第40話 蜜柑と兄妹 

 買った蜜柑を船で運んで《アンサ》の港に着いた。


 有難いことに風は順風だったので、思いのほか早く着けた。


  船で運んでいるうちに百個ほどの蜜柑が傷んでしまって、二千九百個になったが、これを一個六銅貨で販売する予定だ。


 値段は、領地維持に必要な額を個数で割った、独り善がりな設定だ。


 〈クサィン〉も「うーん。流石に無理なように思います」と唸っていたが、何とかするしかない。


 相当高額だが、王都はまだ冬の気候だ。

 寒い時期に、滅多に手に入らない南方の果物だったら、何とかなるんじゃないかという、捕らぬ狸の皮算用だ。


 冬枯れの町に、目にも鮮やかな黄色で、柑橘類の爽やかな匂いもするし、ビタミンたっぷりで、健康にも美容にも良いんだから。


 販売する場所は、王都で岩塩を売っている〈クサィン〉の商会の店先を借りてだ。

 二千九百個の蜜柑を港から運ぶのも大仕事だ。

 経費もかかるし、何事かと大勢の野次馬も集まってきた。

 王都は暇人が多いのか、人が集まるのは歓迎だ。


 暇人の中に見たことがある顔が混じっていた。

 掏り未遂犯の〈アィラン〉君が、相変わらず薄汚い格好でこちらを見ている。


「アッ。お貴族様お久しぶりです。その節はお世話になりました」


「〈アィラン〉君、暫くぶりだな。元気にしているか」


「お陰様で何とかやっています。妹も前に比べれば随分元気になりました」


「お貴族様、妹の〈アーラン〉です。ありがとうございました」


 妹さんは、十歳くらいで愛らしい顔立ちなんだろうが、薄汚なくてガリガリに痩せている。

 これで本当に元気になったのか。


「それは良かった。それはそうと、今日は何をしているんだ。

 人混みに紛れて、また、誰かを狙っているのか」


「とんでも無いですよ。そんなことは、していませんよ。

 今は人が嫌がる様な雑用をこなして、何とか生き延びているのです」


「厳しいもんだね。そうだ、頼みたいことがあるんだけど、どうかな」


「恩もありますし、雑用もありませんし、何でもしますよ」


 やっぱり暇なのか。何かないかと、人が集まっているところに、あても無く来ているんだろうな。


「そうか、助かるよ。それじゃ、身体と頭を洗って、小ましな服に着替えてくれ」


「分かりました。でも何をするのですか」


「心配しなくても、危ないことでも、それほど難しいことでも無いよ。

 後で説明するよ」


 店の奥で、身体と頭を洗わせ、古着屋で下着から一式服も買ってこさせた。

 兄妹の耳元にやって欲しいことを説明して、繰り返し練習もさせる。


 蜜柑の売れ行きは、芳しくない。

 ポツポツと買っていく人がいるだけだ。


 このままじゃ、とても二千九百個を捌けそうにないな。

  値段が高すぎたか。


 打開策第一段で、スーパーとかでやっている店頭販売の真似をして、蜜柑の房を集まっている人に、試食して貰うことにする。


 店員に指示を出すと、こんな高価な売りものを只で配るのかと躊躇したけど、まず味を知って貰う必要があるんだと押し切った。

 売れなかったら腐るだけだ。


「試しに一房いかがですか。甘いですよ」


「甘いな」


「本当に美味しいよ」


「匂いも爽やかだ」


「俺にもくれよ」


「私も欲しいわ」


 人が人を呼んで人でごった返してきた。

 試食は大盛況だが、売り上げは中々伸びない。


 もう一押するため、打開策第二段の兄妹の出番だ。


 人混みをかき分けて、兄妹が店の前までやってきた。

 古びているけど小奇麗な服に着替えているので、ごく普通の家の子に見える。


 妹は身体と髪を洗って、見違えるほど可愛らしい。

 痩せているので、薄幸の美少女になっている。


