第10話 「深遠の面影号」

急に父親が、跡目披露という儀式のために王都へ行くと言い出した。


 父親は領主としても、子供にとっても、問題がある人だ。

 趣味にのめり込むあまり、他のことを顧みないためである。


 父親の趣味は船で、この世界の最先端の船である帆船の製造と運航に、人生の大半を注ぎ込んでいる。


「お父様の船はどんな船なの」


「船に興味を持つとは、〈タロ〉は賢いな。 我家の将来は安泰だ。

 〈タロ〉や良くお聞き、お父さんの船「深遠の面影号」は、大きさも速度も世界一だ。

 それとだな、向かい風でも帆走出来る最先端の技術を、「間切り」と言うんだが、これが出来る特別な帆を装備しているんだ。

 お父さんの船だけ、何処へでも好きな所に行けるんだ。ワクワクするだろう。

 おまけに、復元力と堅牢性に優れた船体構造も取り入れた、画期的かつ安全性抜群の夢の船なんだ」


 父親は興奮しつつも、話し慣れた内容なのか、一気に捲くし立ててくる。

 船の話だと熱量が全然違う。


「お父様の船はどこまで遠くへ行けるの」


「〈タロ〉よ、良くぞ聞いたな。素晴らしい質問だ。

 お父さんの船は世界一周も可能なんだよ。

 しかし、〈タロ〉」にも分かると思うが、沖に出て陸が見えないと、方向が分からなくなるんだよ。

 といって、初めての海で陸に近いと、暗礁に乗り上げる恐れが強くなる。

 それで、この国の沿岸の海図は全て完成させたんだ。

 凄いだろう。

 今はこの国の沿岸だけだが、世界の1/4を手中に収めた様なものだから、もうすぐ世界一周ができるぞ。

 〈タロ〉や、お前も一緒に世界一周に行くか」


 普段と雰囲気が一変して、同一人物とはとても思えない。

 海図と世界を手中に収めるは全然違う話だ。

 誇大妄想もあるのか。


 最先端という話だが、羅針盤は無いみたいだな。

 方位磁石のことを教えたら、もっと暴走しそうだから止めておこう。


 今まで誰も、長距離航海をやろうと思った人がいなかったため、海図を地道に造っていたのか。

 それで、いつも船に乗っていたんだな。

 子爵領の政務は家臣に任せっぱなしだ。


 兵務は兵長の「ハドィス」に、岩塩を始めとした貿易は御用商人の「クサィン」に、農園の管理は小作頭の「ボニィタ」に丸投げ状態だ。


 子爵家は大丈夫か。

 無能な領主が下手に口を出さない方が、上手く回っているのだろう。


 これほど船に執着するのは、何か理由があるんだろうな。


「跡目披露に行くことになったので、そのつもりでいてくれよ。

 〈タロ〉も知らない間に大きくなったからな」


「お父様、跡目披露とはなんですか」


「言ってなかったかな。

 跡目披露とは、貴族の跡取りが王様にお目通りをして、正式に跡取りと認めてもらうことだよ」


「王様に会うのですか」


「そうだよ。〈タロ〉が我が家の跡取りだと、国王に認めてもらう必要があるのだよ。

 昔、血みどろの跡継ぎ争いが起こったことがあって、貴族家では重要な儀式となっているのだよ」


「馬車で行くのですか」


「もちろん、「深遠の面影号」で行くよ。快適だし早いよ。楽しみにしておいで」


「お館様、お待ちください。船も良いですが、万一の事を考えて、陸路にされてはどうですか」


 執事の〈コラィウ〉は船をあまり信用してないのか。

 領主と跡継ぎが、一度に亡くなったらマズイからな。


「なんだと。「深遠の面影号」は完璧な船だ。遭難するとは失敬な。

 不愉快だ。絶対に「深遠の面影号」で行くぞ。

 直ぐに王都へ行く用意をしろ」


 自分の船を貶されて怒っているけど、僕も結構心配だ。

 何せ出来上がったばかりの技術なんだから。

 遠泳の練習をしておくべきだったか。


 こうして僕は王都に船で行くことになった。


 王都は《アルプ》という名前で、国のほぼ真ん中にある、人口三万人の都会だ。

 《アンサ》という町の港に行き、そこから馬車で一日の距離だ。

 《アンサ》の港までは、陸路だと凡そ十日はかかる。


 船に乗り込むために、《ラング》の町から、少し離れたところにある入り江に向かった。

