四話

 暗いなか目を凝らして分かるのは、薄暗い正方形の部屋にいるということ。目の前の漆喰は剝がれて古そうな石壁が顔を出している。部屋の正面は鉄棒で閉ざされており廊下から薄暗い光が入ってきていた。体全体にゴワゴワとした感触を感じる。見ると、汚いボロ布を着ていた。


 原田はため息をついて目を閉じる。すると辺り一面が湖の表面のようになった。削られた銀の表面みたいで、凹凸の角度に応じて様々な光を発している。空には一面に薄紫の靄が立ち込めている。


――少し遠くに、あの女の姿が見えた。


『それで、なんで僕たちは牢屋にいるんだ? 』

『捕まっちゃった♡ 』

 女は許してほしそうに、華奢な体をくねらせる。筋肉の筋がはっきり見える細い体で。小さい肩は更に縮こまり、白い肌は新雪のようだ。普通の男なら許してしまいそうな妖艶さだが、相手が悪かった。

 こと女性に関して、原田の判断は厳しい。女性であるというだけで彼の中では減点対象だ。


 原田が不機嫌な理由はもう一つあった。自分の体内に他人がいるという気持ち悪さ、不安。それが得体の知れない者なら尚更だ。素性を明かしたいと思うのは当然だろう。あの時は状況が状況だったのでそこまで気が回らなかったが、冷静になると様々な疑念が湧き起こる。女の名前は、そして正体は? 何で魔法が使えるのか?


 原田が頬に手を添えて考え込んでいるのを見て、女は訳知り顔で近づいてきた。

『ほほう。まあ、疑問が出るのは当然だよね』

『え? 何急に? 』

『いやあ、君の考えていることはほぼオレに筒抜けだから』

 女は背をかがめて上目遣いで言う。光の加減で長い上睫毛がよく見える。

『はあ⁉ 』

 なんという恥辱。まだ変なことを考えていなかっただけ心理的ダメージは少ないのかもしれない。  


 しかし、おかしい。あっちは分かるのに僕はあいつの考えが読めないぞ、と思った瞬間、女が口を開いた。

『それはオレが『対侵入魔法』を使ってるから。読み取りたかったら、魔法を勉強するしかないよ』

 真っすぐ立った女は、見下ろしながら言った。長く伸びた足はまるでモデルのようだ。八重歯を見せるようにして笑っている。


 魔法と聞いて原田はさっき見た召喚魔法を思い出す。そこで聞くべきことをリストアップしたのだろう。少し興奮ぎみに話しかける。

『君の名前は⁇ 』

『うーん、そうだね。じゃあノータで』 

『何、『じゃあ』って。今決めたみたいじゃないか』

『細かいことはいいから~。ハイ、次の質問どうぞ~』

 掴みどころのない女だ、と疑念を募らせながら質問を続ける。

『ここはどこ? 』

『ここって? 牢屋のこと、それとも君とオレが今いるところ? 』

『こ こ ! 』本当は侵入魔法とやらで分かっているくせにと少しイラついて言う。

『敢えて言うなら、君の精神世界かな。心象風景とも精神界とも言う。好きなように呼べばいい……それにしても、つまらない風景だねえ、君の心は。はじめて他人に入ったけど、もっと味わい深いと勝手に期待してたよ』

 ノータはどこか含みのある色を瞳ににじませ、顎に手を当てた。

『君、過去に相当嫌なことがあっただろ。じゃなきゃこんな殺風景にはならない』

『うるさいな。ほっといてくれ。それで……』

 原田は苛立たしそうにノータを一瞥する。依然、裸体だがどこかが変だ。見間違いでなければ、髪が短くなっている。

『ああー、髪のことね』

 原田が言い出す前にノータが察する。相手に考えが筒抜けなのは、便利だがやはり慣れない。


 ノータは強く髪をかき上げると、ぱっと顔を輝かせて言う。

『そうだ! やってみたいことがあるんだ』


 そう言って、どこからともなく現れたカーテンの裏に隠れたので、ゴソゴソと動く影だけが見えた。もう裸を見ているし今更隠す必要ないだろ、と思っているとノータが勢いよくカーテンを引っ張った。そして再登場した時には、


