第5話 ハッピーエンド
彼女は言うまでもなく天使だった。
ならばここは言うまでもなく天国なんだろう。
温かみのある太陽は緩やかな風を適温で温める。
そんな風が芝生を揺らし、花を揺らす。
揺れる芝生や花は僕の鼻に青っぽい香りとほのかに甘い香りを届けてくれた。
見渡す限りの自然はあまりに絶景で、天国でありながらもどこか人の手が加わっているのではないかと疑ってしまうほどだった。
もしここに人の手が加わっていると誰かに言われたのならこの幻想的に見える景色は瞬く間に僕の前から消え失せるだろう。
それくらいにこの場所にはシンプルでありながら現実味がなく、そして神秘的であった。
・・・・・・・・まぁ隣にいるのが何よりも非現実的であり、ある意味で僕に変わらない現実を突き付けてくるんだけどな。
「私ってすごく可愛いじゃない?」
「唐突だな」
いくつの時間が経ったのだろう。
出会ってから僕たちはたくさんの他愛もない話を交わした。
曖昧模糊で漠然とした何の変哲もない話を。
出会いこそ最悪だったものの、むしろその衝撃的な出会いのおかげで緊張がほぐれたといえる。
時間経過の感覚がすでに失われているが、僕たちは割と短い時間で距離を詰めたと思う。
新参者の僕に話しかける彼女と僕との関係は、まるで僕があの時思い描いた理想の形といえる。
少しの気まずさと少しの遠慮(あいつが何かを遠慮している気はしないが)を織り交ぜたむずがゆくも心地いい関係。
でもあれか、彼女の方が僕のパーソナルスペース的なものを無遠慮に蹂躙してくれたからこそ今があるとも言えるのかな。
絶対本人には言わないけど。
「このあたりに咲く花と私ならどっちが可愛いと思う?」
「え?それは難しい質問だな。ここの花は美しく、そして洗練されている。でも君はまだ未熟だ。今、君が始めた戦いは熟しきった甘い果実とスーパーで売られているジップロックに入れられた種との戦いに例えることが出来る。つまり」
「つまり何よ」
彼女の頬はむくれ、その勝気な青い瞳を有した瞼が細められる。
「ゴホン。つ、つまり成長過程に期待できる種の方が圧倒的に可愛いと言いたいんだ。うんうん。未成熟なものには自分色に染めるというロマンがある。自分の思い通りにできるなんて熟しきった果実の何倍も甘美な魅力がある。つまり花より君の方が可愛い」
僕の隙の無い洗練された論説と、そこから導き出された誤謬のない答えに思わず鼻が膨らんでしまった。
やれやれ、僕にここまで言わせたんだ。さぞ可愛らしいはにかみ笑顔が待っているんだろう。
『もう、言いすぎだよぉ』とか・・・・いや、『ふんっ!まぁ当然よ!』みたいな感じでも構わない。
さぁ!さぁ!さぁ!
僕は期待と確信を抱いた瞳で彼女を見た。
「ちょっと待って。言い過ぎ。流石に引く」
ドン引きだった。
はにかみ笑顔どころか苦虫を嚙んだような表情でこちらを見ている。
僕との距離は先ほどよりも離れ、勝気に吊り上がった目が薄く開かれ、僕をあまり視界に入れないように物理的な工夫をしていた。
「もしかして、あんたロリータコンプレックスってやつ?」
うへぇと言わんばかりにへの字に開いた口から僕へ純粋な質問が降りかかる。
・・・・・・・・せめてロリコンって言えよ。お前くらいだぞ略称なしで言う奴!
