待合室の椅子

やし

2022年6月22日

今日は東クリニックでは3回目の診察の日だ。


私は以前自宅近くの別の病院に通っていたが、とあるご縁で東クリニックへ転院することになった。


最近は減薬が進み、漢方への切り替えを視野に、見守ってもらっている。




今日はとても暑い日で、待合室で静かに座っている人々は半袖を着ている。窓の外はあやしい雲行きで、ひと雨降るかもしれない。生ぬるい風が、網戸から時折入ってくる。




「すみません、私宮川といいますけれど、

 あとどのくらいかしら。」


私の目の前の椅子に座っていたご婦人がふいに立ち上がり、受付の女性に問いかけた。


東クリニックはいつも混んでいて、予約をしていても2時間待ち、なんてことはざらだ。


6番目くらいですね、と言われたご婦人は

「あら、まだそんなにかかるの」

と待合室へ戻った。まったく嫌な言い方ではなく、そうなのね、といった柔らかい口調で、ご婦人の人柄が少し垣間見えた気がする。




今ここにいる人々はみな穏やかそうにみえる。しかし心のなかにひろがる大きな世界では、どんなことが起きているのだろう。


かくいう私もきっと穏やかに見えている。

しかし心のなかの世界では、現実的ではない理想や、子供の頃から持っている抽象的な夢ばかりがひろがり、現実との乖離は甚だしい。


大学生の頃、就職活動が始まったタイミングで、私は苦しく感じ始めた。

きっかけは私が大事に思っているある人からの『好きなことで仕事をしている人なんてひと握りよ。』という言葉だった。

確かに、好きなことが仕事に繋がっている人だけではないと思うけれど、私はそちら側ではないよ、と言われたような気がしてショックだったのを覚えている。勝手に私がそう捉えてしまった。


私は人からの言葉を変な風に受け取り、ぺしゃっと潰れてしまうことがあるので、あまり自分のことは語らない。しかし、大事な決定などは事前に報告したいたちなのだ。

これがちょっと厄介。


でも最近はだめな私も「これが等身大の私だしいいんじゃない」と許せるようになってきた。




網戸から入ってくる風が、少し冷たくなった。

時計を見ると、1時間が経っている。あっという間だ。

待合室では各々がそれぞれの方法で時間を過ごす。本を読む人、携帯をチェックする人、脚を組んでぼーっとする人....不思議な空間だ。


「遠藤さーん、遠藤ゆみこさーん」


はい、と斜め前の女性が立ち上がる。

この女性は待合室で何を考えていたのだろう。

今日の夕飯の献立だろうか。それとももっとディープな悩みだろうか。

つい先程まで女性が座っていた場所には、もう別の男性が座って漫画を読んでいる。


そんな待合室で私はなんでもない文章を書いている。

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待合室の椅子 やし @Yashi32

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