第1章 三人の許嫁

第1話 薄明りの中

 目を覚ますと薄明りの中だった。


 ジーンと痺れた重たい体を起こすと、霞がかった視界に白い天井と白い壁が写った。

 代り映えしない景色だ。


 慣れっこになった薬品の匂いと、ピコピコといつもの電子音が聞こえている。


 俺は、大病を患い、一年以上入院している。


 病状は悪くなる一方で、退院出来る日はもう来ない。


 出席日数が足らず、高校二年生を二度も繰り返す羽目になったが、どうでもいい話だ。


 俺にはもう何の関係も無い。


 人の顔を見ることも減った。


 一日に数回、看護師と看護助手のおばちゃんを見るだけだ。医者はたまにしか来ない。


 数少ない友達も、勉強か遊びに忙しくて、俺のことなど、とうに忘れているのだろう。

 入院し始めは、何回か見舞いに来てくれたが、その後一年近くメールも無い。


 無理も無いと思う。


 俺は、話が面白いわけでも無いし、勉強が出来るわけでも、歌が上手いわけでも無い、つまらない男だ。 


 病気になってからは、性格も真っ暗だ。


 母親も、病院へ来るのが段々減って来ている。


 親は離婚して、母親と二人だけの家族だ。


 仕事が大変のようで、半透明の灰色のビニール袋が身体に纏わりついているような、何か別のものになっている。


 俺の入院費用もバカにならないはずだし、心の芯から疲れているのだろう。


 ただ、不思議と凄く悲しいわけでもない。自分には相応しい終わり方だと思っている。


 思い返せば、俺は協調的と言えば聞こえは良いが、周りを気にして、何時も無難な方を選んでいた気がする。 


 周りに流されるだけの面白みの無い、いつも隅っこにいるような男だったと思う 


 聞き分けが良い、真面目な人間のつもりだったが、ただ、情けないだけだったのかもしれない。


 今更だが、結果はどうあれ、もっと違う生き方が、あったような気もする。


 今日は大潮か。最後の時がきたようだ。


 電子音が切迫したものに変わり始める。


 只々どうでも良い。親、友達、人生、何もかも。


 ハァハァハァ・・・。


 ピピッー。ピピッー。ピピッーーーーーー。―――――――。




 目を覚ますと薄明りの中だった。


 頭が割れるように痛い。


 今まではこんな症状は無かった。


 耐えられないほどの痛みだ。


 看護師を呼び出そうと、ベッドから身を起こし、ナースコールを探したが見つからない。何処にいった。 


 周囲を探していると、ふと木の壁が目についた。


 あれ、おかしい。


 白くない。


 天井も茶色だ。


 部屋が変わっている。


 変だ。


 茫然としていると、部屋に誰か入ってきた。


 「〈タロ〉様。気が付かれたのですね。ああ、良かった」と


  俺を優しく抱き寄せて「良かった。良かった」と繰り返している。


  少し目尻に涙もたまっているようだ。


 「階段から転げ落ちられた時は、心臓が止まるかと思いました。


  頭を強く打ちつけられて、五日も意識が戻らなかったので、大変心配しておりました。本当に良かったです」


  頭を打ったのか。道理で頭が痛いはずだ。


  頭痛の原因が分かって得心していると


 「領主様を直ぐにお呼びしますね」 と言って慌てて部屋から出て行った。


  今の女性は誰だ。


  看護師の制服じゃない。


  ここは何処だ。


  頭痛が酷くて、考えが上手く纏とまらない。


  ベッドの上でボーと座っていると、また、誰かが部屋に入ってきた。