とでも言って話をそらそうかと考えたが・・・・・・・・僕にもプライドがある。
「どちらかというとアリスコンプレックスだ!」
思わず僕は目を見開き、大げさな声で宣言するような形をとってしまった。
反応は勿論軽薄なもので、はぁ?何言ってんだ?と言わんばかりだった。
「はぁ?何言ってんの?キモっ」
・・・・・・・・言ったわ。攻撃力がプラスされてるけど。
はっきりした性格してるよねとか思ったこと何でも言っちゃうんだ系女子には心底うんざりする。
はっきりした性格も、何でも言っちゃうという効果も、発揮されるのはどうでもいい相手の前や心底嫌いな相手にだけである。つまり意図的。しかし好きな相手が対象であるとわかりにくくて回りくどいやり方を好み、何も言わず、むしろ相手に決定的な何かを委ねるまである。
つまり僕はどうでもいい相手であるという事みたい。
・・・・・・やばい。泣きそう。
「てかロリコンと何が違うわけ?」
「略称知ってるなら最初からそう言えよ!生々しいんだよ!」
「・・・・・・・・」
勢いでは乗り切れないというわけか。
説明するのはやぶさかではないが、どうにも熱が入ってしまいそうだ。
またキモイとか言われたら僕の精神は崩壊してしまうかもしれない。
2人しかいない世界で片方に生理的な嫌悪感を抱かれでもしたら僕の居場所はどこにもなくなってしまうじゃないか。
ここは教室じゃない。
端っこも、隅っこもないんだから。
僕は心を落ち着かせるべく深く息を吸う。
新鮮な空気はそれだけで体の毒素を浄化したかのような気持ちになれた。
「まぁ・・・・・・・・簡単に言えば対象年齢が違うってことだな」
「対象年齢?」
「あぁ。ロリコンは12歳から15歳まで。アリスコンプレックスは7歳から12歳までってことだ」
「・・・・・・・・って!よく考えてみたらロリコンよりもやばいじゃないそれ!」
へぇーとかほぉーんとか頷きながら聞いていた彼女のノリツッコミのような勢いでの指摘に僕は思わず笑ってしまった。
「何笑ってるのよ。ほんとにもぉー」
言動とは裏腹に彼女の頬も少しばかり紅潮し、口角は上がっていた。
楽しい。心底楽しいと感じていた。
こんなつまらないやり取りも、彼女の笑顔を見るのも、もはや彼女に罵倒されるのもどこか楽しんでいた。
探りあいも、相手の表情ばかり見ることもなく、かと言って遠慮がないというわけではない。
近すぎることも遠すぎることもない快適な距離感を保つ僕たちはまるで旧知の仲のようで。
まだ出会ってそれほどの時間は立っていないはずだが、どこか昔からの顔なじみのような気がするほどに居心地がよかった。
初めての経験で今でも時々照れくさくなるけれど、そのむず痒さもこの関係にとってはスパイスなんだと肯定的に捉えられるのだから今の僕はかなり気分がいいみたいだった。
「でもそうかぁー。なるほどねぇ」
「どうしたんだい?」
「いやね、私たちの姿ってね・・・・・・・・あっ」
話を続けようとした彼女の相好が崩れる。
まるで禁忌の何かに触れたかのように表情から焦りと気まずさがあふれ出ていた。
苦い笑顔を浮かべ、ビー玉のような青い瞳が揺れている。
・・・・・・・・彼女には何か隠し事がある。
僕は悟ってしまった。
あまりにもわかりやすい彼女の表情と揺れる瞳に悟らされてしまった。
そう言えばすべてを彼女の責任にできる。
でも・・・・・・・・それは違う。
僕たちは気づいていた。
少なくとも僕は気づいていた。
ここに来てからの日常が楽しかったことに変わりはない。
初めての経験をたくさんできた。
気軽に話せる相手もできた。
居場所と呼べる場所を手に入れることだってできた。
探りあいや詮索といった類のものはしていないと、僕は無意識に思っていた。
それはあまりに無責任か。
ここに来てからの生活があまりに楽しかったものだから僕はそう言ったことを考えないようにしていた。
頭の片隅のさらに隅に向き合わなければならない現実を追いやり、無意識を意識的に装い自身を騙していた。
快楽に身を委ねることが精神と肉体をつなぐ架け橋だったともいえる。
そんな首の皮一枚しかつながっていないような危うい状態でも彼女の存在があってこそ僕は今のがある。
夢はいつか覚めるもの。
現実からはやはり逃げられない。
やり残してきたものも、無慈悲に置いてきたものも、僕にはまだ解決すべきことがある。
だから僕は・・・・・・・・
「私たちってどういうこと?」
「・・・・・・・・・・・・」
「大丈夫だよ。ありがとう。本当にありがとう。僕は十分君に慰められた。今までの苦しみの負債は今をもって間違いなく完済されたよ。だから僕は向き直ることにするよ。だから君も気を使わなくていい」
彼女の青い瞳をじっと見据え、目を反らすことなく向き合う。
