第8話 「ハパ」先生

 午後からの武芸の鍛錬は、「ハィパカ」という、三十歳くらいの剣術の先生に教えて貰っている。


 「ハパ」先生は、我が子爵家に雇われている武官で、この領地で一番強い人だと思う。

 兵士ではなく、兵士の訓練と子爵家の跡取り、つまり僕の鍛錬の先生も兼ねている。


 鍛錬の内容は、身体作りと、基本の型や木剣を使った打ち込みが中心となっている。

 厳しい指導をされる方で、体力的にとてもハードなため、直ぐ僕は休憩を求めがちだ。

 優秀な生徒とは、とても言えないと思う。


 鍛錬の相手は、兵長の長男が務めてくれることが多い。

 〈ハヅィス〉という名前で、五つ年上の十九歳である。

 身長が180cm以上あり、この世界でも高身長の部類だ。


 上背だけでは無く、親に似たがっしりとした身体をしている。

 この恵まれた体格を生かした、剛の剣を得意としているようだ。

 所持しているスキルも『強手』で、大当たりなんだろう。


 顔つきは、狡いことに父親とは似てなくて、中々のイケメンである。

 まだ独身で、女性に大変もてるらしい。

 町の中を歩いているだけで、熱い視線を送られているのを見たことがある。

 羨ましい限りだ。


 「〈タロ〉様、次は〈ハヅ〉と木剣で打ち込みの練習をします。〈ハヅ〉が、構えているところに打ち込んでください。〈ハヅ〉は、打ち込まれた木剣を払うだけで反撃はなしです。それでは、「始め」」


