十三話

 梟は空中に留まりながら、ホーホー、と鳴いている。それを何かの合図だと見て取ったのか、椅子から恐る恐る立ち上がると、アンブロシウスは傍聴席の間を慎重に登り、梟に付いていった。


「ねえ、どこに向かってるの?」


 梟は答えない。アンブロシウスは仕方なく、梟に導かれながら暗い廊下を歩く。真っすぐ遠くを見つめるアンブロシウスに、等間隔に並んだ燭台が光を投げかけ、じめっと湿った足元や、苔や傷だらけの黒い石壁を照らし出す。

 

 廊下先の出口にふと目を向けると、宇宙が透けて見えそうなほどに青い空が、薄い光の筋を投げて寄こしている。まだ星々が退場しあぐねている、曙であった。


 石段を登り出口に着くと、眼前に見渡せる広場越しに、彼らは巨大な建造物を見上げた。首の後ろを手で支えながら、空に届きそうな塔を仰ぎ見る。その塔は複数あるようで、凸凹の胸壁と鎧窓のついた重々しい棟のような建物が緩やかに弧を描きその間を埋めている。


 アンブロシウスは吸い寄せられるように左に視線を移しながら、自身を囲むいくつかの塔を見上げてやっと一周しそうになったその時、飛竜が中腹に突き刺さった崩れかけの塔が視界に入った。


(あ……。確かノータが壊した塔だ。あそこにはなるべく行きたくないな。なんか申し訳ないし……)


 とんがり帽子のような塔の屋根を、その下にある人ひとり入れそうな石の窓が目深に被っている。屋根の下からは上品な色の旗が斜めに突き出ており、時折吹く涼しい朝の風に布をなびかせている。アンブロシウスは塔を凝視する。塔壁には無秩序に取り付けられたいくつかの突き出し燭台。上から下までまっすぐ並んだ石壁からは内部の螺旋階段が少し覗ける。



 うわぁぁぁぁぁぁぁ、とノータが歓声を上げる。


 目の前の建築物は、星気を増幅する多大な工夫と努力の産物であった。アンブロシウスの目を借りてノータは、周りに円を描くようにそびえる十二本の塔を見た後、その間にある弧を描く棟に目を向け、特に円形の鎧窓を感心した様子で眺める。


 この学園は、全体で大きな円になってる、魔力を増幅させるための装置に満ち満ちている、と自身の脳内で描いた図面からノータは判断した。



 学園の建築を見て興奮を隠せない彼らの視界を、あの梟が横切る。その飛んで行った先で、長身、長髪の紫ローブを纏った男の肩に止まった。学長は、左肩で羽の手入れをする梟を一瞥すると、右手の長槍をコツコツと広場に叩きつけながら、広場を横切り、にこやかな笑みでアンブロシウスの前にやって来る。


「一つ言い忘れたことがあった。真名は無闇に教えない方がいいよ。今回はしょうがなかったけど、敵に知られたら大惨事だ」

「……どうしてですか?」

「魔術は言葉と強く結びついてる。言葉をつかって存在に干渉することさえできる。あ、難しい顔をしてるね。要するに名前を使って人に悪戯できちゃうってことさ。だから普通、魔術師は偽名を使う」

「じゃあ僕も偽名を使いたいです。ていうか、この名前長くて言いづらいんですよね」


 首を手で押さえながら俯くアンブロシウスの前で、優しい塔のような男は手で顎をさすりながら悩んでいたが、やがて片眉を吊り上げて晏然あんぜんと語った。


「……ブロージョ……ブロージョはどうだい? 長さもちょうどいいし、これなら本名もバレないだろう」


 そうですね! と言って、一つ疑問が浮かぶ。


「じゃあ先生、さっきの魔法使いの祖っていうのも偽名なんですか?」


「……いや、彼らは本名だよ。偽名はない。……もっと言うと、偽名にする必要がない。こちらが真名を知ったところでどうにかできる相手じゃないからね。正に星の化け物だよ。だが倒せないこともない。然るべき時、然るべき方法で……」