僕の理想を完全再現したような彼女の言動と行動には本当に救われた。
彼女には苦痛だったかもしれない。
気難しいと言えば可愛げがあるが、僕のはそれをはるかに凌駕するんだから。
「・・・・・・・・しかったわ」
「え?」
「楽しかったと言っているのよ」
投げやりにも聞こえる彼女の声の中にはどこか昔を懐かしむような気持ちが見えた。
太陽と芝生と花に彼女は微かな雫を数滴垂らし、それを隠すようにわざとらしい笑顔を作っていた。
物語に終止符を打つのはいつも僕じゃない。
それは変わらない事実で、今回もそうらしい。
でも、物語の続きを語る気概が今回の僕にはある。
もしものストーリーを想起することが出来るほどに僕は成長した。
自分よがりな妄想も、自分に都合のいい解釈も、自分が傷つかないような立ち回りも、自分についた嘘にも今なら僕は向き合うことが出来る。
弱い自分から少し弱い自分へくらいの微かな成長でも僕はやはり僕を誇らしく思えるだろう。
そうでないと僕に向き合ってくれた彼女に失礼というものだ。
僕は彼女を裏切ることはできない。
だって彼女は僕にできた初めての友達なんだから。
「僕も楽しかったよ」
彼女の滅茶苦茶な笑顔に僕も同じくらいの笑顔を返す。
まるでシルクのように透き通った金色の髪の毛は、太陽に透かされて彼女の妖艶さを増していた。
ブルーの瞳はこの世の善悪を見てきたように俗物的で、淀みも傷もその瞳の歴史もが蠱惑的な魅力を醸し出している。
白磁のような白い肌の頬には雫の跡と薄いピンクの温かみが備わっている。
大人の色気を身に纏ったぷっくりとした唇にシャープな鼻筋。
体つきこそ細身でどこか儚げがあるものの、その胸元にはまるで禁忌の果実のように危ういほどに溢れそうな甘美な魅力の実がなっていた。
細かな説明を省いた容姿の説明をするならば金髪碧眼の最高に良い女ってところだろう。
魔性を秘めた目元も人を蠱惑的に誘うその口元も胸が高鳴るくらいに刺激的だが、それらを打ち消すくらいに僕にとって大切だった。
「君には先約がある。私には君を惑わす魅力があってもどうやら君を束縛するまでの力はなかったみたいだね。優しすぎる君には生きにくかった世界の償いと君の理想を叶えることはできたみたいだけど、どうしてだろう。私の心にはぽっかりと穴が開いたみたいだ」
微笑みながら話す彼女の声が僕の耳にとても馴染んだ。
落ち着いた声音に溢れんばかりの愛が絡まって化学反応を起こしているみたいだった。
彼女の声に快楽を感じることはないが、僕の心のざわめきを鎮静化してくれる。
芝生を揺らす薫風でも、甘い香りを放つ花にもできないことを彼女はしてくれた。
「君は成長した。それは私が証明している。君はこの変わらない景色に一筋の闇をもたらした。それはあまりに俗物的で、でもどうしてだろう。君は今、その臭さが全部消えた。曖昧模糊な世界で君は1つの道を選んだ。君は振り返った先の落とし穴で前を向くことが出来たんだ。それは君にしかできないやり方だよ」
風と共に僕の中に入ってくる彼女の言葉は最後まで優しかった。
彼女は僕を肯定してくれた。
自分でも肯定できない僕を。
あぁ。夢の世界で生きることは時間潰しで暇潰しだと思ってたんだけどなぁ。
募る後悔を悟られぬよう、溢れる悲しみに気付かれぬよう、僕は彼女に背を向け歩き出す。
さよならを言えない未熟さも、自ら終止符を打てない幼稚さも持ち合わせたままだけど、僕にはそれを指摘してくれる友達がいた。
「なぁ!1つ訂正したいことがあるんだけど」
歩みは止めない、独りよがりの独り言を大声で呟く。
「お前のこと娼婦みたいとか言ったが、あれは嘘だ。お前は僕だけのものだ」
「・・・・・・・・で」
どれくらい歩いただろう。
「・・・・・・・・で」
彼女と別れたからというもの芝生と花の上をずっと歩いていた。
「だから・・・・・・・・で」
しかし不思議なことに体の疲れはない。
足が棒どころか鉄筋コンクリートになるくらいは歩いているはずだ。
「なんで・・・・・・・・の!」
だが、あたりの空気は如実に変化しているのが分かる。
暖かな薫風が吹いていたことがまるで嘘であったかのように風は消え失せ、温もりのある太陽は汚れた綿のような厚い雲に覆われ姿が見えなくなっていた。
足元の芝生も花もどこか元気がなく萎れている。
「な・・・・・・だから・・・・・・・で」
その風景の変化に僕が目的地へと近づいていることを顕著に教えてくれていた。
目を閉じる。
今まで起こったことが走馬灯のように頭の中で幻灯のように映し出される。
・・・・・・ろくなことなかったな。
頬に自嘲染みた笑みが浮かぶ。
笑っていいのは僕だけだ。
だって自虐ネタも自分が言う分には笑ってくれて構わないんだから。
