第181話 明日の夜

 魚の加工に携わる人は、《ハバ》の町から追い払われた女性が、担ってくれることになっている。

 兵舎を建設してくれている、人夫の奥さんや娘さん達だ。


〈アコ〉の母親が、「《ハバ》から追い払われた女性」の役に立てて本当に良かったと、人目もはばからず泣いていた。


〈クサィン〉の奥さんは、「これはひょっとすると、塩以上の稼ぎなるかもです」と鼻息も荒く、フンフンと唸っていたらしい。

〈クサィン〉が、どこか遠い所に、吹き飛ばされるかも知れない。

不倫はいけないな。


〈入り江の姉御〉が、僕が来なかったので悲しそうにしていたと、悪い噂も流れているようだ。

夏なのに、凍り付くような怖いことを、言って欲しくない。

僕は、絶対不倫はしないよ。許嫁命なんだからな。


夕方近くに執務がやっと終わり、ひょっとして〈サトミ〉がいないかと小屋にいってみた。

小屋の扉を開くと、〈クルス〉が〈サトミ〉が椅子に座って、なにやら話をしている。

どうも、二人で仲良く勉強しているようだ。


「やあ、二人で勉強しているのか。偉いな」


「あはっ、〈タロ〉様、〈クルス〉ちゃんに、勉強を教えて貰っているんだよ」


「そうか。頑張っているんだな」


「うん、〈タロ〉様。〈サトミ〉は頑張って勉強しているんだよ」


「〈サトミ〉は偉いな。

〈クルス〉も、〈サトミ〉に勉強を教えてくれて、ありがとう。助かるよ」


「〈タロ〉様に、お礼を言われるのは嬉しいのですが。

私が〈サトミ〉ちゃんに教えるのは、親友だから当然です。

〈タロ〉様が気になさる必要はありませんよ」


「そうか。でも、なんにしても良いことだよ」


 少し三人で話した後、〈サトミ〉がトイレに行ったので、〈クルス〉と二人切りになる時間が出来た。

 チャンス到来だ。〈クルス〉の部屋に忍び込んでいく打ち合わせをしよう。


 「〈クルス〉、前に言ってた雨樋の話だけど、今日の夜、行っても良いかい」


 「えっ、〈タロ〉様。本気だったのですか。そんな、危ないことをしてはいけません」


 「大丈夫。二階くらいなら簡単に登れるよ。毎日鍛錬しているからな」


 「でも。それでも、もしものことがあります。考え直してください」


 「二階だから、万が一落ちても大した怪我はしないよ。

 鍛錬では、いつもそれ以上の酷い目に合わされているんだ」


 「まあ、それは本当なのですか。〈タロ〉様が、そんな酷い目に合わされているのですか」


 「そうなんだ。皆酷いんだよ。だから、〈クルス〉に癒して貰おうと思ったんだよ」


 「私にですか。うーん、本当に怪我をしないように来れますか」


 「それは、約束するよ。絶対だ。慎重に、慎重に登るよ」


 「そこまで仰るなら、分かりました。でも、今夜は、お客さんが、みえるのでちょっと。明日なら誰も来られないはずです」


 「分かった。明日の夜に必ず行くよ」


 その後、〈サトミ〉が戻ってきたので、〈クルス〉との話はここまでだ。

 夕食の時間が迫ってきたので、僕達三人はそれぞれの家に帰った。

 三人ではキスもできやしない。限りある人生の大きな損失だ。

 明日の夜は何としてでも、この損失を埋めてやるぞ。


 次の日、僕は〈クルス〉の部屋に行く時間を、夕食後か、皆が寝る頃か、真夜中かで、迷っていた。


 夕食後では、早すぎる気がする。

 通りをまだ誰か歩いているかも知れないし、家族の誰かが、〈クルス〉の部屋に入ろうとするかも知れない。


 真夜中では、遅すぎる気がする。

 寝不足で明日の鍛錬がより辛くなるし、〈クルス〉が寝てしまって、部屋に入れて貰えないかも知れない。


 そういうことで、皆が寝る時間がベストの選択だな。

 でも、具体的にいつ頃なんだろう。悩んでいても仕方がないな。

 行動あるのみだ。


 夜の路地を歩いて行くと、夏だけど少し肌寒い。

 僕は肩を抱いて温めながら、〈クルス〉の寝屋の下に着いた。

 雨樋の横に、この前なかった木の箱が、積み木の階段のように置かれている。


〈クルス〉、ありがとう。〈クルス〉が少しでも登りやすいように、置いてくれたんだと思う。


 良く知っている〈クルス〉の元に行くだけなんだが。

 夜、女の子の部屋に忍び込みという行為が、いけない事をしているようで、胸の鼓動が激しい。

 そして、何だかやけに興奮もしている。

 鼓動を鎮めるためと、冷静になるため、何回か深呼吸を行う。


 何とか落ち着いて、積み木の階段から、雨樋に移って〈クルス〉の部屋の窓までいくことが出来た。


 まあ、簡単だ。何の苦労もない。鍛錬に比べれば、お遊戯みたいなものだ。

 何十回でも出来る。棒を上がり下がりする猿のおもちゃみたいに出来るぞ。


 それに、何の意味がある。僕が猿に近いという証明が出来るかも知れない。

 証明されたくないので、早く部屋に入れて貰おう。


 窓をコンコンと小さく叩くと、〈クルス〉がカギを外して、窓を開けてくれた。

 部屋には、小さな灯りが一つ、ベッドサイドに置かれてあるだけで、薄暗い。


 もう寝る時間を過ぎているのに、いつまでも普通に灯りがついていれば、それだけで怪しまれてしまうからな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る