第178話 有名人
「塩は売るほどありますが、魚はどうするのですか」
〈クサィン〉が、もっともな質問をしてくるが、「売るほどあります」っていう表現はどうかな。
陳腐過ぎるぞ。
「魚は、入り江の沖で一杯捕れるんだよ。この魚もそこで捕れたんだ」
「まあ、この美味しい魚が一杯捕れるんですか」
〈アコ〉の母親は、〈アコ〉に似て食いしん坊だな。
あっ、逆か。〈アコ〉が、母親に似ているんだな。
「この魚も捕れると思うけど、考えているのは、もっと小さくて大量に捕れる魚なんだ」
「素朴な疑問なんですが、塩漬けの魚を作ったとして、果たして売れるものなんですかね」
「うーん、そこが問題だよね。〈リーツア〉さんはどう思う」
「そうですね。当たり前のことですが、やはり味と値段です。
王都では、お魚は割と高いくせに、味はそうでもないのですよ。
《アンサ》の港が、馬車で一日の距離にありますから、無いことは無いのですが、出回っている量が少ない気がします。また、生の魚はありません。
新鮮な魚を食べたい時は、《アンサ》の町へ行く必要がありますね」
「味と値段か。それはそうだよな。魚は大量に捕れるけど、王都への距離は結構あるので、値段の方はどうなるかな。味の方は、実際に食べてみるのが一番だと思う」
「ご領主様のご提案、面白い話だと思いました。
食材の話ですから、主人より私の方が適任だと思いますので、私が〈入り江の姉御〉に話をしてみます。
主人に任せるのは少し心配ですから」
〈クサィン〉の奥さんが、キッパリと有無を言わせない感じで宣言してきた。
〈入り江の姉御〉って、有名人なんだな。
領地の人の数はしれているし、あれだけ目立つ存在なら当然か。
「主人に任せるのは少し心配」は、姉御との浮気を心配しているんだろう。
〈入り江の姉御〉って、そっち方面で有名なのかも知れないな。
ものすごく、分かる気がする。
〈アコ〉の母親と、〈リーツア〉さんは、私達も手伝いますと大張り切りだ。
もう決まったかのように、〈クサィン〉の奥さんとガッチリ握手をしている。
食材を買うのは、大体主婦なのだから、私達が味見等で全面的に協力しますとのことだ。
いや、あんたら、単に暇を潰したいだけなんじゃないの。
〈アコ〉の母親は、「〈タロ〉様が〈入り江の姉御〉に会う機会を無くすために、私が代わりをしますわ。これは、娘のためです」
といらないことも言ってくれた。
あんたは、〈入り江の姉御〉の年恰好を知らないし、僕を信用していないのか。
年は離れ過ぎていているし、僕は〈クサィン〉とは違うよ。
〈クサィン〉は、王都へも頻繁に行くし、すでに前科があるんじゃないか。
しかし、この三人に加えて、〈入り江の姉御〉とその母親で、これから色々相談したり、おしゃべりするんだな。
良く考えなくても怖いものがあるよな。
絶対に近づかないでおこう。
〈レィイロ〉の方は、「塩の代わりが、塩漬けの魚になっても、全然問題ありません」と何だかホッとしたように言っている。
まだ、売れるかどうか分からないのに、問題が解決した気でいやがる。
陸運業者だから、運ぶ荷があって、運賃を貰えたらそれで良いのだろう。
せっかくだからと、新規鉱山の《シラ》男爵のことを〈アコ〉の母親に聞くと、
「〈タィマンルハ〉王子派の貴族と聞いていますわ。
《ベソファ》伯爵が後ろだてになっていると思われます。
弱小貴族のはずですが、岩塩を安売り出来るのは、先行投資をされたのだと思います。
今の噂では、お金儲けのためだけで、《ラング》伯爵と敵対する気はないようですね。
でも、今後とも注意が必要ですわ」
と教えてくれた。
この情報で何か出来るわけじゃないけど、何も知らないよりは数倍良い。
最大の懸案事項に、塩漬けの魚、という有力な案が出たので、食事会は和やかに進んだ。
皆は、解決案を良くひねり出したと、僕を手放しで褒めてくれた。
「頭が良い」「天才だ」「素晴らしい領主様だ」と。
そう言われると、自尊心がコチョコチョくすぐられて、顔がニマニマして崩れてしまう。
大変気分がよろしい。
ただ、売れなかったら、僕の評価は爆下がりなんだろう。
少し心配だな。そう考えると、少し気分が落ち込んできた。気分がだだ下がりだ。
僕以外は、グラスを片手に、おしゃべりしながら、楽しそうにお酒を飲んでいる。
僕は、お酒も、おしゃべりも、殆ど興味が無い。気分も下降している。
それなら、興味があるところに行こうと、考えるのは普通のことだ。
興味があるのは、当然、〈クルス〉のところだ。確実に気分も上昇するはずだ。
トイレだと言って、二階にある〈クルス〉の部屋に、そっと静かに向かう。
婚約者で、領主ではあるが、夜に年頃の女性の部屋に行くのは、やはり問題がある。
結婚前に、することじゃないと考えられている。
許嫁であっても、必ず結婚するわけじゃ無いからな。
〈クルス〉とは、必ず結婚するけど、他の人には、見つからない方が良いに決まっている。
見つかったら、女性の方、〈クルス〉に、迷惑をかけることになる。
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