 そこまで言いかけると、おもむろに両目を細めて槍を持ち持ち直した。


「そんなことよりもだ、ブロージョ。これから君の組み分けをしなきゃいけない。本当は入学式の時にやるんだけど、君は状況が状況だからなぁ」


「組み分け? 何ですかそれ」


 学長は広場に向けて長槍を突き出すと、不思議そうに首を傾げるブロージョの横で、その紫色の瞳を閉じて詠唱を始めた。

 

 槍にしては大きすぎる二等辺三角形の穂先はまっすぐに広場の中央を指し、穂の所々に空いた穴の円周を星気が高速で回転している。シュルシュルという音が今にも聞こえそうだった。


 すると広場の中央にブロージョの背丈ほどある光球が突然現れ、場の空気がぴり、と張りつめた。何か厳かなものを見ているような、神秘を体感しているような、そんな感覚だった。恐怖と興奮がないまぜになった表情をしているブロージョを横目に学長は言う。


「あの光球に手を触れてごらん。大丈夫、害はないよ」


 本当ですか、と尋ねるようにブロージョは口をパクパク動かしていたが、唇をギュっと引き結ぶと、決心したように背筋を伸ばして歩き始める。


 害はないと言われてもその光球は異様であった。宙に浮かぶ、人ひとり分の大きさはありそうな銀の球。それはテスラコイルの如く四方八方に光の筋をビリリッと飛ばしており、ブロージョが近づくにつれてその威圧感は増していった。


 人には当たらないから大丈夫だよー、と口に両手を添えて叫ぶ学長の方を見る余裕もなくブロージョは恐る恐る手を伸ばす。手が触れたその時、バスタブのお湯のような優しい温かみを感じる。光球は胎動をはじめ、膨張と収縮を何回か繰り返して広場の空気を圧迫した後、やっと落ち着いた。


 光球はブロージョの不健康そうな肌を温かい緑色で撫でながら、ブロージョから見て右斜めに向かって柔らかい光の筋を伸ばしていた。その先には、あの飛竜が埋もれている塔があった。広場の中央で棒立ちになっているブロージョに学長が後ろから近づく。


「おっ、緑色か。君はなかなか才能があるよ。どの星と契約してるのか知りたいね」

「あの……この光の筋は何でしょうか?」

「ああ、これが示しているのは君の配属先だよ」

(マジか……なんか気まずいなあ……。)


 学長は前髪をどかすように額をなぞる。その穏やかな唇が悪戯っぽく弧を描いた。


「金牛塔アヌ・グアンナ。君が今から過ごす場所だ。あそこで君は勉強をして一流の魔術師になるんだよ……ってもうそれ以上か」


 ニコッと眉尻を下げると、早口で説明をはじめる学長は、紫色の瞳に興奮の炎を宿す。ブロージョの不安を焼き切らんばかりの光をみなぎらせていた。左肩にいた梟を両手でガシッと掴むと空高く上げる。


「ようこそ! ここは魔術都市ヴィーレン! 魔法使いの祖ヴァイ・ヴァスヴァットの遺志を受け継ぐ魔術教育機関さ」


 童心を露わにしたように砕けた態度を取る。


「さっき君が裁かれ……そうになった魔術法廷ウィトネガモートは、真後ろに見える大聖堂の地下。そして、その大聖堂を囲むのは十二の学生塔ステーション、さらに! その二倍の円周上には四つの塔、すなわち神秘、緋月ひげつ滄月そうげつ、拝領の塔。神秘塔はさっきの老人が担当してる。試しに行ってみたら? 殺されると思うけど」


 アハハ、と薄っぺらい笑みを浮かべる学長をよそに、ブロージョは尋ねる。


「つまり……中心に大聖堂があって、それを丸く囲むような形でいろんな塔があるってことですか? 」


「そういうこと。広すぎて広場からじゃ分かりにくいけどね。……で、君の配属先は十二のステーションの一つ、金牛塔さ。通称アル。正式名称はアヌ・グアンナ。本当は触媒に杖を使うんだけど、君の場合は要らないね」