 「〈タロ〉様、全力で打ち込んでください。どれだけ全力でも、大丈夫ですよ」


 ふん、余裕綽綽(よゆうしゃくしゃく)だな。

 かなり侮(あなど)られている感じだ。


 「それじゃ、〈ハヅ〉遠慮なく行くよ」


 僕は、力を込めて数十回は〈ハヅ〉に打ち込んだ。

 打ち込んでいるだけだが、一時間足らずで疲れ果てて、身体が動かなくなってきた。

 力を込めて木剣を打ち込むのと、〈ハヅ〉が馬鹿みたいな力で木剣を撥ね返すので、なけなしの体力を消耗してしまったんだ。

 手も痺れてジンジン痛い。


 『敏皮』のスキルは、この鍛錬では何の役にも立たないな。

 まあ、他の鍛錬でも全く役に立ない、あってもないようなものだ。


 「〈タロ〉様、どうしました。もう終わりですか。まだまだ、私は平気ですよ」


 なんか、嫌味な言い方だよ。

 僕は、貴族で跡取りなのにな。


 「もう、疲れたよ。休憩にしてくれよ」


 「まあ、良いでしょう。一旦、休んでください」


 〈ハパ〉先生から、休憩の許しが出た。

 ふぃー、助かったよ。

 〈ハパ〉先生は、なんて良い人だろう。


 「〈タロ〉様が休んでいる間に、〈ハヅ〉と〈サヤ〉とで乱取りをしてください」


 〈サヤ〉と言うのは、兵長の長女で〈サヤーテ〉という名前の〈サトミ〉の姉だ。

 三つ年上の一八歳である。


 身長が170cm近くもあって、この世界の女性では結構な高身長だ。

 流石にがっしりとまではいかないが、鍛えられたゴムのような筋肉が、全身についている。

 スキルが『強足』のためか、下半身の強靭さは半端ないらしい。


 ただこれも、やっかみが入ったものだと思う。

 僕の『敏皮』よりはマシだろうけど、第一位階のスキルでは効果が微妙なので、鍛錬の成果かも知れないな。 


 容姿は、美人と言って良いほど整っているが、剣の道一筋で、浮いた話は無いようだ。

 周りの男性からは、男勝りと敬遠されていると思う。


 敏捷性と強靭な下半身を生かした、素軽い剣を得意としており、相当な使い手らしい。

 腕を見込まれて、王都の女学校の護衛術の師範代をしていると聞く。

 今は、学校が休暇中で帰省しているようだ。


 良くこんなに動けるなと、〈ハヅ〉と〈サヤ〉の乱取を見学していると、〈ハパ〉先生から声が掛かった。


 「〈タロ〉様、次は〈サヤ〉と打ち込みの練習をしてください。先ほどとは逆で、〈タロ〉様が構えているところに、〈サヤ〉が打ち込んでください。それでは、「始め」」


 「〈タロ〉様、それでは行きますよ。私は早いから良く見てくださいね」


 「〈サヤ〉分かったから、お手柔らかに頼むよ」


 「私はお兄様ほど手加減が上手く出来ませんので、そのおつもりで」


 不穏なことを言いながら、〈サヤ〉がバシバシ打ち込んでくる。

 本当に素早いな。

 一秒も気が抜けない感じだぞ。


 緊張状態を強いられた打ち込み練習が、長時間続く。

 足はプルプルしてくるし、握力は弱くなり、目は汗で霞(かす)んでくる。

 そうなると当然、僕の集中力が続か無くなり、構えが崩れてしまった。

 直後、僕の右腕に〈サヤ〉の木剣が打ち当たった。


 「ギャー、痛い。痛い。ちょっと待って」


 僕はたまらず叫んだ。

 手が死ぬほど痛いよ。

 千切(ちぎ)れてしまいそうだ。

 見る見る赤く腫れていく腕を摩(さす)りながら、地面にベタっと座り込んでしまった。


 「〈タロ〉様、大丈夫ですか。腕を見せてください」


 〈ハパ〉先生が治療をしてくれるようだ。


 「〈タロ〉様、ごめんなさい。でも手加減しているから大丈夫ですよ」


 〈サヤ〉が一応謝っているが、全く悪びれていない。

 この程度の打ち込みを避けられない方が、悪いと思っているのが、ありありと分かる。

 僕は領主の跡継ぎなのに、なんて酷いヤツだ。


 幸い腕の怪我はたいしたものでは無かったが、一区切りついたので、今日の鍛錬は終わりとなった。


 〈ハパ〉先生と〈ハヅ〉は、兵士の訓練所の方に向かっていく。

 まだ、訓練に参加するのか、ご苦労なことだ。


 〈サヤ〉は訓練に参加しないので、連れ立って館の方に帰って行くと、〈サヤ〉が話しかけてきた。


 「〈タロ〉様、お疲れ様でした。今日はちゃんとされているので、すごく驚きましたよ。以前はやる気も無く、何をするのもオドオドされてて、正直いつもイライラしていました。それが、今日は人変わりしたようにまともで、安心出来ました」


 「「男子三日会わざれば刮目して見よ」だよ。それにしても、〈サヤ〉は怖いな。やる気を見せないと、ボコボコにされそうだな」


 「ゴホン。誤解されているようですが、私はそんな乱暴者ではありません。それにしても、難しい言葉も使われるし、本当に清々しいほど、まともになられましたね」


 「前はまともと、思って無かったのか…… 。まあ良い、誉め言葉として取っておこう。ありがとう」


 「何を仰っているのですか、正真正銘、褒めていますよ。以前は〈ハパ〉先生ほどの達人が教えるには、余りに勿体ないと思っていたのは事実ですけど」


 「〈ハパ〉先生ってそんなに凄い人なの」


 「はい。〈ハパ〉先生は王国でも、屈指の剣士だと思います。何より覚悟が違います」


 「覚悟」


 「そうです覚悟です。〈タロ〉様は聞いておられないのですか、〈ハパ〉先生は剣の修行の邪魔だと、男性の大事なところを切り落とされたほどです」


 「ハァー。なんですと。な、な、何を、何を切って、落としたと言ったんだ」


 「大きな声を出さないでください。恥ずかしいですね。私は慎み深い女ですので、これ以上は話せません」


 凄い話を聞いた。あまりの衝撃に、僕はその場で、しばらく立ち尽くして動けない。

 でも、〈サヤ〉は気にもしないで、一人でスタスタと帰っていった。ドライなヤツだな。


 〈サヤ〉はどうでも良いが、問題は〈ハパ〉先生だ。


 想像しただけで、玉と竿が痛い。

 あそこに幻痛が走る。

 股間が、ヒャーと冷たくなるぞ。

 〈ハパ〉先生は、とんでもないことをするな。


 僕は随分と長い時間、衝撃を受け続けていたようで、もう夕方になっている。

 股間が冷たくなる幻想を、立ちつくして見ていたようだ。

 ふと我に返ったら、訓練の指導を終えた〈ハパ〉先生が、歩いて来るのが見えた。


 これは聞かないわけにはいかない。

 男の大事なところの話なんだから。


 「〈ハパ〉先生、ご苦労様です。お疲れのところ悪いのですが、一つお聞きしても良いですか。ご自身のことですので、答えたくないのなら、それで結構です」


 「〈タロ〉様から質問とは、珍しいですな。よろしいですよ。〈タロ〉様の成長に、役立つなら喜んで答えますよ」


 「有難うございます。先ほど聞いたのですが。剣の修行のため、男の大事なところを切り落とされたのは、本当なのですか」


 「〈サヤ〉ですね。女性が話題にすることではないのに、困ったものです。切り落としたのは、若気の至りと言うか、お恥ずかしい話です。でも後悔はしていませんよ」


 「本当なんですね。凄い覚悟だ」


 「覚悟と言うほど、大それたものではありません。スキルが『遠鼻』と言う、剣術には向かないものでしたので、退路を断っただけです。剣の道しか無いと追い込まなければ、到底才能ある人に並べないと考えたのです。私は弱い人間ですので」


 「そんなことは無いです。 先生は本当に凄い人だ。尊敬します。私にはとてもそんな怖いことは出来ません」


 「有難いお言葉です。ですが、〈タロ〉様は、それで良いのです。万が一にも、真似をされたら駄目ですからね。皆が困ってしまいます」


 「分かりました。大事なところは、ずっと大事にします」


 「ハッハッ。〈タロ〉様のが大事にされたら、子爵家も安泰ですからね。よろしくお願いしますよ」


 〈ハパ〉先生は、カラッと笑って話してくれた。


 あそこを切り落とすのは、想像を絶する痛みがあったはずだ。

 一生、子供も作れないし、夜の営みをすることも出来ない。

 切なくないのかな。


 俗物の僕とは大違いだ。

 確かに、覚悟が違うとしか言いようがない。

 僕とは、生き様の凄味が違う。

 〈ハパ〉先生は、本物の武人だ。


 次の日から僕は、〈ハパ〉先生の鍛錬に、とても真剣に取り組んだ。

 身体が、疲れて辛くても、休憩をしようとは思わなくなった。


 だって、本物に失礼だろう。


 僕が鍛錬への姿勢を改めたことを、〈ハパ〉先生は大変喜んでくれた。

 先生を笑顔に出来るのは、本当に幸せなことだと思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る