第244話 今日の〈アル〉の運勢

 喉を押さえながら先生が、「次は中堅戦だ。中央の白線まで進み出てくれ」とまあまあの大きさの声で僕達に告げた。

 先生は喉のせいにしているけど、決着の速さに対応出来なかっただけだと思う。

 喉のせいにするのが、どれほどの意味を持つのか甚だ疑問である。


 二組の中堅は、〈アル〉に決まっていたようだ。

 「俺が勝って、二組の勝利を決めてやる」と目をむいて、気合満々で飛び出していった。

 開始線上で、ゆっくりと屈伸を繰り返してもいる。


 目をむいたのは、眼光鋭く研ぎ澄まされている印象を与えたかったのだろう。

 ゆっくりと屈伸しているのは、余裕しゃくしゃくで、体幹が強いことをアピールしたかったのだろう。


 ただ残念なのは、目をむいたことで、顔が金魚に近づいてしまっている。黒色の出目金だ。

 でも、愛嬌があって良いと思う。一部の観客も、クスクス笑っている。当然、女子だ。

 意図的か意図せずか、〈アル〉の心を破壊しようとしているんだろう。


 もう一つ残念なのは、あまりにも屈伸がゆっくりなため、年寄りじみた動きに見えることだ。

 軽快さや躍動感がまるでない。凝り固まった足腰の筋を、伸ばしている感じにしか見えない。

 でもそれで良いと思う。スポーツの前のストレッチはとても良いことだ。

 本人の意図とは、かけ離れていてもだ。

 会場から「無理するなよ」と声がかかった。受け狙いの男子だ。

 中々良い突っ込みだと思ったが、間が悪かったので何も笑いは起きなかった。


 今日の〈アル〉の運勢は、良いのだろうか、悪いのだろうか。


 試合開始の合図が出されて、〈アル〉は勢い良く間合いを詰めにいった。

 相手も積極的な性格のようで、開始早々激しい乱打戦となった。


 〈アル〉が上段から切り下ろすと、相手は右横に受け返す。

 相手が下段から、切り上げるところを、〈アル〉が前捌きで引き落とす。

 〈アル〉が中段から頭に正面突きを狙うが、相手は左斜めに下がってかわし、逆に返し突きを見舞うという激しい攻防だ。

 開始から、休む間もなく打ち合っているので、両者ともおびただしい汗をかき、荒い息を吐いている。

 技術的にはそれほどではないが、実力の均衡した二人の試合は、とても見応えがある。

 これが正しい、学舎生の試合というものだろう。


 観客も、もうクスクスとは笑っていない。「無理するな」との掛け声もかからない。

 「すごい、頑張って」「そこだ、前に出ろ」と興奮気味の熱い声援に変わっている。


 もちろん、僕達選抜メンバーも、声を限りに応援している。

 「敵も疲れている。辛抱だ」「気合いだ」「気迫だ」「根性だ」と、時が進むとともに、段々精神論的になってきた。

 実力に差がないから、後は気力が上回る方に、勝利の女神が微笑むのだと思う。


 想いは一組サイドも同じようで、こちらサイドを上回る必死の応援を続けている。

 向こうは、この中堅戦を落とすと三敗だからな。団体戦の負けが確定してしまう。

 応援も、怖いほどの真剣さだ。


 「先頭のガタイ」の怒鳴り声のような応援が、「健武術場」に鳴り響いている。

 「後がないぞ。頑張れ」「お前が最後の砦だ」「死ぬ気でやれ」と脅すような鬼気迫った鼓舞だ。 

 向こうの中堅は、この応援を背に受けて、一層がむしゃらに前に出てきた。

 「先頭のガタイ」の声の力はすごいな。疲れている人を元気つける力があるんだな。


 両者とも、激しい乱打戦を繰り広げたから、さすがに疲れてきたようだ。

 時折、足が縺れたような動きが出てきた。

 模擬刀を振るのにも、攻撃を避けるのにも下半身を使うから、もう粘りが無くなってきたのだろう。

 模擬刀を振るスピードも、最初に比べれば半分以下だ。腕あげるのも、気力だけなんだろう。


 〈アル〉の方が、若干分が悪いように思う。押し込まれて、後ろに下がる場面が増えてきた。

 互角の相手だが、団体戦の負けがかかっているので、向こうの方がより必死なんだろう。


 〈アル〉が体勢を崩した時、相手が上段から、鋭く打ち下ろしてきた。

 千載一遇のチャンスだと思って、今出せる渾身の力を奮ってきたようだ。

 これは、とうとう決まってしまったな。

 最後は、後のない死に物狂いの必死さが、勝敗を決めた格好だ。


 でも、仕方がない。〈アル〉は果敢に戦ったよ。誰も〈アル〉の健闘を笑えないだろう。

 クスクスと笑うゲスはいないだろう。「無理するな」とも言われないだろう。

 もう限界を超えて無理をしている。


 〈アル〉は体勢を崩してしまい、さらに試合会場に落ちた汗で、足を滑らせたようだ。

 体勢も悪いし、もう滑る足を留める力が、残ってなかったのだろう。

 体勢が低く崩れて、相手の方へ、無造作に身体が流れていってしまった。

 相手も、思い切り模擬刀を打ち下ろそうとしていたから、身体を逃がすことが出来なかった。

 そのため、両者は身体をぶつけることになった。


 ぶつかったことによって、〈アル〉は滑るのが止まって、何とか体勢を立て直すことが出来た。

 相手は踏み留まって立っていたが、後ろに重心がかかったままだ。

 無理に踏み留まらないで、もつれあって倒れた方が良かった気がする。


 偶然だけど、〈アル〉が、体当たりをかました格好になっているな。

 全然上手くない体当たりだが、相手が疲れ果てているから、結構有効なものとなった。


 〈アル〉は、重心を戻しきれていない相手の胴に、渾身の胴払いを放った。


 今日の〈アル〉の運勢は、良かったようだ。


 「二組中堅。胴、一本勝ち」

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