第163話 ただいま

 〈アコ〉と〈クルス〉が、下船のため荷物をまとめに甲板を降りていった。

 〈アコ〉の母親も同じなんだろう、一人ボッチの船長が僕に話しかけてきた。


 「若領主、恋とはいつも辛いものだな」


 ゲー。何をほざいてるんだ。てめえの顔を鏡で見てから言いやがれ。


 「はぁー、なに言ってんだ。頼むから。揉めごとを起こすなよ」


 「分かっているさ。でもさ、心で思うことは自由なのさ」


 「でもさ」って、てめえが使ってはいけない言葉だ。

 全身に鳥肌が立ったよ。


 「心でも思うな」


 「酷いことを言うなよ。もう直ぐお別れだ。俺は寂しい。どうすれば良いんだ」


 知るか。死ねよ。


 「悶え苦しめ」


 「また、酷いことを言う。ちゃんと、考えてくれよ」


 まてよ。コイツをこのまま放っておくと、館に入り浸る恐れがあるな。

 どこか、遠くにやってしまえ。


 「うーん、そうだな。《ベン島》の船でも引き上げたらどうだ」


 「うーむ、《ベン島》か。王都に近いな。それにしよう。

 憎まれ口を聞いても、最後は俺のことを考えてくれるんだな。

 若領主は、優しいな。惚れちゃうよ」


 ゲー。気持ち悪い。また、全身に鳥肌が立ったよ。

 でも、王都に近いか、マズイことを言ったのかな。


 入り江に着いたら、大勢の人が出迎えてくれている。

 《ラング》の町から、離れているのに有難いことだ。


 大勢の人の最前列の真ん中に、〈サトミ〉を見つけた。

 僕らを見つけて、ピョンピョン飛び跳ねているので、直ぐに分かった。

 手を振ると、飛び跳ねているのを止めて、顔を手で覆っている。

 早く、〈サトミ〉の傍にいかなくちゃ。


 入りへの桟橋を降りると、〈サトミ〉が駆け寄ってきた。

 僕の胸に飛び込んで、泣きじゃくっている。


 〈サトミ〉のお日様のような匂いが懐かしい。

 僕は、〈サトミ〉を抱きしめて、「ただいま」と言った。


 〈サトミ〉は、僕の胸から顔を離して、うんうんと頷いた。

 まだ、言葉にならないようだ。


 〈アコ〉と〈クルス〉も、左右から、〈サトミ〉の手を握って、

 「〈サトミ〉ちゃん、ただいま」と言っている。

 〈サトミ〉は、また、うんうんと頷いた。


 他の人は、僕達を微笑ましそうに見ながら、町の方へ歩いて行く。

 僕達は、〈サトミ〉が落ち着くまで、〈サトミ〉を囲んで待っていた。


 「〈タロ〉様、もう〈サトミ〉は大丈夫です。

 嬉し過ぎて、心から涙が溢れちゃいました」


 〈サトミ〉は、ニコッと笑って、僕と〈アコ〉と〈クルス〉を順番に見た。

 自分で言ったとおり、もう、大丈夫のようだな。


 僕は〈サトミ〉の手を握ろうと、手を差し出した。


 「〈タロ〉様と手を繋ぐのは、久ぶりだよ。少し照れちゃうよ」


 〈サトミ〉はそれでも、頬を桃色にして、手をしっかり握り返してきた。

 ついさっき、人の前で抱き着いてきたけど、また違う恥ずかしさが、あるのかかな。


 「〈アコ〉、〈クルス〉、そろそろ行こうか」


 「ご領主様、あたいに何かご用事ですか。館に連れて行ってくれるのかい」


 「良くあたしの名前を知ってなさったね。ご領主様。なんかご用ですかい」


 「えっ」「えっ」「えっ」


 と三つの声が重なった。

 僕と〈アコ〉と〈クルス〉だ。


 三人とも、突然の出来事に吃驚して、しばらく固まってしまった。


 僕は一人の顔をようやく思い出して、

 「〈ラング入り江〉の姉御、久しぶりだな。でも、姉御を呼んだのでは無いんだ。

 ここにいる、僕の許嫁を呼んだんだよ」


 「えー、そうなのかい。ちくしょう。ドキドキして損しちまったよ」


 「あたしも、久しぶりのお誘いかと、期待しちまったよ」


 なんて怖いことを言うんだよ。この人達は。

 姉御の〈アコータ〉はアラフォーで、僕の母親でもおかしくない。

 隣のおばあさんは、確実に僕の祖母の年齢じゃないか。


 まるで、古狐のような狡猾そうな顔に、褐色の深い皺が刻まれている。

 ただ、その皺だらけの皮膚が、やけに生気を帯びているのが妖しい。

 皺の底に隠れている小さな目は、欠けた黒曜石のような鋭さだ。

 一見、茫洋とした視線は、心の奥底のまた奥を、その黒曜石へ写しとっているに違いない。

 身体から漂う匂いも、何やら鼻をくすぐるが、生生しい香りだ。

 かなり、妖怪っぽい印象を全身から醸し出しているぞ。


 「姉御の隣は、お母さんなの」


 「そうだよ。〈アコータ〉の女親の〈クルスー〉ってんだ。

 ご領主様に御目見得出来て、光栄だよ」


 〈クルスー〉か。《クトゥルー》と音の響きが似ているな。

 暗い海の底から、這い出てきたんじゃないよな。

 理性を超えたモノじゃなくて、どうか古狐で留めて欲しい。


 「やっぱり、そうか。初めまして、よろしくね」


 「そうだ。ご領主様、約束してた魚はどうする。大漁過ぎて、いくらでも分けられるよ」


 「そんなに、大漁なの」


 「そうさ、《ヒュウゴ礁》はどえらい大きさで、おぼこだったからな。

 魚が向こうから、船に飛び込んでくるほどさ」


 「そうか。それはすごいな。帰ってきたばかりなので、魚のことは、また後で連絡するよ」


 「それと、ご領主様お願いがあるんだよ。魚が獲れ過ぎて、捌き切れねんだよ。

 何か良い知恵は無いか」


 「日にちが持つように、干物なんかにすれば良いんじゃないか」


 「それは、かか様がもうやっているんだが、そんなに売れないんだよ」


 「うーん、直ぐには思いつかないな。考えておくよ」


 「そうだよな。今直ぐは無理だな。期待しているから、頼むよ」

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