 更におどけた調子になった学長は、両腕を水平に広げて案山子かかしみたいにして傾けている。その上を梟はコロコロと転がり回る。


「あ……あの、そんなに雑に扱って大丈夫なんですか? その……梟みたいな、名前が分からないんですけど、」

「ああ、これね、召喚魔術サモンズ象徴魔術ノージョンズの二刀流で作った動物だよ。名前は『梟』! もちろん自作さ。」


 学長のテンションに付いていけなくなったブロージョは、ただ遠い目をして、好きなように喋らせようと思いはじめていた。


「こういう魔術は各塔で初級・中級・上級の段階を経ながら学んでいくんだけど、君の場合はすぐに使えるようになるかもね。上級の勉強が終わったら大きく道は二つある。学園を出て世間を旅するか、さらに学問を究めるために進学するか。進学した者は三つの学問領域から一つを選んで探求に専念する。すなわち宇宙、星、円のいずれかの探求者になるんだよ」


 今度は梟の翼の端を掴み、振り回したり顔に擦り付けたりする。梟の嘴が心なしかへの字に曲がり、視線の焦点が迷子になっていくのを見て少し心配するブロージョであった。


「とにかく! 学園へようこそ! 私はもう戻るよ、公務があるからね。……では星が交わればまた、何処かで」


 帰ろうとして後ろを向きかけた学長の瞳は、ブロージョの俯いた姿を見て弾かれたように見開かれる。


「どうしたの? 元気少ないね? 」


「学長……。僕怖いんです。ここで上手くやっていけるか」

 前の……、と言いかけてブロージョは口をつぐむ。

「ここに来る前……僕は辛かったんです。人生が、世界の全てが。この苦しみは永遠に続くもので、もうどうにもできない程に追い詰められていると思ってたんです」


 苦しみは循環する。同じ苦しみが続く。これがブロージョの哲理であった。


「そうしてここにやって来て、やり直せると思った! 解放されたと思ったんです。違う世界なら真っ当に過ごせると思ってた……でも……結局僕は……僕が僕である限り苦しみ続けるんだって分かりました。もう辛い思いは嫌なんです! だから……。ここでまた問題が起こったらどうすればいいのか分からない……」


 ここまで正直に気持ちを打ち明けたことなど無かった。それは周りの大人に、家族にどうせ分かって貰えないと決めつけていたから。でも学長なら……。


 ブロージョは気恥ずかしそうに眼を伏せる。心にへばりつく膿をかみ殺すようにきつく下唇を噛み、瞳の奥がわなわなと揺らいでいる。


 学長は片膝をついて長槍を石畳みに置くと、両手をブロージョの両肩にやさしく添えながら顔を正面に据えた。


「大丈夫さ!」


 学長の瞳に迷いの色はない。


「あの時、法廷で見た君の顔、私は忘れてないよ。あれは苦しみを知っている顔だ。君は人生の、世界の苦しみを知っている。だから同じように苦しんでいる人の気持ちが分かるし、彼らの行動原理も分かるはずだ。もう、それだけで一廉の人物じゃないか。無理に元気を出せなんて言わない。


 ――ただこれだけは言っておきたい。君の世界に対する認識エピステーメーは、そこら辺の生徒より優れている。それが君の強みだ。きっと魔法の力を高めてくれるはずさ」


 学長の言葉には人を鼓舞し焦りを鎮める温かみがあった。彼の澄んだ夜空のような雰囲気と、塔のような長身と相まって、ずっと学長の足元で庇護されたいと思った。


 なにより胸に沁みた。学長なんていう偉い立場の人が、尊敬されて然るべき人がわざわざ気にかけてくれることが。はじめてブロージョは、自身が嫌っている弱い面を認めてくれる大人に出会えた。


「どうしても嫌なことがあれば私の部屋に来るといい」


 フードを目深に被り、去って行く学長。塔のような長身が、不気味な質量を伴っている。あの竜が突き刺さった塔を視界に認め、学長は足を止めた。


 この人どこかで……、とブロージョが思った時、学長が振り向く。


「そうか、あの竜を壊したのは君たち……



……ブロージョ、月の華族を知っているかい――」

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