第138話 唇が赤い

 踏み出すステップにも迷いがない。

 ドレスの裾を大きく翻して、優雅に僕の周りを廻っている。


 「〈クルス〉、今日はお化粧をしているの」


 「そ、そうですけど。どこかおかしいですか」


 「おかしいところなんか無いよ。とっても綺麗だよ。唇が赤いね」


 〈クルス〉は薄くお化粧をしているけど、薄い唇だけが妙に赤くて、僕の心に突き刺さってくる。


 「赤過ぎました」


 「そんなことないよ。ただ、キスしたくなったんだ」


 「だ、だめですよ。皆に見られてしまいます」


 「分かっているよ。思っただけだよ」


 「そんなことを言われたら焦ります。胸がドキドキしましたよ」


 「へぇー、〈クルス〉は大勢の前でキスされるのを想像したの」


 「変なことを言わないで下さい。〈タロ〉様は本当に意地悪ですね」


 〈クルス〉は真っ赤になって僕を少し睨んでくる。

 でも、何だか睨んでいる瞳が熱っぽい気もする。


 「〈クルス〉、形見のドレスを着てくれたんだね。嬉しいよ」


 「着てはいけないと言われても着ますよ。

 このドレスは私の宝物ですから、皆に見て欲しいのです。自慢のドレスです」


 〈クルス〉は、胸の部分だけが真っ白な、鮮やかな赤色のドレスを着ている。

 ドレスの首周りはギャザーになっていて、肌の露出は多い方だ。

 袖口もギャザーになっており、母親の形見だから、大人の女性のドレスなんだろう。


 〈クルス〉の白い肌に、赤色の宝石が妖しく光っている。

 この光が、〈クルス〉の唇を、より赤くしたのかも知れないな。

 耳にも赤いイヤリングがユラユラと揺れている。


 「そんな大げさな」


 「私にとっては、大げさじゃないのです」


 〈クルス〉しては、大きな声をあげて僕を睨んでいる。


 「そう、怒るなよ。分かったから。〈クルス〉の言うとおりだ」


 「分かって頂けたなら良いです」


 〈クルス〉は自分の言い分が通ったので、ニコッと笑った。譲れないことだったのだろう。


 「自慢のドレスを着た「クルス」は、まるで赤い薔薇の精だな。王国一の美人だよ」


 「もお、〈タロ〉様。褒められるのは嬉しいのですが。

 薔薇の精はあんまりです。王国一も大げさ過ぎます。

 ここにも、私より綺麗な人が一杯いますよ」


 「僕にとっては、大げさじゃないのです」


 「んふふ、やり返されたのですね、〈タロ〉様。

 本当は、薔薇の精なんて思っていないのでしょう」


 「えー、僕が嘘を言っていると言うのか」


 「〈タロ〉様が嘘付きとは思いませんけど。私がそうだとは言えませんよね。そうでしょう」


 「まあ、今日のところは許しておいてやるか」


 「ふふふ、今日は許して下さい。二人切りの時に口説かれてあげますから」


 輪舞旋楽が終わって、跳舞旋楽が始まった。

 〈クルス〉は、軽快に飛び跳ねて、ドレスの裾を翻している。


 踊るのが楽しいのだろう、クスクス笑っている。〈クルス〉がこんなに笑うのは珍しいな。

 でも、動きが早くなって、他のペアを避けるのが大変だ。

 僕は避けるのに忙殺されて、笑っている暇は無かった。


 跳舞旋楽が終わって、二曲目は休憩することにした。

 勇気を出して、ナンパ、じゃないか、踊りを誘ってペアが増えたからだ。

 避けるのに疲れたのもある。


 休憩は、《青燕》と《赤鳩》以外の人がいる楽団の近くのテーブルにした。

 少しは視線が減るのを期待してだ。

 《青燕》の学舎生は〈ヨヨ〉先生の方を見ているに決まっているから。


 「〈ヨヨ〉先生、連続で舞踏会の演奏お疲れ様です」


 「〈タロ〉君、ありがとう。君は《赤鳩》にも許嫁がいるのですか。

 〈タロ〉君こそお疲れ様です」


 先生が言うと、あっち方のことに聞こえるのは、なぜなんだろう。


 先生は、直ぐにまた楽団の卒舎生と話し出した。

 僕は好みじゃないと言うことか。少し傷つくな。


 「〈タロ〉様、今の女性はどなたですか」


 「楽奏科の先生なんだよ」


 「ふーん、そうなのですか。すごく魅力的な方なんですね」


 〈クルス〉は、水差しからコップに水を注ぎながら、訝し気に〈ヨヨ〉先生を見ている。

 〈ヨヨ〉先生のドレスに興味があるのだろう。

 僕に何か含むところがあるわけは無いはずだ。たぶん。


 休憩していると、女の子が三人やってきた。〈クルス〉の友達みたいだ。


 「《ラング》伯爵様、こんにちは。私は〈クルス〉の友達で〈ネーネミ〉と言います。

 よろしくお願いいたします」


 「私は、〈コロアー〉です。よろしくお願いいたします」


 「私の名前は〈マヤーサ〉です。よろしくお願いいたします」


 「こんにちは、皆さん。〈クルス〉の友達なんだね。

 いつも〈クルス〉に良くしてくれてありがとう。

 それと呼び方は〈タロ〉で良いよ。同じ学舎生だからね」


 「それではお言葉に甘えて〈タロ〉様と呼びますね。私達は呼び捨てで構いませんから」


 「三人とも踊らないのですか。皆、踊っていますよ」


 〈クルス〉は、三人を踊りの方へ行かせたいようだ。照れているのだろう。


 「〈クルス〉、私達はもう一回踊ったよ。今は休憩中なんだ」


 「皆、可愛いから、直ぐに誘われたんだね」


 「きゃ、〈タロ〉様に可愛いって言われた。どうしましょう」


 「どうにもなりません」


 〈クルス〉は少し不機嫌になってきた気がする。

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