 「〈タロ〉、意識が戻ったのか。五日も目を覚まさないので、

  もうダメかと思っていたが、本当に良かった」


  五十歳くらいの男性が、嬉しそうな顔で話しかけてきた。


  顔の彫りは大して深くないが、外国人のように思える。


  誰だろうこの人は。


  医者には見えない。


  俺がベッドの上で固まっていると男性が、


 「まだ調子が悪いみたいだな。無理をするのは良くない。


  大事をとって安静にしていた方が良いだろう」


  と言って部屋から出ていった。


  最初に部屋に入ってきた女性は


 「〈タロ〉様、領主様の仰とおりです。


  もう一度、お布団に入って寝てくださいね」


  と私を優しくベッドに倒して、布団を掛けてきた。


 「〈タロ〉様がお休みになるまで、〈ドリー〉がここにおりますので、

  安心してください」

  と微笑みながら、私の顔を覗き込んでいる。


 〈ドリー〉という名前なのか。


 外国人の名前だなあ、と思っているうちに身体が休息を求めているのか、直ぐに  眠りに落ちた。


 数日たって、起きられるようになった。


この数日間で分かったのは、俺は《ラング》という町を治める領主貴族の一人息子で〈タロスィト・ラング〉という名前らしい。 


 〈タロ〉と呼ばれるのは、通常、最初の二文字か三文字で呼び合っているからのようだ。

 フルネームで呼び合うのは何かと不便ということか。


 父親である領主の名前は〈レゴスィト・ラング〉といい、田舎の町を一つだけ治めるだけだが、それでも子爵であるらしい。


 母親は、産後の肥立ちが悪かったのか、〈タロ〉君を生んで直ぐに死亡されたようだ。

〈サータライ・ラング〉という名前で、近隣の領主家から嫁いできた方だった。


 最初に部屋に入ってきた女性は、〈ドリーア〉という名前で、領主館のメイド頭をしている。

 ただ、頭といっても他のメイドは三人しかいない。


 後、重臣には、執事と兵長と農長がいる。


 執事は、名を〈コラィウ〉という、五十歳くらいの長身で細身の男性で、卒のなさそうな顔つきだ。部下が三人配属されている。


 兵長は、名を〈ハドィス〉という、四十歳半ばのがっしりとした体格の強そうな男だ。

 怒ると怖そうな顔をしている。


 人口が少ないせいか、配下の兵士は少ないようだ。


 農長は、名を〈ボニィタ〉という、四十歳くらいの背が低くて、丸っとした体格の温和そうな男性である。

 朴訥な雰囲気を持っている。

 小作人を纏めるのが主な仕事で、十数件ある自作農とのパイプ役も担っているらしい。

 部下は無く、班分けした小作人に、小作頭を置いて管理しているようだ。


 皆、外国人の顔つきだが、顔の彫りは大して深くない。


 俺も同じような顔つきになっているが、以前の面影も残っていて、ハーフのような顔になっている。


 前とは違う顔なのだが、違和感はそれほどない。


 てっきり死んだと思ったのに、どうもこの〈タロ〉という少年の体を、俺の意識と言うのか、魂と言うのか分からないが、兎に角乗っ取ってしまったようだ。 


 〈タロ〉君の魂は、階段から落ちて頭を強打した時に、多分離れたみたいで、空き家を占領したような状態になってしまった。

 〈タロ〉君に申し訳ない気もする。


 状況から判断すると、今いるところは、良く分からないがどこか別の世界のようである。


 服装のデザインや材質(木綿とウールに思える。)も、領主館(石と木材で建てられている。)も、ヨーロッパの中世を思わせる佇まいで、領主館から見える街並みや道路も、とても二十一世紀とは思えない。