〈アィラン〉君の方も、真面目で妹思いの優しい兄に見えなくもない。


「わぁ、お兄ちゃん、蜜柑があるよ。凄く綺麗な黄色だね。

 買って帰って、お母さんに食べさせたいな」


「でも、凄く高いよ。これを買ったら夕食が食べられなくなっちゃうよ」


「でも、お兄ちゃん。この蜜柑を食べたら、お母さんの具合が良くなるかもしれないよ。

 南の国の眩しい太陽の光を一杯集めた、黄金みたいに甘い蜜柑だよ。

 きっと、お母さんの身体の中に太陽の光が溢れて、お母さんを治してくれるよ。

 きっと、爽やかな香りで、暗い気持ちも吹き飛ばしてくれるよ」


「そうか。そうだよな。蜜柑は今日だけしか手に入らないからな。

 お母さんに食べさせて、お母さんを元気にしよう」


「お兄ちゃん、ありがとう」


「店員さん、蜜柑を一つ下さい」


「毎度あり。この一番大きくて、艶々しているのを持っていってよ。

 お母さんが、早く元気になると良いな」


 兄妹の演技力は凄いな。

 ポイントも上手く盛り込んで、涙ながらの迫真の演技だ。

 店員も集まっている人も、思わず貰い泣きしているぞ。


 この後、蜜柑を買う人が殺到して、店は修羅場のようになった。

 二個欲しい、三個欲しいと次々に売れていく。


 騒ぎを聞きつけた貴族か、お金持ちの使用人だろうか、三十個、五十個と大量に買っていく人も現れだした。


 今までが嘘のように、直ぐに蜜柑が売り切れてしまった。

 買えなかった人が、大勢怒って、怒鳴り散らしている。


 二千八百個があっと言うまだ、打開策が効き過ぎたか。


 また直ぐに、必ず蜜柑を売りますと約束して、何とかこの場を修めることが出来た。

 色々疲れるよ。


「お貴族様、言われたとおりにしましたが、あれで良かったですか」


「おぉ、有難う。お陰で蜜柑が全部売れたよ。これは今日の日当だよ」


「お、お貴族様。一金貨なんて、これは流石に頂き過ぎです」


「そんなことはないよ。十分働いてもらったよ」


「本当に良いのですか。有難うございます。

 これで一年は暮らせます。あなたは本当に良い人ですね」


「お貴族様、お金をいっぱいありがとう。お腹いっぱい食べられるよ」


 最低の生活だと思うが、一金貨で一年暮らせるのか、この世界は経済格差が凄まじい。

 下層階級と上流階級とでは、お金の重みが大きく違っているんだな。

 一金貨は渡し過ぎだった。気を付けなくてはいけないな。


「僕はそんなに良い人じゃないよ。それじゃまたな」


「お貴族様、待ってください。お借りした服と先程の蜜柑をお返しします」


「うーん、服は必要ないからあげるよ。蜜柑も二人で食べてよ」


「本当に良いのですか。有難うございます」


「お貴族様、ありがとう。蜜柑はお母さんのお墓にお供えするよ」


「お墓」


「お墓と言っても、埋めたところが、こんもりとしているだけです。

 妹は、蜜柑をお母さんに食べさせてあげたいのですよ」


 迫真の演技じゃなくて、ある意味真実だったのか。


「それじゃ、蜜柑をもう二つあげるよ」


「えっ、どうしてですか」


「君達の分もないと、お母さんが蜜柑を食べないだろう」


「そうです。そのとおりです。

 お母さんは、僕達に食べさせます。絶対、一人で食べたりなんかしない。

 お貴族様、本当に、本当に有難うございます」


 兄妹が蜜柑を握りしめて泣いている。

 そんなに握ったら蜜柑が潰れてしまうぞ。


 店員が涙目で、兄妹の金貨を両替してあげている。

 小銭じゃないと使えないからな。


 兄妹は頭を何度も下げて、ポケットを小銭でパンパンにして帰っていった。

 掏りにやられるなよ。

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