 入り江には、数件の漁師の家と桟橋があるだけだ。

 獣を防ぐ柵も簡単なものしかない。


「お父様。この船は水が漏れたりしない」

 ストレートに不安を聞いてみた。


「おいおい、「深遠の面影号」に失礼な物言いだな。

 最新の技術と最高の船大工が精魂込めて作ったものだよ。

 水が漏れるなんてありえないよ」


「最新の技術ってどんなものなの」


「〈タロ〉は益々船に興味を持ってきたな。

 素晴らしいことだよ。

 そうだな、色々な技術を詰め込んでいるけど、一つ挙げると、水漏れ対策にタールを詰めるという、画期的な技術を駆使して、完璧な密閉を実現しているのだよ。

 凄いだろう」


「凄いね。お父様、この船は何人くらい人が乗れるの」


「そうだな。船倉に詰め込んだら百人は乗れるかな」


 百人は無理そうだが、それなりに大きい。

 今も陸路に使うからと、馬四頭と家紋が施された馬車が積まれている。

 馬車を向こうで借りるという発想はないのか。


「お父様。この船はオールもあるんですね」


「そうだよ。帆船だから風で進むのは当然だが、細かく動かすためにオールも装備しているのだよ。接岸する時に便利だからね。

 「深遠の面影号」は何でも出来る凄い船なのだ」


「凄いね。お父様。《アンサ》の町までどのくらいかかるの」


「そうだな、順風とまでは行かないから、四日で着けそうだな。

 こんなに早く着けるのは「深遠の面影号」しか出来ない芸当だよ。

 凄い船だろう」


 船は思ったより良く出来ていて、前の世界で言うとガレー船とガレオン船を足して二で割ったようなもので、大きな波が立っていても問題なく帆走している。

 大金を掛けただけのことはあるようだ。


「坊ちゃん、儂の名は〈サンィタ〉だ。

「深遠の面影号」の船長をしている。

 よろしく頼むわ。

 くれぐれも、船の上では大人しくしておいてくれよ。

 海に落ちたら、可愛い許嫁ともうイチャイチャ出来なくなるぞ」


「分かったよ。船長の言うとおりだ。魚に身体を啄まれても嬉しく無いからな」


「ワハハハ。儂も娘っ子なら良いが、魚は御免被るぞ。聞き分けが良くて助かるわ」


 船長は、潮風に焼けた赤銅色の肌をした、見るからに海の男だ。

 黒髪で体格もあるゴッツいおっさんだ。

 操船技術を見込んでスカウトされてきたんだから、それなりの腕があることを期待しよう。


 ガサツだが、やれる男の気配がする。

 人生で何が大切かを分かっているようだからな。


 出航をして、外洋に出た途端に船足が止まった。


 いきなりトラブルかよと父親に問いただす。

「お父様、船が止まったけど故障ですか」


「〈タロ〉や、違うよ。あそこに鳥が沢山見えるだろ」


「はい、見えます。あの鳥が何か。あっ、餌があるということですね。

 あの下に暗礁があるのですか」


「ご名答。〈タロ〉は本当に賢い子だね。

 暗礁があるから慎重に進んでいるのだよ。

 暗礁の位置は、全て海図に落とし込んである。苦労の賜物だよ」


「凄いですね。暗礁の位置が分かっていると魚も沢山獲れますね」


「ウーン、漁師の使っている、丸木舟に毛が生えたような船では、もう外洋のここまでは、来られないと思うよ。波も荒いし転覆するかもしれないな」


 暗礁か。危ないな。

 魚が沢山いるのに獲れないのは残念だ。


 暗礁を過ぎて、少し進むと今度は、真っ白な島が見えてきた。

 絶海の孤島だな。

 島が白いのは鳥の糞か。

 信じられないほどの、糞の量だな。数百年分はあるんじゃないか。


 それからも、航海は順調に進んだ。


 海の色は、日差しの加減や水深によって、銀、藍、紫、橙色と、色々な輝きを見せる。

 たおやかな波、うねるような波、億匹の白兎が跳ねている激しい波、波も僕を飽きさせないかのように、色々な表情を見せてくれた。

 水平線が何処までも続く広やかな海の上、白い帆を一杯に膨らませて、滑るように航跡を刻む、ただ一隻の船。

 世界の海を独り占めだ。


 父親の気持ちが少し分かる気がした。


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