 文明の程度が低いままという様子である。

 かと言って、発達途上国の感じではない。


 領主館は近代的ではないが、簡素ながら小さなお城か要塞という感じで、なかなか重厚な造りである。


 小規模ならダンスパーティーが開けそうな大広間には、豪華なタペストリーが壁に掛けてあるし、正面には凝った造りの剣が、大小二本交差して飾られている。


 これが壮大なドッキリ企画なら凄いが、俺にドッキリを仕掛ける意味はまるで無く、四日も五日もお金を垂れ流し続けるわけがない。


 俺は異世界に転生したようだ。


 現在進行形で不思議体験をしているのだが、取り敢えずは〈タロ〉君の振りをして、周りになるべく合わせて生活している。


 正直に、「異世界から転生して来ました」と告白するのは、危ないヤツ扱いをされる可能性が高いと考えたからである。


 周りに合わせているのは、この世界の様子がまだ全然分からなくて、他にやりようが無いからだ。


 大体のことは周りの人達の言う通りにしている。


 大変素直な少年を演じている感じである。


 朝は太陽が昇って少したってから、体感では大体七時くらいに、メイドの〈ドリー〉が起こしに来ることになっている。


 「〈タロ〉様。おはようございます。朝ですよ。起きてください」


 「〈ドリー〉おはよう。ちょっと待って、今起きるよ」


 俺はベッドの上で大きな欠伸をしながら起き上がり、衣装箪笥に仕舞ってある服を自分で着て用意をすませた。


 これを見て〈ドリー〉が

 「〈タロ〉様は、手が掛から無くなられましたね。凄い成長です。〈ドリー〉は嬉しいです」


 「えっ。前は手が掛かったの」


 「それはもう。声をお掛けしても全く起きられないので、仕方がなく私が抱き起して、着替えも全てやって差し上げたじゃないですか。お忘れですか」


 「ゴメン、ゴメン。そうだったな。まあ、手が掛からなくなったんだから良いじゃないか」


 「ええ、その通りです。私も誇らしいですよ」

  と言って〈ドリー〉は、それは嬉しそうに微笑んでいる。


 急に生活態度が変わったのは不味かったかな。まあ、喜んでいるから良いか。


 それにしても、言葉が普通に通じるのは不思議なんだが、全く違和感がない。


 この世界の言葉は、前の世界の言葉とは違うものだが、生まれた時から使っていた言葉という感じで、逆にこの言葉以外は知らないと言う、不思議なんだけど自然な感じだ。


 それと朝のことで〈タロ〉君を擁護すると、〈タロ〉君は、まだ子供で朝は眠たかったんだと思う。

 少し問題も抱えていたようなので、仕方がなかったんだよ。


 顔を洗って食堂に行くと、父親が椅子に腰を掛けて待っていた。


 使用人とは一緒に食事はしないで、私と二人だけで食事をとることになっている。


 使用人は私達の給仕が終わってから、台所で食事をすることになっているようだ。


 そちらの方が楽しそうで良いのだが、そうはいか無いようである。


 主人と使用人との立場の違いを、ハッキリさせておく必要があるということだと思う。


  「〈タロ〉、お早う。最近は朝食に遅れないようになったな、偉いぞ」


  「ありがとうございます。でも、そんなに褒められることでもないですよ」


  「そうは言っても、親子揃って食事をとるのは大変喜ばしいことだ」


  「それじゃ、いただこう」


  「いただきます」


 献立は、パン、スープ、卵とミルクという簡素なものだが、使用人には卵とミルクは付かないので、これでも領主家族だけが許される贅沢なようだ。


 食べている間は殆ど会話がなく、仲睦まじいとは、とても言えない雰囲気である。


 昼食は、父親と一緒にはとらないで、給仕のメイドはいるが、一人きりの食事だ。


 夕食は、父親と一緒にとることになっているが、朝食と同じく会話が弾まなくて、淡々と栄養摂取を行うという感じである。


 メニューは、塩味のステーキとジャガイモの蒸かしたものとスープが定番である。

 飲み物は、俺には林檎果汁で、父親にはワインが出される。


 不味いわけでも無いが、それほど美味しいものでもない。


 片親なのに、父親はあまり〈タロ〉君に関わりを持とうとしていない。


 母親がいなくて、父親の愛情が薄いことは、〈タロ〉君の情緒に悪い影響を与えていたと思う。


 夜は、日が落ちれば早々に就寝している。これは明かりが貴重なためで仕方が無いことだ。

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