第204話 中年猫の警告
路地に降りると、空は満月じゃなくて、少し欠けていた。
でも、暗闇に慣れた目には十分明るい。
大通りを進んでも、ひとっこ一人いない。もう深夜なんだろう。
〈クルス〉の部屋で、長い時間過ごしたからな。
〈クルス〉は、もう眠ったのかな。僕のことを、考えているのかな。どうなんだろう。
僕は、〈クルス〉のことが、頭から離れない。
何だか、今夜は詩人になれそうな気がする。気分が、高揚してしまっているんだよ。
唄:僕は少し情けない
今日は、満月じゃない。少し欠けている。でも、十分だよ。少し暗いだけさ。
僕は、完璧じゃない。少し欠けている。でも、十分だよ。少し馬鹿なだけさ。
僕は、禁欲じゃない。大きさも欠けている。でも、十分だよ。少し情けないだけさ。
誰もいないと思って、歌っていると、突然笑い声が聞こえてきた。
「ヒィャヒィャヒィャ。可笑しすぎるー。バカ丸出しの歌詞に、壊滅的な音程。
相変わらずの、大馬鹿だ。前の歌より、酷いぞ。天才馬鹿は、まだ生きているぞー」
突然、中年猫が現われてきやがった。
今も、一mほど離れた空中に浮いてやがる。
「また、お前か。笑うな」
「苦しいョー。お腹が。腹筋が崩壊するよー。お助けー」
「失礼だろう。笑うのを止めろ。中年に腹筋なんてないだろう」
「ヒィヒィヒィ。ゼィゼィ。あぁ、苦しかったョ。あまりに馬鹿で、しょうもなくて、我慢できなかったョ」
「本当に失礼なヤツだな。何しに来たんだ」
「そう怒るなョ。偉大な生き物であるところの、「ジュジュシュ」様が警告をしてあげるんだョ」
「ふっ、警告。中年猫から、老年猫に変わるのか。お前の毛が、ボロボロ抜け落ちて、猫アレルギーが蔓延するってことか」
「歌だけじゃなく、話す内容も馬鹿だョ。言っていることが、意味を成してないョ。「天智猫」を全く理解出来ていないね。警告は、この世界全体が危機を迎えているってことだョ。この町も、遅かれ早かれ、巻き込まれていく運命なんだョ。予兆は、既に現れているんだョ」
「はぁー、何言ってんだよ。馬鹿はお前の方だ。世界の危機。笑わせるな。ハハハハハァ。笑ってやったぜ」
「馬鹿と意思疎通を諮るは、骨が折れるョ」
「ポキポキか」
「えっ、今のはなんだョ。まさかとは思うが、念のため聞くけど、ギャグのつもりなのかョ」
「う、五月蠅い。黙れ」
「はぁ、もう少しで、魔法が逆流するところだったョ。危なかったョ。君のギャグは破滅をもたらす、壊滅的なギャグだョ」
「はぁー、世界の危機は、僕のギャグのせいだと、言いたいのか」
「そうだったら、良かったんだけど、そうじゃないんだョ。これから、良くないことが起こるから、準備しておけって、言うことだョ」
「はぁー、良くないことってなんだ。何を準備するんだ」
「それは、まだ分かっていないんだョ」
「馬鹿か、お前は。何も分からないんじゃ、どうしようもないだろうが」
「何かが起こると知っているのと、知らないのでは、心構えが違うはずだョ。危機への対処は、意識の持ち方が重要だョ。君がこれからどうするのか、知らないけど、警告はしたからな。後はご自由にどうぞだョ」
「なっ。そう言う、お前はどうするんだ」
僕の反論を無視して、中年猫は不意に消え失せた。狡いヤツだ。逃げたな。
良く分からないこと、意味がないことを、ベラベラと喋ってやがったな。
ネガティブな情報は、心の負担になるからいらない。
話が大きすぎて、僕が対処する問題でもない。
そもそも、嘘くさい。僕をからかっていたんだろう。
性格が悪い中年だ。
中年猫の言ったことは、忘れることにしよう。
中年猫の言ったことは、机上の空論だ。いや、無用の長物だ。泣く猫は鼠を捕らぬ、の方が合っているか。
何でも良い。何も良くない。
あぁ、もう深夜を過ぎている。楽しいことだけ考えて、早く寝よう。
あっと言う間に、夏休みが終わってしまった。
鍛錬と執務に、追われた日々だった。悲しいな。
もっと、許嫁達とイチャイチャしたかったよ。悔しいな。
夏休み最後の日なのに、今日も鍛錬と執務がある。容赦ないな。
執務が終わったら、もう夕方だ。夕食を食べて、お風呂に入ったら、もう夜だ。
明日は、「深遠の面影号」に乗船して、王都を目指している。
僕は、少し感傷的な気分になって、館の外へ出てみた。
こんな気分になったのは、中年猫に言われたことが、影を落としている。
漠然とした不安感を持ってしまったぞ。
中年猫は、酷いヤツだ。魔法が逆流して、この世から消えたら良いのに。
何かをしたいわけでもないが、トボトボと、小屋の方へ歩いて行った。
部屋にいるより、あても無く、外を歩いている方がまだましだ。
僕の足音が聞こえたのか、〈トラ〉と〈ドラ〉が、「ミャアー、ミャアー」と鳴きながら、トコトコ近寄ってきてくれた。
ごめんよ。今日は、魚を持ってないんだ。
それでも、〈トラ〉と〈ドラ〉は、ゴロゴロと喉を鳴らして、僕の足にじゃれついてくる。
少し痛いけど、癒されるな。猫でも、中年猫とはえらい違いだ。
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