九話

「ワシは……この青年の死刑を提言する。これに賛成の者は? 」


 老人のしわがれた声が楕円ホールに冷たく響いた。


  ◇


――死刑。


 それはアンブロシウスにとって救い。最後の安らぎ。

 

 

『そんなに大勢で僕を見ないでくれ。誰とも関わりたくないんだ。もう裏切られたくない』


 それは心の傷付きやすさ故の苦悶である。


 次に、そうした弱い自分を認めることができない。

『僕は、僕が嫌いだ。弱くて、傷つきやすい僕が、嫌いだ』


 自分に対する高すぎる理想と、現実との乖離。

 その結果、自分への失望。


 加えて、父親に捨てられた過去が拍車をかける。

『僕の出来が良くなかったから捨てたの? 嗚呼、僕にもっと才気と能力があれば、良かったのに』


 けれど、臆病な自尊心だけはいつまでも傲慢。こうした気持ちと共に彼は生きてきた。何年も、何年も。


 雪山の些細な揺れがやがて雪崩になるが如く、これらの懊悩おうのうは集積し、聚合しゅうごうし心に影を投げかける。大きな闇を形成する。


 

……けれど、些かの後悔。死よりも魅力的なものがこの世界にないと言い切れるだろうか? この世界に来てたった二日足らずで? そう断言できるほど、彼は生き抜いたのか。


 闇よ、おお闇よ!この答えの出ない問いに対し、あまりにもひどい吐き気をもたらす生の苦しみに対し、闇は唯一の解を与える。 


 それは忘れること。忘れること!


 生に向き合うより、悩みも人生もすべて忘れたほうがよほどましだ。


 闇にすべての問題を解決させよ。あらゆる人の意志を打ち砕かせよ。凡そすべての思考を放棄させよ。


『もういいよ。何も考えたくない。辛い。どこに行ったって苦しいものは苦しい。さっさと殺してくれ』


 それは死への誘い。


『僕は死んで転移した訳じゃない。だから死ねば、本当にこれっきりに出来るかも』


  ◇

 

 老人の死刑という提言に賛同する者がほとんどだった。苦渋の決断らしい様子をしている者。脳死で、ほほえみながらただ何の疑問も抱いていないように見える者もいた。


 反対陣営は劣勢だった。最も近くに見えたのは、アンブロシウスから見て右側の最前列だ。反対の者は、と老人が聞いた時、滄のローブを着たその男は神妙に右手を挙げた。そして結果は―、


「賛成多数により、ここに死刑を宣告する! 明日、神秘塔地下において執行する」


 ドンドン、と老人は木槌で机を叩くと、手元の紙に封をし、封蝋に印章を押した。印章には、片腕に女の生首を持ち、もう片腕を振り上げる男の姿が彫られており、そのシルエットは封蝋に残酷なほどくっきりと残った。


 老人の声音が空気を震わすと同時に、アンブロシウスが椅子にもたれ掛け、薄く笑みをこぼしたその時――



ノン! 」



 自分の声が場内に響くのを聞いた。

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