第160話 母性の象徴

 皆は、甲板で楽しそうに、夕食を食べている。

 甲板の下の客室にいる僕のところまで、賑やかな声が聞こえてくる。


 僕は大事をとって、ベッドの上で静養中だ。

 有難いことに、痛みは少しだけになっている。


 ぼーと、ベッドに腰かけていると、ドアを開いて、〈アコ〉が入ってきた。

 ベッドに腰をかけて、少し不安気に僕の顔を覗き込んだ。


 「〈タロ〉様、お加減はよろしいですか」


 「心配してくれて、ありがとう。もう、大丈夫だよ」


 「大事なところを蹴ってしまって、本当にごめんなさい」


 「さっきも言ったけど、〈アコ〉が謝る必要は無いよ。調子に乗った僕が悪いんだ」


 「でも、痛かったでしょう」


 「仕方が無いよ。〈アコ〉が嫌がってたのに、触り続けた罰があったたんだよ。

 もう、痛みは全く無いよ」


 「ふー。大したことが無くて、良かったですわ。一時はどうなるかと思いました」


 「心配かけて、ごめんね。それに、ちょっと胸を触り過ぎた。ごめん」


 「そうでした。安心したら、腹が立っていたのを思い出しましたわ」


 「えっ」


 「〈タロ〉様は、私の胸をあんなに執拗に触って。

 横に〈クルス〉ちゃんがいるのに、私がどんな思いでいたか分かっていますか」


 「すいません」


 「私の胸を玩具にしてたでしょう」


 「そんなことは無いよ。決して玩具にはしてないよ」


 「それでは、なぜ、私があんなに止めて言ったのに、触り続けたのですか」


 「それは。〈アコ〉が色っぽい声を出すから」


 「まあ、私のせいですか」


 「違います。すいません。

 上手く説明出来ないけど、〈アコ〉の胸が触りたかったんだよ。

 どうしても、触りたい気持ちが、止めらなかったんだよ。

 それと、怒らないだろうと、〈アコ〉に甘えていた部分もあったかも知れない」


 「もう、良いですわ。答えになっていませんね」


 「すいません」


 〈アコ〉は、僕の左手を両手で握って話を続けた。


 「〈タロ〉様は、お母様を早くに亡くされました。

 私の胸が、大好きとも仰いました。

 〈タロ〉様は、たぶん母性を求めておられるのだと思います」


 「えっ」


 「無意識に、母性の象徴である胸を求めておられるのですよ」


 「そうなの」


 「そうだと思います。胸だけでは無く、お尻もそうかも知れません。

 柔らかいのが良いと仰っていましたよ。柔らかなお尻は、女性の象徴ですわ」


 「自分では分からないけど、本当なの」


 「かなり本当です。

 〈タロ〉様が、私の身体を触りたいのは、ある程度、仕方が無いことだと思います。

 でも、私が止めてて言ったら、もう触らないでください。

 私も出来るだけ言わないように我慢しますけど、〈タロ〉様も我慢してください。

 もう少ししたら、〈タロ〉様に嫁いだら、私、〈タロ〉様の求めに喜んで応じますわ。

 その時は、いくら触られても、止めてとか、嫌とか、絶対言いません。

 だから、今は私の気持ちも考えてくださいね。

 もちろん、私も〈タロ〉様の気持ちを考えますわ。

 けれど、これだけは必ず守ってください。

 二人切りで無いと嫌なんです。

 〈クルス〉ちゃんであっても、人がいるところでは許しません。

 すごく嫌なんです。お分かりですか」


 「はい。分かりました。決して、二人の時以外は触りません」


 「良いお返事ですね。良く理解されました」


 〈アコ〉は、こう言うと、僕の方へ身体を向けて、目を瞑った。

 ここで、〈アコ〉の指示に逆らうわけにはいかない。

 さっき、〈アコ〉が長く話したのは、それだけ僕のことを怒っていたんだろう。

 僕も望むところだし、拒絶する選択肢は持ち合わせていない。


 僕は〈アコ〉を抱き寄せて、そっとキスをした。

 まだ、怒っているかも知れないので、恐る恐るだ。


 〈アコ〉は、まだ目を瞑ったままで、僕に抱き着いている手に力を込めた。

 〈アコ〉は、不満なことがあるのか、額に皺を寄せている。

 瞑った瞼にかかる、長いまつ毛も、ピクピクと神経質に揺れているように思えた。


 今は、〈アコ〉の指示どおりに動こう。とても逆らえないし、逆らう意思も無い。


 僕は〈アコ〉を、ギューと強く抱いて、今度は唇を強く吸った。

 「チュッ」「チュッ」と音をたててだ。

 それから、〈アコ〉の唇を、僕の唇で愛撫し、優しく甘噛みもした。


 〈アコ〉は、

 「んうん、〈タロ〉様の鼓動が伝わってきますわ。

 もっと、私の唇を食べても良いですよ」

 と鼻にかかった声で呟いた。


 今度の、〈アコ〉の指示は、「甘い言葉を言いなさい」「もっとしなさい」だと思う。


 「〈アコ〉を抱きしめると、心臓の鼓動が激しくなるんだよ。

 〈アコ〉のことが、とても好きなんだと思う」


 「〈タロ〉様、嬉しい。私も心臓がドキドキしていますわ」


 僕は〈アコ〉を、さらに、強く抱きしめて、もう一度キスをした。

 今度は、舌も入れた。

 〈アコ〉の唇も、口の中も、舌も、丁寧に嘗め回した。


 「クチュ、クチュ」と水気の多い音がする。


 「んうん、〈タロ〉様の口づけが甘いです。

 もっとこうしていたいけど、あまり長くもいられません。

 もう、部屋を出ますわ」


 〈アコ〉は、僕の背中に回していた手を、名残惜しそうに解いて部屋を出ていった。

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