第43話 西宮の〈アコ〉

 王都に来たのだから、「アコ」に会いに行こう。


 「アコ」とその母親が、王宮に無事逃げてきたとの情報は、もう入手している。


 嫁ぎ先からの抵抗は特に無く、離縁は拍子抜けするほど簡単に成立したようだ。

 厄介払いの手間が省けたと思っているのかも知れないが、王宮との関係悪化は気にならないのか。

 側室の横暴以外にも、何かある気がする。


 「アコ」母娘は、王宮の中でも、西宮と呼ばれる建物に落ち着いている。

 西宮には、王室に連なる者のうち、国王の祖母を始めとした年老いた人や病弱な人が主に住んでいるようだ。

 「沈着の宮、ゆるり宮、侘び宮」と揶揄するような言い方もあるらしい。


 王宮の端にある古びた小さな門が、西宮への入り口だ。

 門番の衛士もベテランが二人で務めている。


 訪れる人が少ないみたいで、中へ入りたいと告げると「エッ」っていう顔をされた。


 貴族証は持ってきていないので、「アコ」に取り次いで貰って、確認出来てから通されるようだ。 


 身分を疑われている訳では無く、規則ということだ。

 子爵家の当主が単身で訪ねてくるという行為が、あり得ないようで、騙す気が微塵も無いと受け取られたみたいだ。


 当主が一人で、町をウロウロと歩き回っているのを知って、門番の衛士はため息をついていた。

 常識が無くて悪かったな。


 〈クサィン〉がしきりに、護衛を付けるように言っていたのはこういう事か。

 まだ貴族の振る舞いに慣れていないな。


「アコ」を待っている間、衛士が、手土産に持ってきた籠に入った蜜柑を、チラチラ興味深げに見てくる。

 これからの事もあるかなと思って、交代の人の分も含めて六個あげることにした。


 よほど嬉しかったのか、白髪交じりの初老のゴッツイおっさんが、ニコニコ喜んで、盛んにお礼を言ってくる。

 おっさんの好感度が上がっても、あまり嬉しくないな。


「タロ様、あぁ、タロ様、私を忘れないでいてくれたのですね。嬉しくってたまらないです。

 ずっと、ずっと待っていました」


 「アコ」が笑顔で、小走りに駆け寄ってきた。

 僕の身体に触れそうなほど近づき、泣くのを堪えているようにも、待たされて拗ねているようにも見える顔をしている。


 「「アコ」、元気そうで良かった。合えて嬉しいよ。

 もっと早く来れたら良かったんだけど、遅くなってゴメン」


「いいえ。タロ様が会いに来て下さっただけで十分です。

 立ち話も何ですので、こちらにいらして下さい」


 門番の衛士は「ゆっくりしていって下さい」と通してくれた。

「アコ」は、門番の衛士に「お手数をかけました」って言って、建物の中へ僕を連れて入って行く。


 西宮は、三階建てのそこそこ大きな建造物だ。

 庭もあって、小さな木製の東屋が何棟かあり、随所に灌木が植栽されている。

 西宮本体と東屋の壁には、蔦がびっしりと張り付いていて、植物系の精霊の誰かが、この場所に縛めの術を掛けたようだ。


「お母様、入ります。「タロ」様が来てくれました」


「アコ」母娘が暮らしている所は、西宮の北側にある二間続きの決して広いとは言えない部屋だ。

 四人入れば一杯になる居間と奥に小さな寝室があるようだ。

 居間には小さな台所があるけど、本格的な料理は作れそうにない。

 食事をどうしているのか、心配になるレベルだ。


「「タロ」様、良くいらして下さいました。心からお待ちしておりましたよ。

 狭い所で恐縮ですが、どうぞお入り下さい」


「「タロ」様、本当に狭いのですが、そこの黒い椅子に座って下さい。

 直ぐに、お茶をお出ししますので」


 黒い革張り椅子は、この部屋で一際高価な調度品のようだが、僕が座っても良いのか。

 主が座る物じゃないのかな。指示されたんだから、しょうがないか。


「「タロ」様、お父様のご不幸心からお悔やみ申し上げます。さぞやお辛いでしょう」


「私も「タロ」様のお気持ちを思うと、本当に悲しくなりました。ご冥福をお祈りします。

 色々お疲れだと思いますので、どうか無理だけはなさらないで下さいね」


「「ハル」様、「アコ」、心から衷心頂いて有難うございます。

 もう、吹っ切れましたし、無理もしてないので、心配しないで下さい。

 大丈夫ですので、違うことを話しましょうよ」


「分かりました。お父様のお話はここまでにします」


「「タロ」様、粗茶ですがどうぞ。

 大したものでは無いですが、お茶請けもありますので摘まんで下さい」


「「アコ」有難う。頂くよ。それとこれは、お土産の蜜柑なんです。良かったら食べて下さい」

「まぁ、蜜柑ですか。こんな珍しい物を本当に頂いても良いのですか。

 量もこんなに一杯、お高いのではないですか」


「気にしないで下さい。実は今度、訳あって蜜柑を王都で販売したんです。

 これはそれの余剰みたいな物ですから、高価でもないんですよ」


「そうなのですか。では、遠慮せずに有難く頂きます」


「「タロ」様、有難うございます。私、蜜柑を食べるのは初めてなんです。楽しみですわ」


「アコ」母娘は、「甘くて、酸っぱい」って言いながら、嬉しそうに蜜柑を食べている。

 二人とも白い筋を取る手つきが、繊細でお上品だ。


 最初部屋に入って来た時より、蜜柑を食べたからか、幾分顔が生き生きとしてきた感じに見える。


「それにしても、今回のことは大変でしたね。さぞやお疲れになったでしょう。

 無事、お二人が王宮に帰ることが出来て、本当に良かったです」


「《ハバ》の町を出るのが、少し大変でしたが、後は、上手く運ぶことが出来ました。

 離縁と「アコ」を引き取ることにいたっては、あまりにも簡単でしたので、反って怖いぐらいです」


「そうなのですよ、「タロ」様。《ハバ》の町の出る時は、私ドキドキして心臓が締め付けられるようでしたが、きっと「タロ」様が助けに来て下さると思って、耐えられましたわ」


 流石に《ハバ》の町までは、助けに行けないが、まあ良いか。


「ところで、王宮での生活はどうですか」


「ご覧のとおり、住まいは狭いですが、でも伯爵領にいた時と大差はありません。

 今は安全ですし、憤るようなことも無いのです。

 少し不便な面はありますが、落ち着いた生活です。

 ただ、贅沢な話ですが暇ではありますね」


「私も安心して、心穏やかに暮らせています。

 お母様が言われたように、何もすることが無いのが難点ですね。

 何か習いごとでもしようと思っているのですよ」


「お二人が、安全と心の平穏を手に入れられて、僕も嬉しいですよ。

 ここでの生活に慣れて、新しいことを始められるのも良いですね。

 困ったことがあったら、何でも言って下さい」


「「タロ」様、有難うございます。早速ですが一つお願いがあるのです。

 「アコ」が伯爵家から離籍したため、今「タロ」様との婚約は微妙なものとなっています。

 差し支えなければ、改めて婚約をして頂きたいのです。どうでしょうか」


「それは勿論良いですよ。こちらこそお願いします」 


「まぁ、即答で。感謝します。それでは、書類を用意しますので、少しお待ち願います。

 待って頂く間は退屈でしょうから、「アコ」にお庭を案内させますわ」


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