十一話

 そうして掌を地面に向けると、身体を軽く構えた。彼の周りがほんのりと光り、魔力が集まり始める。


 アンブロシウスの意志を感じ取ったのか魔術師達も戦闘態勢をとる。相手方の数はざっと五十人。初学者ならいざしらず、そのどれもが生半可な魔術師ではない。服装は緋や滄のローブ。この着用が認められるのは若魔術師ユングマジスター以上である。加えて紫のローブも何人かいる。彼らは名誉魔術師オーバーマジスターと呼ばれる。魔術師五階級の最高位にして、この学園の幹部たちである。



『ちょっと、何してるの!? これじゃあ学園に入るどころじゃなくなっちゃうよ。まずいんじゃない⁇ 』

『オレの提案を無下にするような学園なんか滅びちまえ。それで、人がいなくなった学園を後から散策すればいい』

『でも、この数はさすがに相手が多いんじゃ――』

『うるせぇ、ちょっと相手するだけだ。オレを誰だと思ってやがる』

 ノータが二の句を継げない口調で言う。強く言い放ったが、両手が細かく震えているのをアンブロシウスは感じ取った。

『いや、ていうか、本当に誰なんですか?』


 両陣営ともに拮抗状態。睨み合いが続く。


 相手は一人。それでも魔術師たちは迂闊に動けなかった。正体が分からないのも怖いが、なによりも本当に魔法が使えるとしたら、勝ち目はほぼない。薄暗い場内で、アンブロシウスの不気味さだけが圧倒的な質量を持っていた。


 それでも場の支配権を制するために、紫の魔術師がやにわに杖を構えた。距離およそ十メートル。ノータが気配に気づき、体を向けるさなかにも、見る見る杖先の円に星気が溜まる。ノータと目線が交わる。魔術師の表情は徐々に嫌悪の色を強める。その佇まいはアンブロシウスが動き出す前に、技を打ち込むことを選び取ったオーバーマジスターのものであった。杖先が僅かに動く。



 と、その時。


「いやあ、驚いた。本当に触媒を使わないんだね! 」


 セナートゥスの背後にある暗闇の廊下から声だけが聞こえた。穏やかな声質であるが、声色は好奇心に満ちている。足音は次第に大きくなり、ゆっくりと光に身を晒しはじめた。

 シルエットが少し浮き出たが、紫ローブの溝や堀の深い顔には依然闇が溜まっており、青黒いグラデーションを身に被っている。


「ごめん、ごめん。月の民掃討の疲れがまだ残ってたみたいで。久しぶりにちょっと前線に出ただけなんだけどなぁ」


 アルミラ球儀の光が男の全身を捉える。ゆらり、ゆらり。男がゆっくり歩くたびに紫のローブと長い黒髪が柔和に揺れる。


 年のころ三十程、身長は180センチはありそうなほど高い。右肩にはカラス、左肩には梟が止まっている。現代風の優男だとアンブロシウスは思ったが、一度会ったら忘れることのできない妙な存在感があった。以前、どこかで会っただろうか。


 その男は椅子の後ろまで来ると、背もたれの上に組んだ両腕を乗せ、前屈みになった。男のゆったりした、自信に満ちた言動がこの場を支配し、戦闘の空気ではなくなっていた。魔術師たちは苛立たしそうに席に戻り、その男を睨みつけている。膨れ上がる嫌忌が場内に浸透する。


 その時、傍聴席の端で一人が囁くのをアンブロシウスは聞いた。その声色は、自分の獲物が横取りされたことを不満に思う時のそれであった。


「なにがちょっとだ。一人であれだけ殺しておいてよく言う……」

「ん? 誰か、何か言ったかい? 」


 男が落ち着いた声で言う。天蓋に向かって上品に伸びた男の上睫毛がゆっくり上下し、辺りを抑えるように見回す。瞳の奥には底知れない深みが感じられた。んん、と口元に拳を当て咳払いすると、少し大きな声で話し始める。


「ここは一旦仕切り直しを。初めまして、青年。私はプロクルステス。この学園の長で、みんなからは梟の学長オールド・オウルなんて呼ばれてる」

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