第108話 「腹鍋屋」
「それは勘弁して下さい。うろつかれたら、許嫁の方々に怒られます。
それじゃ、鱈腹町の母が働いていた店で、夕食にしても良いですか。
汚い店ですが、鱈腹町では有名な店です。味は保証しますよ」
〈リク〉と二人で、母親の勤めていた店にやってきた。
店は「腹鍋屋」と言う名前で、軒先の赤いランプに、太い文字で黒々と書いてあった。
店へ入ると、小さなテーブルと小さな椅子が、所狭しに、五十脚以上並んでいる。
まだ夕方だけど、もうすでに、七割くらいのーブルが埋まっているようだ。
繁盛している店だ。
大きな店だが、それ以上に客を詰め込むんだな。客と客との間が、殆どない。
客にぶつかりながら、給仕しているぞ。これじゃ、足が悪いと働けないな。
料理のメニューは、一種類しかない。簡単に言うとホルモン鍋だ。
凸凹に凹んでしまった薄い鉄鍋に、大量のキャベツとニラみたいな野菜、牛の臓物肉とタレを入れて炊くだけのシンプルな料理だ。
水や出汁は一切入れない。野菜から出る水分のみで炊く鍋だ。
大量のキャベツで最初は蓋が全く締まらない。
キャベツが炊けてくると、段々蓋が閉まってくる。
〈リク〉の「もう良いですよ」と言う声で鍋にとりかかる。
鍋の蓋を開けて出て来る熱い湯気には、野菜と臓物肉とニンニクの匂いが混じっている。
タレにすりおろしたニンニクが入っていたんだろう。
渾然一体の合わさった匂いが、交響曲のように僕の胃袋を震わせる。
メインの臓物肉は、色々な部位がこれでもかと使われている。
ハチノス、センマイ、後は分からない。
正肉以外の胃や腸などの内臓部分が、とにかく色々だ。
臓物肉には、一切臭みが無い。丁寧な下処理がされているんだろう。
部位によって、コリコリやくにゅくにゅした歯ごたえ、ねっとりとした脂肪の甘み、多彩で多様な性格を味あわせてくれる。
部位ごとに違った美味しさがある。
だが、調和もしている。それぞれの感触や味が喧嘩していない。
ピリッとしたタレが皆をまとめているのか。
柔らかくなったキャベツは、しんなりとなっているが、臓物肉のエキスをたっぷりと吸って、信じられないくらい美味しい。
元からあったキャベツの甘みと、臓物肉の少しづつ違う旨味が結合されている。
旨味の化学反応だ。味覚のビックバンだ。膨張じゃない、逆だ。
美味しさがキャベツに、指数関数的急収縮されている。
僕は間違っていた。
この鍋料理はキャベツがメインだ。
キャベツを美味しく食べるための料理だったんだ。
旨い旨いとキャベツを食べていると、
「ここは、気取った貴族が食べにくる店じゃない」
と、直ぐ横の席に座っている、赤ら顔をした酔っ払いが絡んできた。
〈リク〉は、剣の柄を握って不測の事態に備えようとしている。
僕は僕で、思い切り腹が立ったので、
「こんな美味い野菜鍋を食べにくるなとは、酷いこと言うな」
と怒鳴ってやった。
酔っ払いの兄ちゃんは、
「野菜鍋。何言ってるんだ。この店のは臓物肉の鍋だぞ」
と、怪訝そうな顔をして言い返してきた。
すると、近くの席で食べていたおじいさんが、
「いや。そこの若い貴族さんの言うことが正しい。この鍋は野菜を食べる鍋だ」
と言い出した。
周りの席の人達も、黙っていられないのか、
「肉が旨いのが分からないのか」「野菜が主役だ」「舌がバカなのか」
と勝手に言い争いに参戦してきた。
その後、「野菜鍋」派と「臓物鍋」派とが、店の中で喧々諤々の論争を始めてしまった。
僕と酔っ払いの兄ちゃんは、置いてきぼりだ。
酔っ払いの兄ちゃんは、何でこうなったのか理解出来ないんだろう。
あっけにとられたような顔で、茫然としている。表情を無くしている。
〈リク〉が、「もう出ましょう」と言うので、しつこくすくっていた鍋の汁を諦めて、店の外に出た。
〈リク〉が、おごってくれたが、値段は驚くほど安い。
礼を言うと、〈リク〉は、「おごるというほどの金額では無いです」と苦笑いしていた。
「ただ、私は断固として「臓物鍋」だと思います」と、真剣に言ってきたのが、何だか可笑しい。
「そこは譲れません」と言った〈リク〉も、言った後に笑っていた。
〈リク〉の母親は、「腹鍋屋」から少し離れた路地にある、借家の二階に住んでいる。
見た目は、やつれている感じだな。
「ご領主様、こんなあばら家に、わざわざお越し頂いて、真にすいません。
息子を雇って頂いて、大変感謝しております。ありがとうございます」
母親は、小さく内に籠ったような声だが、まともで丁寧な挨拶をしてくれた。
「こちらこそ、急に押しかけて申し訳ない。息子さんには、いつもお世話になっています」
双方の挨拶が終わった後、話が続かない。
母親に身体の調子を聞いても、「はぁ、はい」とだけで、まともな返事が返ってこない。
端から、僕と話し合いをするつもりは無いようだ。
要らないお世話だと思っているんだろうな。
可愛い一人息子でダメなのに、見ず知らずの僕が何とか出来るはずも無い。
このままでは、ここまで来た意味が殆ど無いな。
仕方が無い、せめて世間話でもして帰るか。
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