第87話 広がるスライムゼリー

  「んふ、〈タロ〉君の胸板、見かけより厚いわ。男らしいのね。

  先生の手が届かないから、もっと引っ付くわよ。仕方ないのよ」


〈ヨヨ〉先生は、リュートに手を届かせるため、僕に思いっ切り密着する。

僕の背中に、〈ヨヨ〉先生の豊満な胸が押しつけられる。


〈アコ〉とは、また違った柔らかさだ。

ゼリーのように広がって、僕の背中の全面に甘い痺れをもたらす。


 このおっぱいモンスターは、弱麻痺毒性を持っているのか。

 〈アコ〉の「メロンおっぱい」に対抗する、「広がるスライムゼリーおっぱい」と名付けよう。


 どうして対抗しているんだ? 

 《アルプ》国王杯おっぱい全国選抜選手権大会でもあるのか。 

 あったら、審査員で参加したい。


 〈ヨヨ〉先生は、僕に密着したまま、リュートを奏で始めた。


 〈ヨヨ〉先生の長い髪が、僕の顔と手にかかって、繊細な爪先で撫でられているようだ。

 少しくすぐったい。


 〈ヨヨ〉先生のエキゾチックな香水の香りと、大人の女性が崩れかける刹那に高く香る匂いとが、混ざり合って、僕を爛れたゼリーの夢に沈めてしまう。


 「んふん、〈タロ〉君、先生の演奏は、どう身体に響きましたか。

 リュートから紡ぎ出される音に興奮したでしょう。

 リュート初体験から、〈タロ〉君は既にリュート経験者よ。

 もう一人立ち出来ているわ」


 いや、一人立ちは出来て無いだろう。まだ、一回も弾いてないぞ。

 音階すら分かっていないよ。


 折角の演奏も、〈ヨヨ〉先生の「広がるスライムゼリーおっぱい」に気を取られて断片的にしか聞いてない。


 それと、我に返って周囲を見ると、他の生徒の視線がやけに厳しい。


 〈ヨヨ〉先生に、一人だけ指導されたのが妬ましいのか、「広がるスライムゼリーおっぱい」を背中に感じているのが気に入らないのか。


 ここは、一人だけ指導されたのが妬ましいとしておこう。


 《黒鷲》の授業のことなど知るわけも無いから、大丈夫だとは思うけど。

 僕は全く悪くないが、〈アコ〉と〈クルス〉には言わない方が良いだろう。

 秘密にしておこう。


 「本日の〈ヨヨーカル〉の「楽奏科」の授業は終了いたしましたわ。

 次の授業でも輝く少年の頬を見せて下さいね。ごきげんよう」


 待ちに待ってた休養日が訪れた。

 今日は、前みたいに失敗しないぞ。


〈リク〉にも稽古の後、残っているようにちゃんと言ったので、《黒鷲》の門の前で待っててくれた。


〈リク〉を連れて、《白鳩》の門まで行くと、大勢の人が既に待っている。

 僕みたいに許嫁を連れ出す学舎生と、護衛の人で賑やかだ。

 護衛の人だけの場合も多いようだな。


 貴族といっても、全ての学舎生が婚約しているわけじゃ無いらしい。


 領地貴族の跡目以外は、就職も控えているし、騎士の子弟はそれどころでは無かったんだろう。


 待っている男子の学舎生も、二学舎生や三学舎生が多い気がする。


 見知った顔は、「先頭のガタイが良いやつ」だけだ。

 今は、行儀の良いことに、汗を撒き散らしてはいない。


 しばらくしたら、〈アコ〉が笑顔で門を出てきた。

 《白鳩》の学友達と談笑しながら、僕に近づいてくる。


 その時、後ろから追い抜いた女生徒に、


 「あら、今日は置いてけぼりでは無かったの。良かったわね」


 と嫌味を言われてたようだ。


 〈アコ〉がその子をキッと睨んで、


 「ご心配して頂いてありがとう。

 〈タロ〉様はもう領主ですもの、ご用事が色々とあるのです。

 でも、とっても大切にされていますから、ご心配して頂く必要はありませんわ」


 と言い返している。


 女性同士の喧嘩と言うか、言い争いに対して、どのような態度を取るべきか、悩む。

 僕の失敗が標的になっているしな。

 ハハハ、どうしたもんでしょう。


 〈アコ〉は、一緒に歩いてきた女子生徒に「また、夜に」と言って、僕に話しかけてきた。


 「〈タロ〉様、お迎えありがとうございます。〈リィクラ〉さんも、来てくれたのですね。

 ありがとうございます」


 先程のやり取りを微塵も感じさせない、爽やかな言い方だ。

 僕も触れないでおこう。それが良いだろう。そうしよう。


 「〈アコ〉、久しぶりに会えて嬉しいよ。今日は失敗しなかっただろう」


 「フフッ、そうですね。嬉しいですわ」


 次は〈クルス〉の方だ。

 《赤鳩》の門も大勢の人が待っている。


 許嫁を連れ出そうとしている学舎生は殆ど見えないな。

 護衛の人だけが多いようだ。


 《赤鳩》の学舎生が、婚約している割合が相当低いのかも知れない。

 熾烈な入学試験で、そんな暇は無かったんだろう。


 しばらくしたら、〈クルス〉が小走りで門を出てきた。

 〈クルス〉は一人きりだな。


 「〈タロ〉様、お待たせしました。〈リィクラ〉さんも、ありがとうございます。

 〈タロ〉様、お変わりありませんか」


 「〈クルス〉、僕は元気だよ。〈クルス〉の方はどうなんだ」


 「私も問題ありません」


 〈クルス〉は、〈華咲服店〉で買ってあげた外套を着ている。

 この前は精神的にあっぷあっぷだったから、見ているようで、見て無かった。


 確かに店主が言うように、《赤鳩》の制服に少し濃い桃色が良く映えて、〈クルス〉の清楚で整った顔を引き立てている気がするな。

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