六話

 ノータが寄ってくる。逃げようとするが透明な壁に遮られた。壁に頭をぶつけると、その横にノータがドスンとブーツを突き立ててくる。ひぇっ、と自分の情けない悲鳴が上がる。


 ノータを見上げると、白い佳月のような喉がクツリと動くのが見える。彼女がはにかむような笑顔で目を閉じると、薄い赤に色付けされた瞼がよく見えた。鼓動が跳ね上がり、呼吸が荒くなる。


『嫌だ、嫌だ……悪魔にだけは汚されたくない……っ! 』


  星気の知識は相手のほうが多い。この場は彼女に主導権がある。逃げられる訳がない。そう思い始めた時。



「おい、出ろ」



 牢獄の外から声が聞こえた。緑のローブを着た恰幅の良い男が二人。看守だろうか。どちらも短い黒髪で、眉間にしわが寄って険しい顔をしている。一人は杖らしきもので周囲を照らし、もう一人は背中に剣を担いでいる。


「何をひとりでブツブツ言ってるんだ。気色悪い」


 さっきとは別の男に言われる。忌々しいとでも言いたげに眉根が寄っている。どうやら相当嫌われてしまったようだ。


 表情で精一杯、人畜無害さを演出しながら僕は従う。牢獄の外へ出ると後ろから杖と剣を突き付けられた。ゴクリと唾を飲み込み指示されたまま歩き始める。


 こうまで警戒されるとかなり傷つくものだ。僕が気を失っている間にどんな悪行をやらかしたのか。本人に聞いてみることにした。


『なあ、お前何やったんだ。ていうか学園に入りたいなら、学園側に迷惑をかけないようにとか思わなかったのか。あれだけの魔法が使えるんだ。恩を売っておくべきだったと思うけど』

『ッチ……うっせぇな』

 鋭くこちらを睨みながら言う。強く絞られた声だ。ノータは苛立たしそうに続ける。

『あの時はここがどこかも分かってなかった。だから目の前の仲間を倒すのに必死でいろいろ壊しちゃったんだよ』

『壊したって……』

 白竜のことを思い出す。そしてあいつが何をしたかも。

『もしかしてあの塔は学園の建物だったのか……⁉ 』

『そうだよ。いちいち言うな。黙ってろ』

『はあ、完全に僕たちが悪いじゃないか』

 僕は申し訳なさそうに眉尻を下げた。

『それでここがなんで学園だって分かったんだ』

『あのレリーフが見えるだろ。あれは『空間神殿』の証だ。この学園は空間神殿の上に建てられたんだ』


 イラついているのか説明は簡潔だった。『同期』とやらをさっき阻まれたからだろうか。まったく気分の変化が激しい女だ。まるで感情を知ったばかりみたい。


『そんなことも知ねえのか。異星のオレでも知ってるぜ。阿呆がフール

『逆に聞くが、なんで異星のお前が知ってるんだ? 』

『ああ? そりゃオレの師匠が――』


 その時、看守の一人が話しかけてきた。手には石板スレートのようなものを持っている。

「お前、名は? 」


 そこで僕ははたと我に返る。そうだ、そういえばまだ名前がない、と。


『さすがに前の名前じゃ通用しないよな』

『アンブロシウスだ』

『……はい⁇ 』

『オレがこの星に入る時、『星の代行者』が言ってた。オレ以外にも入って来る者がいて、そいつの名前はアンブロシウスだって』


 自分の知らないところで勝手に名前を付けられるのは変な感じだ、と思った。


『ていうか、転移モノによくある、異世界の女神様的な存在にまだあってないじゃないか! 』

 綺麗な女神様とイチャイチャするのが夢だったのに。僕は両手を上に突き立て呻き声を上げる。ノータはため息をついていた。

『お前が何を悔しがってるかは知らないが、星の支配者的な奴はいるぞ』

『そうなんだ……。なんか読み慣れた役割の存在がいると安心するよ』

 訳が分からないことの連続なので、馴染みのある物事に少し安堵する。

『名前はカサイン』

『へえ。それでどうすれば会えるの? 』

『会えない』

『……え⁉』

『オレが封印した』

『は……? 』

『侵略するのに邪魔だったから。封印魔法を使う寸前に、伝言を頼まれた。それがさっきの名前だ。だから名前の由来は知らねえ』

『えぇ……』


 どうやら思っていた異世界とは少し違うらしい。というか封印したって……。仮にも星の支配者なんだろ、易々やすやすと封印されるなよ。それかこの女が余程のやり手なのか。益々正体が気になる……

『あーあ、嫌な面思いだしちまった』ノータが語気を荒げる。耳たぶまで震えそうな大声だ。

『あのカサインって奴はいけ好かねぇ! 今度遇ったら一発殴らせろ。それかお前が代わりに殴っておけ! 』


 ははあ、と僕が反応に困っているとまた声が聞こえた。


「おい! 名前は⁉」看守が怒鳴る。

「あっ! ……アンブロシウスです……」


 咄嗟のことで声が上ずる。情けない声が薄暗い廊下に響くのは一寸の間で、その後また心地よい水滴の音や、緩やかに空気が流れる音が響いた。


「さっさと答えろよ。低脳が……」

 看守の鋭い刃が心に刺さる。


『気にするな……。大丈夫。聞き流せばどうということはない』僕は自分に言い聞かせた。


  ◇


 その後も警備がいくつか質問しスレートに書き込んでいった。そのてっぺんには柔らかい凍石の石筆で大きく『魔術法廷ウィトネガモート 出廷資料 囚人番号666』と書かれていた。


 どこが出口かも分からないまま薄暗い廊下を歩く。両脇の牢獄にはあの時遇った怪物たちがいた。大きさも形状も様々で、近くを通ると鉄柵に張り付いて牙をのぞかせる個体もいた。それでも体色が白いということだけは共通している。


 こいつらもノータの仲間なのだろうか。彼女は何も言わない。あ、そういえば、と重要なことを思い出す。


『いろんなことが一気に起こりすぎて聞けなかったけど、結局僕の延命は成功したの⁇ 』


 それを聞くと、ノータは苛立ちの捌け口を見つけたのか卑しい目をこちらに向けた。人を小馬鹿にした顔だった。その顔を見て何か嫌な予感がした。

 苦悶と絶望を宿した心臓にそっと歯を立てて、奥歯で押し潰すように味わい愉悦に浸る。そんな顔をしていた。


『ああ……それはね』


――やめろ、言うな。


『――嘘だよ』


――嗚呼。まただ。


『この世界にマナなんてない。あの時死にかけていたのはオレだけ。君は騙されたんだよ』


――やっと、誰かを信じられると思ったのに。性悪のクソ女め。


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