第102話 「両脇絞る胸強調」防御
春に売る果物は決まったのに、〈カリナ〉の顔はもう一つ晴れない感じだ。
〈リク〉の悩みと何か関係しているのかも知れないな。
こちらも、もう少し様子をみてみるか。相手は、もう大人なんだから。
新しい店の方は、内装も完了して、〈シーチラ〉が開店準備をしてくれているようだ。
一度覗いてみよう。内装の出来具合が楽しみだな。
次に、〈アコ〉と〈クルス〉の鞄を買いに行くことになった。
今持っている鞄は、とにかく、とっても、とりあえず、お洒落じゃないらしい。
〈アコ〉が言うには、伯爵様の許嫁に相応しい、小粋な鞄を持ちたいってことみたいだ。
掌を合わせて、両脇を絞るように胸を強調されて「良いでしょう。お願い」と言われたら、僕が抵抗するのには難易度が高すぎた。
〈クルス〉も、小さな声で「お願い」って、呟いてたしな。
いつの間に、示し合わせたんだよ。
「両脇絞る胸強調」防御は、伝説の聖剣でも持っていないと破れない。
でも、僕が買ってあげることになるから、防御じゃなくて、攻撃なのか。
伝説の聖盾も無いな。
どちらにしても、〈アコ〉が本気を出して、〈クルス〉がアシストしたら、僕には到底太刀打ち出来ない。
丸腰状態での、男の武器もお粗末なもんだからな。
この世界では、鞄は全てハンドメイドとなっており、材質、製造方法、職人の技術によって、ピンからキリまであるようだ。
クオリティもピンからキリで、価格もピンからキリだ。
平民用から、貴族用まで幅広く、あるってことだろう。
ただ、〈アコ〉が言うには、上等な物だったら、それで良いわけではないらしい。
学舎生の身の丈を超える物ではいけない不文律があるようだ。
上等過ぎると、半人前の学舎生のくせに、偉そうだと思われて、反発を食らうとのことだ。
伯爵の許嫁に相応しい物と、学舎生の身の丈との、せめぎ合いの中から、適切な物を選ぶ必要がある難しいミッションだ。
「鞄なんか適当で良いじゃないか」と言う言葉を、グッと飲み込む知恵は、僕にも備わってきた。
著しい成長だ。自分を褒めてあげたい。
侃侃諤諤の相談の結果、我が裏通り商店街の店で、最高の物を買うことになった。
裏通りなので、ブランド力が殆ど無いことと。
意外に、店の質が悪くないのが分かってきたのが、大きな要素だ。
表通りに店を構える資金力は無いが、人通りの少ない場所でも、店を続けていけるノウハウを持っているってことだ。
出店にかける資金を、品質等に回しているとの希望的観測もある。
それに、ご近所さんで買うと、何だか友達に良いことをしたような気分になれる。
ちょっぴり一体感が生まれたような気がして、少しだけ暖かくなるんだよ。
鞄を売っている店は、〈クサィン〉の商会の店の二軒隣にあった。
看板は、旅行鞄の形をした古びた木製のが、店先に吊してある。
〈注文承ります 鞄屋〉と書いてあるだけだ。
店名が〈鞄屋〉。なんて、適当な名前なんだ。何も考えていなんじゃないか。
店の中は、ワンフロワになっていて、奥の方に工房があるようだ。
シュルシュルと音がするのは、革を縫う音だろうか。
なめした革の独特の匂いもしている。
完成品の鞄が、窓際に五個並べられているだけの、シンプルな店だ。
「邪魔するよ。鞄を注文したいんだけど。良いかい」
「ひゃ、吃驚しました。
《ラング》伯爵様ですか、そうですよね。こんな立派な方、他にいやしません。
わざわざ、こんな汚い店にきて頂いてすいません。
〈カリナ〉ちゃんのことは、ありがとうございました。本当に良かったです。
果物店で生き生き働いているのを見て、ホッとしていますよ。
蜜柑も美味しかったです。あんなの美味しいの生まれて初めてですよ。ほんとですよ。
今日は婚約者様のお鞄ですか。
お二人ともお綺麗で、さすがは伯爵様のお嫁さんになる方は違いますね。
私なんかは…… 」
鞄屋のおばさんは、でっぷりと肥えた、四十から五十代の愛想が良さそうな人だ。
性格が明るくて、社交的な気がする。
ただその分、話が長いので、悪いけど遮って、もう一度用件を伝えた。
「ええっと、鞄を作って欲しいんだよ」
「あっ、これはすいません。つい話し込んでしまって。
どのような鞄をお求めですか」
ここからは、〈アコ〉と〈クルス〉に説明してもらおう。僕の鞄では無いからな。
「大きさは、一、二泊用で、手提げの鞄が良いですわ」
と〈アコ〉が、鞄屋のおばさんに説明しだした。
「おっ、〈アコ〉。何か、お泊りするの」
「違いますわ、〈タロ〉様。鞄の容量の伝え方です。大人しくしてて下さいね」
僕は、邪魔者の用無しにされてしまった。やはり、沈黙は金なのか。
「それじゃ、このくらいの大きさで、よろしいでしょうか」
と鞄屋のおばさんは、並べてある鞄の一つを指さした。
「うーん。そのくらいだわ。〈クルス〉ちゃんはどうなの」
「私は、その横のもう一回り大きい寸法の方が良いです」
とその横の鞄を指さした。
鞄屋のおばさんは、それぞれの鞄を持ってきて、〈アコ〉と〈クルス〉に手渡した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます