第103話 重たいですか

 「これは試し用の鞄です。実際に手に持ってみてください。

 重さや持ち手を握った感じと、中の容量も確認してください」


 二人は、手に持ったり、小脇に抱えたり、留め具を外して中を見たり、鞄を嘗め回すように確認している。

 熱心だな。僕は暇だ。

 暇だから、工房でも覗くか。


 工房では、五十代くらいの小さいおっちゃんが、肘を立てながら革を縫っていた。


 おばちゃんは、大きいけど、おっちゃんは、小さい。

 いわゆる、蚤の夫婦だな。たぶん、仲は良いのだろう。


 鞄屋のおっちゃんの手は、たことかまめが一杯あって、関節が節くれだった働き者の手だ。

 一生懸命頑張って、おばちゃんの大きな身体を支えてきたのだろう。


 夜も下で頑張って支えたかは、分からない。

 おばちゃんは、とても重そうだからな。


 聞いてみよう。


 「重たいですか」


 「《ラング》伯爵様、色々お世話になっています。ありがとうございます。

 任せて下さい。軽くて丈夫な物を作ります。少々乱暴に扱っても壊れませんよ」


 「少し、乱暴に扱った方が良いのですか」


 「いや、当然、丁寧な方が良いです。

 しかし、直ぐに壊れるような物はいけません。

 革の鞄は、長年使って貰って、手になじんでからが真骨頂です」


 「触りまくって、手になじませるということですね」


 「そうですが、触ったら、後の手入れも大事ですよ。

 時々は、油や乳化油を塗ってあげて下さい」


 人生の先達から得難い話を聞いた。

 触るだけではダメらしい。


 オイルやクリームを、肌に塗ってあげなくてはいけないらしい。

 あんなにテレビで、CMを流しているもんな。女性には、必須なんだろう。


 オイルかクリームを買って、〈アコ〉と〈クルス〉に、ニュリニュリ塗ってあげないといけないな。

 色んなところを、ニュプリヌプリ塗ろっと。


 「ありがとう。ためになったよ」


 「たいしたことは言っていませんが、お役に立てて良かったです」


 〈アコ〉と〈クルス〉の方を見ると、椅子を出して貰って、本格的に鞄の吟味をしている。


 二人とも、外套は脱いでいるが、冬服の露出は少ないな。

 辛うじて見えているのは、ふくらはぎの裏側だけだ。

 その下は長めの白い靴下を履いている。


 二人ともこうして見ると、足首が細くて長いな。

 〈アコ〉も身体つきの割には細いと思う。


 足首(ただし、靴下に包まれた)を見ていたら、二人が後ろを振り返って、こっちへ来いとの、視線を送ってきた。

 はいはい、今行きますと、僕は二人の後ろまで接近させて頂いた。


 「〈タロ〉様、鞄の持ち手は、どのようなのが良いと思います」


 「そうだな。細くて長いのが良いんじゃないか」


 「ふーん、細くて長い、ですか」


 「伯爵様、良いかもしれません。今までない形です。

 細い持ち手は、お嬢様方の可憐さを引立てますよ」


 「〈タロ〉様、感性が良いですわ。決まったわ」


 「〈タロ〉様は何でも凄いですね。良い鞄になりそうです」


 何とか鞄のデザインが決まって良かった。もう選び終わったよね。


 「それじゃ、店を出ようか」


 「まだ、ダメですわ。舞踏会があるのです」


 「そうなんです。舞踏会なのですよ」


 「えっ、舞踏会が何か関係あるの」


 「何、言っているのですか。大ありです」


 「舞踏会用の小型の手提げ鞄が必要なのです」


 「えっ、今のじゃダメなの」


 「なに、馬鹿なこと言っているのですか」


 「〈タロ〉様は、流石にそれはあり得ないです」


 二人に強烈なダメ出しを食らった。ノックアウトだ。

 鞄を作るのは時間がかかるので、今頼まないと間に合わないと、あほの子扱いもされた。


 二人とも、落ち込んでいる僕は眼中に無い感じで、小型の手提げ鞄の見本をこねくり回し始めている。

 もう一度繰り返しだ。まだ、まだ、かかるぞ。


 また、工房を覗くしか無いな。


 鞄屋のおっちゃんは、無言だが、「今は忍耐だと」慰めるような眼差しで僕を見ている。

 「我慢。我慢」と目で語っているようだ。


 おっちゃんも、おばちゃんの言動に、長年耐え続けてきたのだろう。

 おばちゃんは、喋りまくりそうだしな。


 「すべてものごとには終わりがある。したがって忍耐は成功を勝ち得る唯一の手段である」と偉い人も言っていた。


 おっちゃんは、仕事の手を止めて、僕にお茶を入れてくれた。


 「安い葉っぱですが、良かったら飲んで下さい」


 「ありがとう。頂くよ」


 「お嬢さん方、真剣ですね。初めての舞踏会なんでしょう」


 「そうだよ」


 「こう言ったら、失礼ですけど、可愛いらしいもんですね」


 「可愛らしいかな。聞こえたと思うけど。僕は怒られたよ」


 「伯爵様に、恥をかかせられないと思っているんですよ」


 「ほんとにそうなの」


 「二割はそうだと思います」


 「たった、二割なの。後の八割は」


 「三割は知り合いへの対抗心で、四割は自分の納得感って、昔、昔、連れ合いが言ってました。

 人にもよりますし、連れ合いも、自分の気持ちをはっきり分かって無かったかもしれませんけど」


 「へぇー、そうなんだ」


 「私は、これを聞いた時には、「ケッ」二割だけかと思いましたが、今は二割もあるのかと思っていますよ」


 「達観したんですね」


 「達観でもないですよ。

 ただ、二割は考えてくれているんだな、可愛いところも、あるんだなと思いましてね」


 「そうですか」


 人生の先達は、やはりすごい。足るを知っている。

 大きなおばちゃんのことを、まさか、可愛いと言うとは思わなかった。


 昔は可愛いかったのかも知れないが、僕の〈アコ〉と〈クルス〉の方が、百倍可愛いに決まっている。

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