第65話 〈ラング川〉の流れ

 〈カリナ〉は、慌てて店を飛び出して、彼を呼びにいった。

 もう雇われる気になっているぞ。


 見え透いたお世辞も言うし。

 断ったら、これは延々泣き落とし戦法でくる気だな。


 〈カリナ〉が、店を飛び出したので、店の入口を警護していた〈ハヅ〉が、心配して事情を聞いてきた。


 事情を話すと、


 「ほう、我が《ラング》伯爵家も、またもう一つ箔が付きますね

 貴族になるのも考えものだ。色々複雑なことがあるんですね。

 国王直属軍を首になるのは、分かる気がします。

 平民が、貴族に命令は出来ないし、かといって、隊長にすれば、今の隊長が首ですからね」


 と何やら、自分で言って自分で納得している。


 〈ハヅ〉と話している所へ、噂の彼がやってきた。


 身長は、百七十五cmを超えて、体重も百キロ近くある、見るからに偉丈夫だ。

 兵士の鏡のような体格だな。


 この体格でないと、あの戦勲はたてられないのだろう。


 顔も〈ハヅ〉と甲乙付け難いほどの、イケメン野郎だ。


 一緒にいると、僕が醜(ぶ)男になってしまう。

 雇うのは止めよう。


 「ご領主様、騎士の〈リィクラ〉と申します。

 会いするのは、戦勝祝賀会と合わせて、二回目でございます。

 戦功を立てて、こんなことになるとは、夢にも思っておりませでした。

 後は、ご領主様のお慈悲にすがるしか、すべがございません。

 私は、武辺一辺倒の粗忽者なれど、真面目さだけは、誰にも負けません。

 何卒よろしくお願い致します」


 戦勝祝賀会で会ったのは、人が多すぎて、まるで覚えてないや。


 騎士の〈リィクラ〉は、〈ハヅ〉にも丁寧に挨拶をしている。


 「先輩、よろしくお願いします」


 と騎士の〈リィクラ〉に言われて、ハッハッと笑いながら


 「分からないことは、何でも聞いてくれよ」

 と言ってやがる。


 お前が決めるなよ。


 でも、真面目なのは、態度で分かる。

 視線は愚直に前を向き、直立不動の姿勢が少しも崩れない。


 真面目過ぎて、困ったことになりそうな気がするくらいだ。

 国王直属軍を首になったのも、案外このことが原因かも知れないな。


 まあ、真面目が何よりだ。

 仕方が無い採用しよう。

 しないと、僕だけが悪者になりそうだ。


 「人柄が良いのは分かったから、雇うよ。よろしく頼む」


 お手伝いカップルは、手を取り合って、涙を流して喜んでいる。


 〈ハヅ〉も、何故か両手を組んで「良し、良し」と頷いているぞ。


 何だかな。


 「でも、結婚前だけど同棲するの」


 〈カリナ〉は、ぽっと赤くなって、


 「決して同棲ではなのいです。同じ階には住みません」


 騎士の〈リィクラ〉は、「いかがわしいことなど、滅相もございません」


 と生真面目に答えている。



 それで、良いのか。

 しょせん、同じ屋根の下じゃないか。


 「〈カリナ〉、女性の方がそれで良いなら、構わないが。

 婚姻まで至ら無かっても、僕は知らないからな」


 〈カリナ〉は、

 「そんなことは絶対ありえません」


 とムッとしてたけど、女と男の間には、もう一本の〈ラング川〉が流れていると言うしな。


 今も、同棲してからも、渡るのだろうが、いつまで渡れるかは〈ラング川〉の流れ次第だ。


 仕官の話で長くなってしまったが、同棲カップルの引っ越しは、翌々日となり、翌々週から、果物の店頭販売を開始することになった。


 販売する果物は、ずばり蜜柑だ。


 冬の時期に南国の果物は、蜜柑しか無い。

 この世界では他には無いんだ。


 蜜柑なら実績はあるから、多分大丈夫だ。


 店舗の用事は片付いたので、昼食を食べて、〈アコ〉のいる西宮に向かった。


 門番のおっさんと軽く挨拶をして、西宮に入って行く。


 門番のおっさんは、

 「ようやく、護衛を付けられたのですね」

 と困った子供が改心したような目で、見てくる。


 今日は、〈アコ〉も母親も、自分たちの部屋で過ごしていた。


 「お久しぶりです」と挨拶を交わして、〈ハヅ〉を紹介する。


 母親は〈ハヅ〉を気に入ったようで、微笑みながら、会話を楽しんでいる。


 イケメンだからな。


 〈アコ〉も、〈ハヅ〉の方ばかり見たらどうしようと心配してたけど、そうじゃ無かった。


 最初の挨拶の時に、チラットと見ただけで、後は僕の方を向いて、僕を見て話している。

 〈アコ〉の審美眼は素晴らしい。


 今直ぐに抱きしめたいけど、邪魔なのが二人もいる。


 庭に出ようとしたら、もしもの事があったらと、〈ハヅ〉も付いて来ようとする。


 無理に〈アコ〉と庭に出るのは、二人きりで何かしたいのが、バレバレになってしまう。

 変に邪推されそうだ。


 いや、邪推じゃないか。


〈アコ〉と、もっと邪なことがしたいんだ。


 思い通りにならなくて、ストレスを溜めていると、〈アコ〉が二人の目を盗んで、僕の手をチョンチョンと指で二回叩いた。


 何かの合図のようだ。


 「失礼して、お化粧室に行ってきます」


 と言って、部屋を出ていく。

 僕も、慌てて「僕も行きます」


 と言って、部屋を出たら、〈アコ〉が、廊下を少し進んだところで、待っていた。


 〈アコ〉は僕の手を引いて、無言で廊下を歩いて行く。


 左手に曲がったところにある扉を開けて、部屋の中を覗き込んで確認してから、僕を部屋に招き入れた。

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