第64話 彼は、聞かないのです
《アンサ》の港への航海は、冬で少々荒れたが、「深遠の面影号」は頼もしく、荒波を乗り越えて進んだ。
結構揺れて、〈ハヅ〉が「げーげー」苦しそうに吐いて、船倉で死にそうになっていたこと以外は、順調だ。
〈ハヅ〉は、よほど苦しかったのか、誰か女の子の名前を呼んで、「助けて」って呟いたらしい。
皆に、航海中散々揶揄われていたみたいだ。
朝早く起きて、下船して、借りた馬車で王都に向かう。
節約のため、小さくて古い馬車だ。
宿も、古い平民向けのもので、狭い部屋にした。
寝るだけなので、贅沢はしない。
元「煉瓦と鍛冶の店」は、もう改修が終わって、小奇麗な店構になっていた。
奥の工房跡にも、三階建ての屋敷が立派に竣工している。
屋敷といっても、大きめの民家みたいなものだけど。
煉瓦職人の〈カリィタ〉の妹の〈カリーナ〉を、呼び出してあるので、簡単な打ち合わせを始めよう。
「〈カリーナ〉、仕事中悪いな」
「ご領主様、お久ぶりでございます。
今の仕事はお手伝程度なので、問題ありません。
伯爵様に成られたのですね。誠におめでとうございます。
直接お話するのは失礼ですが、私のことはどうぞ〈カリナ〉とお呼びください」
「それじゃ〈カリナ〉、今後の打ち合わせがしたいんだ。
まず、この屋敷に住んで管理して欲しいんだが、どうかな」
「有難いお申し出なのですが、一軒家に女一人で住むのは、正直、防犯上問題があるかと思います。特に夜間が心配です」
そうだよな。この人、この前まで、ならず者に追われていたからな。
「そうかも知れないな。何か代案はあるかな」
「一つあります。
用心棒と言いますか、腕の立つ人を住まわせたら、問題は解消されると思います」
「ほー、そんな都合の良い知り合いがいるの」
「一人知り合いがいます。
平民から戦功で、騎士に昇爵した人なので、腕は確かです」
「えっ、騎士っていったら、最下級だけど貴族じゃないか。
そんな人雇えるの」
「ご領主様は、伯爵様なので問題なく雇えます。
男爵では少し難しいかと。
騎士が配下にいると、貴族としての箔付けにもなります。
仕官を求めている騎士は少ないのですが、先程言いましたとおり、あてがあります」
「その人は、どうして《ラング》伯爵家を選ぶの」
「実は、その人とは、幼馴染で結婚の約束をしているのです。
貴族家に仕官するためには、私が邪魔なのですよ。
ご領主様もお分かりになると思いますが、武官を雇う場合は、忠誠心が何よりも重要視されます。
貴族家当主の命に関わりますから。
平民上がりの騎士が仕官するには、仕官先の貴族家の娘を正妻にして、一族になることが求められるのです。
厚かましいお願いですが、雇って頂ければ、大変有難いのです。忠誠心は私が保証します。
何か落ち度があれば、私の命で贖いますから、どうかよろしくお願いします」
私が保証しますと言われてもな。
「興味本位で悪いんだけれど、すでに結婚している人が、仕官する場合はどうするの」
「平民上がりの騎士は滅多にいないので、例は数少ないのです。
その場合は、現在の妻を側室に落として、貴族家の係累の娘を正妻にすると聞きました。
ただ、彼は、私を側室にするくらいなら、仕官はしないと言って聞かないのです。
味方が誰もいない土地では、正妻側から、酷い目にあわされるのは、火を見るより明らかだと、言うのですよ」
半分以上のろけのように聞こえるな。
正室にも愛情を注いだら良いのではと、聞いたら
「彼は私にしか、愛情は注げないと言うのですよ」
って、きっと言いうぞ。
僕は、正室にも側室にも、平等に愛情を注ぐぞ。
プルプル、女の修羅場は、考えただけで怖いからな。
ただ、彼の気持ちも分かる。正妻がどんな子でも拒否出来ないからな。
その点、僕は恵まれている。三人の許嫁は、可愛いし美人だし、性格も素晴らしい。
感謝しなくては、罰があたりそうだ。
「その彼は今どうしてるの」
「それが、国王直属軍の兵士頭だったのですが、貴族になったので、除隊になってしまいました。
今は近くの剣術道場でお手伝いをしています」
カップルが、仲良くお手伝いか、生活は大丈夫なのか。
「国王直属軍の兵士頭って、この前昇爵した人なの」
「そうなのです。
ご領主様と同時に昇爵したのです。
これも何かの縁と思って頂いて、どうかよろしくお願います」
最後は、拝んできたぞ。
相当追い詰められているようだな。
確かに同じ空気を共有した縁はあるかも知れない。
剣の腕は折り紙付きだし、安くて箔が付くなら良いか。
ゆくゆくは、夫婦ともども領地に移住させれば、何か使い道はあるだろう。
「分かったから。
神様じゃないんだから、拝むなよ。
給金が安くて良いなら、考えてみるよ。
でも、本人に合って、人柄を確認してからだよ」
「あっ、有難うございます。
この御恩は一生忘れません。
実は、彼は、麒麟児の《ラング》伯爵様に、ぜひお仕えしたいと、近くまできているのです。
直ぐに呼んでまいりますので、暫くお待ちを」
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