沢山いる。
親がいないんだろう。
僕達の横を通り過ぎる時、少女が「あっ」と言って僕に声をかけてきた。
「ご貴族様、蜜柑をありがとう。お母さんに供えました」
こっちを向いた顔に、見覚えがある。掏り未遂犯の〈アィラン〉君の妹さんだ。
あの時あげた服をずっと着ているんだな。厳しい暮らしが、今も続いているらしい。
貧困から抜け出す手段が、ないんだろう。
「やあ、久しぶり。身体の調子は良いの」
「もう病気は治ったんだ。今は元気だよ」
「〈タロ〉様、この可愛らしい女の子と、お知り合いですか」
〈アコ〉が、妹さんを睨みつけるようにして聞いてくる。
僕は、何にでも手を出すと思っているのか。まだ、子供だし胸も膨らんでいない。
これじゃ、《チァモシエ》嬢の方がまだましだ。
変な気は起こさないから、睨まないであげて。妹さんが怖がっているよ。
「この子は、最初の蜜柑を売る時に手伝って貰ったんだ。この子のお兄さんに掏られそうになったので、縁が出来たんだよ」
「ご貴族様、お兄ちゃんはスリじゃないです」
妹さんは、口を尖らせてプリプリ怒っている。
そりゃあ、身内を犯罪者扱いされたら怒るわな。
今は、犯罪を犯してないのかも知れない。
今も犯罪に手を染めているのなら、保身のためにも怒ってみる必要があるんだろう。 どっちだろう。
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