第166話 腰に手を回した

 「〈カリタ〉も、〈ドリー〉も、お互いを呼び捨てで、呼び合うほど親密になっているんだな」


 「そんな。親密じゃないです。ただのお友達です。年が近いから、気安く呼んでいるだけです」


 〈ドリー〉が、こう言うと、〈カリタ〉の顔が曇って悲しそうになった。

 「ただのお友達です」が、クリティカルにヒットしたんだろう。

 この言い方は、〈ドリー〉に何か含むところが、ある気もするな。

 「ただ」が、冷たいというか、怒っている感じだ。


 なんだか、上手くいっていないな。

 毎日、お弁当を作ってもらっているのに、何してんだよ。

 コイツは、どうしようも無いな。

 後で制裁だ。


 「ほー、そうなんだ。〈カリタ〉、後日話があるからな」


 〈カリタ〉は、怯えた顔をして、首をすくめるように頷いた。

 〈ドリー〉は、「うん」「うん」と力強く、二回頷いていた。


 〈カリタ〉は、僕に酷い目に合わされるとでも、思っているのだろうか。

 〈ドリー〉は、僕が何かしてくれるとでも、思っているのだろうか。


 これは、ちょっと面白い展開になる気がする。楽しみだな。


 昼食中まで、食事を腹にかきこみながら、書類に目をとおして、やっと自由時間が出来た。

 許嫁に逢いたい。ものすごく、逢いたい。

 中毒患者の禁断症状のように猛烈に逢いたい。

 僕は、許嫁中毒だったのか。思い当たる節は、一杯あるな。


 最初に逢うのは、当然、長く逢っていない〈サトミ〉だ。

 他の二人には待っててもらおう。〈サトミ〉に逢うのだから、怒らないだろう。


 〈サトミ〉のことだから、きっと厩舎にいるはずだ。


 「〈青雲〉、あなたのご主人様が帰ってきましたよ。嬉しいでしょう。

 〈サトミ〉も嬉しくて、泣いちゃったんだよ。我慢出来なかったの」


 やっぱりだ。 

 〈サトミ〉の可愛らしい声が、厩舎から聞こえてきた。


 「〈サトミ〉、逢いに来たよ。

 〈青雲〉の世話を何時もありがとう。〈青雲〉の色艶がすごく良いよ」


 「あっ、〈タロ〉様。〈サトミ〉に逢いに来てくれたの。嬉しいな。

 〈青雲〉のお世話は好きでしているから、お礼はいいよ。

 〈青雲〉も、〈タロ〉様が帰ってきて喜んでいるよ」


 「へぇー、〈青雲〉が。そうなのかな。僕には、分からないや」


 「うんもう、〈青雲〉は喜んでいるの。〈サトミ〉に、そう言っているの」


 「ハハハ、〈サトミ〉はすごいな。これからも、〈青雲〉をよろしく頼むよ」


 「ヘヘェ、〈サトミ〉は、また、褒められちゃった。

 〈青雲〉のことは、ドンと〈サトミ〉に任せてよ」


 〈サトミ〉は、自分の胸を小さな拳で叩いて、口を一文字にしている。

 いじらしいヤツだ。


 「それはそうと、〈サトミ〉は僕が帰ってきて喜んでいるかい」


 「〈タロ〉様、何言っての、怒るよ。喜んでいるに決まっているでしょう。

 〈サトミ〉は、〈タロ〉様が帰って来るのを、ずっと待っていたんだからね」


 「そうか、僕は嬉しいよ。〈サトミ〉、待たせてごめん」


  僕は、〈サトミ〉を優しく抱き寄せた。

 〈サトミ〉は、頬をピンク色にして、はにかんでいる。

  身体を、もじもじさせて可愛いな。


 「〈タロ〉様、恥ずかしいよ。誰かに見られちゃう」


 「見られても良いじゃないか」


 「〈タロ〉様、そんなことを言われても、〈サトミ〉は困るよ。

 そうだ、小屋でなら良いよ」


 小屋でなら良いよ、か、どこまで良いのだろう。


 久ぶりの小屋は、何だか懐かしい。


 「〈トラ〉と〈ドラ〉は、いないんだな」


 「あの子達は、もう食事の時しか帰ってこないんだ。そこいら中を走り回っているの。

 放蕩息子なんだよ」


 あいつらは、オスだったのか。


 「ハハハッ、元気そうだな。大きくなったんだろうな」


 「うん、大きくなったよ。《ラング》で一番大きい猫だと思う。

 それに、〈タロ〉様も大きくなったね」


 「えっ、どこが」


 「どこがって、背の高さに、決まっているよ」


 チェッ、あそこの大きさじゃないのか。

 さっき抱きしめた時、分からなかったのか。

 いや、きっと小さいから、存在すら分からなかったんだ。

 泣きたい。


 「そんなに、背が伸びたかな」


 「そうだよ。〈サトミ〉とこんなに差があるよ」


 〈サトミ〉は、僕に近づいて、自分と僕の背を手で測っている。

 本当だ。

 〈サトミ〉と、しばらく逢わないうちに、こんなに差が出来たんだな。

 〈サトミ〉の背は伸びなかったけど、僕の背は伸びたんだな。


 〈サトミ〉が、直ぐ傍にいるので、我慢できなくなって、僕は、〈サトミ〉の腰に手を回した。


 「やっ、〈タロ〉様」


 〈サトミ〉の身体は、一緒ビクンとなったけど、僕の手から、逃れようとはしない。

 手を胸にあてて、ピンク色に染まった顔を向けてきた。


 「〈サトミ〉、嫌かい。嫌なら、手を離すよ」


 「ううん、〈タロ〉様。全然、嫌じゃないよ。

 でも、胸がドキドキして、キュンキュンするの」


 僕は、〈サトミ〉の腰をゆっくり引き寄せ、〈サトミ〉を抱きしめた。

 〈サトミ〉の日向のような香りと、女の子の甘い匂いが、〈サトミ〉の身体から漂ってきた。


 「〈タロ〉様、〈サトミ〉の胸、もっとドキドキしてきたよ」


 〈サトミ〉は、僕の胸に顔を埋めて、背中に手をおずおずと回している。

 目を下に向けると、短めの濃い茶色の髪に、以前と同じ旋毛が見えていた。

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