第156話 藍色の女豹

 「うぅ、〈タロ〉様。前には言われましたよね。〈サヤーテ〉先生に上手く言っておくって」


 「私も聞きましたわ。あぁ、〈タロ〉様、お願い。〈サヤーテ〉先生をどうにかして」


 二人とも、半泣きで僕に訴えかけてきた。

 いや、もう泣いているな。


 〈クルス〉の片方の目から、涙が一粒零れ落ちた。

 〈アコ〉の頬を良く見ると、涙が零れた跡があった。


 相当、辛いのだろう。


 「一応、言ってみるけど期待しないでね。ハハハ」


 「笑い事じゃ無いですわ」


 「笑うなんて酷いです」


 二人に、心の余裕は、全く無いようだ。


 忘れぬ先に、船長に釘を刺しておこう。


 「船長、少し話がある」


 「若領主、改まってなんだ」


 「〈アコ〉の母親のことだ。

 末席に近いとはいえ、王族だ。分かっているのか。問題を起こすなよ」


 「若領主に言われなくても、ちゃんと分かっているぜ。

 天然の美術品を鑑賞させて貰っているだけだ。

 見て、声を聴いているだけで、幸せなんだ。

 間違っても、それ以上のことはしない」


 「本当だな。絶対ダメだからな」


 「約束するよ。俺は純情な男だからな」


 何が純情だ。その顔で良く言うよ。

 なんてツラの皮が厚いんだろう。

 昨日、目を見開いて、大きな胸をずっと凝視していたせいで、目が真っ赤に充血しているぞ。


 次の日も、朝からまた鍛錬だ。

 何と、朝食前にも軽くするとぬかされた。

 これはもう、確実に病気じゃ無いのか。

 鍛錬中毒だ。


 〈リク〉は、元気溌溂だ。

 朝食前なのに、やる気に満ちている。


 〈カリナ〉も、元気溌溂だ。

 朝食前なのに、見る気に満ちている。


 忠告をしてやろう。

 僕は良い領主で、良い雇い主だからな。


 「〈カリナ〉、こんなところで、高みの見物で良いのか。

 〈リーツア〉さんは、汗まみれで朝食を作っているぞ」


 「うぅ、それは。そんな言い方は… 。私も分かって… 」


 〈カリナ〉は、何とも言いようの無い顔で、調理場の方へ走っていった。

 なぜか、言葉を最後まで言えなかったようだ。

 痛い所をグリグリと突かれた、悲しい女の顔をしていた。


 もう一人見学者がいる。


 〈サヤ〉だ。


 いつに、朝飯の準備は無理だろう。

 〈リーツア〉さんの邪魔になるだけだ。


 僕達の鍛錬の様子を少し離れたところから、見学している。

 さては、僕の溢れ出る魅力に、やっと気づいて惚れたのか。

 または、人のものが欲しくなって、〈リク〉を〈カリナ〉から、強奪しようとしているのか。

 いづれにしても、じっと、見られているとやり難いな。


 「〈サヤ〉、僕達をどうして見ているんだ」


 「〈タロ〉様は、強くなられましたね。

 真剣に、私とやっても良い勝負が出来ますよ。

 それにしても、〈リィクラ〉さんは、凄いですね。流石は勲章を授与された英雄ですね」


 誰が、お前と真剣に勝負なんかするか。

 鍛錬でも、思い切り打ち込んでくるのに、死ぬわ。


 そう言えば、〈アコ〉と〈クルス〉が何か言ってたな。


 「〈リク〉は、やっぱり強いのか。だったら、〈サヤ〉。胸を借りてみたらどうだ」


 「〈リク〉、構わないよな」


 「良いですとも。

 「藍色の女豹」と呼ばれた〈サヤーテ〉さんに、胸を借りるのは、こちらの方ですよ」


 「本当に良いのですか。〈リィクラ〉さん、ありがとうございます。

 それと、その女豹は大袈裟ですから、もう言わないでください。恥ずかしいです」


 〈サヤ〉が、ポッと頬を染めている。

 顔の造りは良いので、勘違いしてしまいそうだ。


 「ハハッ。分かりました。もう言いませんよ。お手合わせは、朝食の後にしましょう」


 「藍色の女豹」、すごい二つ名を持っているな、コイツ。

 普通の女では、無いと思っていたが、やっぱり、異常だったんだな。


 それにしても、女豹か。

 〈藍心武学寮〉で学び、豹のように、しなやかで素早いということなんだろう。


 まさか、セクシーな女豹のポーズをとらないよな。

 美人だから、様にはなると思うが。


 本性を知ってるものとしたら、変にセクシーなのは、気持ち悪いだけだ。

 決して見たくない。

 噛みつかれるだけでは、済まないと思う。


 〈アコ〉と〈クルス〉の護身術の相手は、僕が務めることになった。


 〈サヤ〉には、遊びじゃ無くて、真剣に取り組んで欲しいと言われている。

 当たり前のことだ。

 背後から、遠慮なく襲わせて頂こう。


 〈リーツア〉さんの「朝ご飯ですよ」と言う掛け声で、朝食を食べ始める。


 船の調理人は、〈リーツア〉さんの指示に素直に従っている。

 たった一日で、もう飼い慣らされているな。


 献立は、ふっくらとしたパンに、カリカリのベーコンと具沢山のスープだ。

 簡単なものだが、一つ一つが美味しい。


 船員も、乗船客も、口々に美味しいと言っている。

 船長も、「船でこんな美味しい朝食を食べられるとは」と唸っている。


 〈リーツア〉さんを見る目が、何となくやらしいな。

 まあ、普通にしてても、いやらしい目だから、仕方が無いか。

 充血してるし。


 〈アコ〉と〈クルス〉は、重い身体を引きずるように、朝食の席に座っている。

 座っているだけで、食べようとはしない。

 食欲が無いみたいだ。


 スローモーに、ぎこちなく動いているのは、身体中が筋肉痛で痛いからのようだ。

 朝の挨拶も、ゴニョゴニョと力の無い声だったので、聞き取れなかった。

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