閑話休題。
目を開く。
犬は歩けば棒にあたるらしいが、僕は様々なものにぶち当たってきた。
そしてこれが最後なんだろう。
僕の進む道にはやはりこいつがいた。
「こないで!」
血気盛んに勢いよく叫ぶ彼女はやはりどこからどう見ても死神様だった。
漆黒の角と翼を身に纏い、少し紫がかった尻尾をピンと逆立てる幼女。
大きな瞳を潤し、小さな口をきつく結び僕の行く道を遮る形で浮遊していた。
「急に大きい声を出しちゃダメじゃないか。それに、人間は声の大きい人にばかりに流されて、靡くんだから。ユナみたいに可愛いと狼さんに襲われちゃうぞ」
「・・・・・・・・・・・」
彼女の相好が崩れることも、いつものように惑わされることもなかった。
行く手を遮るためか、自分を大きく見せるためか両手両足を目一杯開き、変わらない意思を僕に伝える。
「どうしてこっちに?なんで?天国にいったんだよね?わかんない。なんで?」
必死の形相で、訥々と話す彼女の悲痛な叫びに僕は下を向いてしまう。
僕が今やろうとしていることは彼女には望まれていないのかもしれない。
ただの自己満足で、自己犠牲に陶酔しているだけなのかもしれない。
でも彼女がやろうとしてくれたこと、そしてやってくれたことに僕は報い、そして彼女と共にありたいと思ってしまったんだ。
「僕はユナの優しさと辛さに今更ながら気づいたんだ。・・・・いや、これは言い訳だな。気づいていないふりをしていたんだ。死にゆくただの人間に寄り添い、『早く死んで』と言い続けることで自分を悪者に仕立て上げ、死を宣告された人間の非難の的になることで死ぬ人間のストレスのはけ口となろうとしてくれたんだよね」
僕は彼女にゆっくりと告げる。
「それにユナは僕がいつ死ぬかを知っていたよね。それなのに僕と友達みたいに仲良くしてくれた。それって辛いよね。あと何日で死ぬって分かってるのにまるで永遠の友達みたいに振舞わなきゃだめだもんね。僕があと何日で死ぬか聞いたときに強く拒絶してくれたのも君の深い優しさだったんだ。死ぬ理由を自分の責任にするのって辛いよね。なのに」
「やめて!」
彼女はあの時のような鋭い氷柱のように冷たく鋭利な言葉を僕に向ける。
しかしその氷柱に以前の勢いはなかった。
そして彼女は嗚咽交じりの言葉で続きを話す。
「そんなんじゃない。友達みたいに仲良くしてたのは死ぬときにぜつぼうさせるため。死ぬ日をゆわないのは気まぐれ。ぜんぶ気まぐれ。ひまだったから。ただのひまつぶしだから」
俯き、まるで子供の言い訳のように話すユナはやはり愛おしかった。
そうか・・・・・・・・やっぱり僕は・・・・・・
認めてしまえば早かった。
僕は大きく息を吸い、そして・・・・・・
「ユナのこと嫌いになれなくてごめんね。ユナの思い通りにならなくてごめんね。迷惑ばっかりかけてごめんね。でもね、僕は君のことが」
「はいそこまでぇ!」
「「は?」」
「あんたらさぁ回りくどいのよ。この超絶セクシーでプリティーな大天使様をおざなりにしたと思ったらくっだらない。せっかくこっちから身を引いたってのに。やめよやめ。よく考えたら私らしくないわ」
僕の背後の声の主は一呼吸置き、そして・・・・・
「こいつは私のものよ。それに私もこいつのものらしいし。あんたがいらないなら私がもらうから」
そう言って僕の肩に手を回し、僕の体を強引に引き寄せる。
「ねぇーだぁりん?」
その声と顔には見覚え・・・・・はあったが・・・・・・どこか幼く、そして全体的に邪悪・・・・って感じになっていた。
「だ、だぁりん・・・・」
困惑する僕をよそに、金髪碧眼幼女で最高にいい女はユナに挑戦的な瞳を向けていた。
プルプルと震える彼女はキッと金髪以下略の青い瞳を睨み返す。
そして・・・・・・
「・・・・・・ユウは・・・・・・もん」
「えー聞こえないなぁ?」
「ユウは!・・・・の・・・・もん」
「変わんないよぉ。社会はね、ちゃんと話せない人を簡単に排斥しちゃうんだぞぉ。ねぇ、ユウ君?」
「え、う、うん。まぁ1度そんなことを言った気がするけど」
僕の曖昧模糊な返事が引き金になったらしい。
何かがブチっと切れる音がした。
僕と金髪以下略は同時に顔を見合わせる。
「やっちった」とでも言わんばかりに彼女はペロッと舌を出し、おどけた様子を見せる。
その瞬間、厚い雲から一筋の閃光と怒りが落ちた。
「ユウはユナのものだもん!ユウもそんなえっちい女にデレデレしないのぉ!ユナもユウのこと・・・・ってゆわせるなぁ!」
「ごめんなさぁぁぁぁい!」
迫りくる混沌から囁く彼女 枯れ尾花 @hitomu
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