『じゃーん‼ 』


 服を着ていた。首元の開いた赤いワイシャツにゆるい黒のネクタイ。肩に黒いジャケットを羽織っている。目線を下に向けると、赤いパンツスタイルで黒いロングブーツにブーツイン。刈り上げられた白いショートヘアは耳の上半分を隠し、雪待月のような頬を露わにする。その輪郭のはっきりした顔立ちは、どの角度から見てもキリっとして美しい。

 ポケットに手を突っ込み重心を傾けながら立っているが、その姿はアイシャドウで赤みを帯びた瞼、長い睫毛、端整な鼻と相まって、美形だがどこか悪魔的な印象を与えた。


『どうよ⁉ 』と言ってはいるが、ポーズを取るのに夢中で原田には見向きもしない。そうしてノータはまたカーテンの裏に隠れた。原田は魂が出そうなほど大きなため息をつくと、その場にあぐらをかき頬杖をついた。


 次にノータが現れた時、今度は露出の多い服を着ていた。髪型はマッシュで黒に染められている。前はパッツンで、後ろから横に行くにつれて髪は少しずつ長くなり緩やかな弧を描く。頭を動かす度に黒髪がなぞる柔らかな輪郭が光に反射して映える。体を隠しているのは黒の際どいブラトップと極端に短いミニスカート、そしてストッキングだけだ。首にはチョーク、腕にはレザーブレスレット、ストッキングの上にはガーターホルスター。赤いヘアバンドも。今から戦いにでも行くような格好だ。


 そして憂いを帯びた目をこちらに向けている。役に入りきっているのだろう。それにしても、スカートとストッキングの間に見える太ももは刺激が強すぎるのではないか。そう思った瞬間、ノータは瞳を柔和に細め、ニヤリと口端を吊り上げた。

『君、むっつりだろ』

『っ……‼ うるせぇよ」

 咄嗟のことで上手い返しが出来なかった。本心がバレてなければいいと思ったが、相手がニヤニヤと悪意を凝縮した笑みを浮かべているのを見るに気持ちは全てお見通しなのだろう。


『ねぇ、いつまで一人で試着会やってるの。よくそんなにいろんな服着れるよね』    

『せっかく他人の記憶から服を選べるんだからもうちょっと楽しませてよ~。お気に入りの服が見つかるまで待ってくれてもいいじゃん』

『もしかしてこれ全部僕の記憶から持ち出したのか⁉ 』

『そうだよ~。君は興味なかったかもしれないけど、ちゃんと記憶には残ってるね。で、君の記憶をオレの認識に合わせてる。世界の解像度ってやつ。君は言葉を知らないだけで実はいろんなものを見てる。しっかし面白いね~。君の世界ではこんな服を着るんだ』

『初めて着るにしてはセンスが良すぎるだろ……』


 原田の言葉をよそにまたカーテンの向こう側で服を選び始めたのを見て、彼はこめかみを抑えながら言った。


『あと何回着るんですか~? ていうか何で僕の記憶から服を着れるの⁇ 』

『それはね、今のオレ達が『アストラル体』だから』


 そう言ってノータはまたカーテンを引いた。今度は豊かなボブカットにロリータケープの組み合わせだ。ワインレッドのケープには端々に色の花柄の刺繍が施してあり、その下に栗色のシャツを着ている。青い星のイヤリング、太もものガーターベルト、レースアップロングブーツが体の輪郭を際立たせる。そして腕には小さな籠バッグ。頭には小さなポークパイハットを傾けてちょこんと載せている。どうやらこれが気に入ったようで、ケープの裾を持ちながらクルクルと恒星のように自転している。


『アストラル体って何さ⁇ 』

 彼女のファッションをひたすら無視して聞く。

『そんなことも知らないのか。愚かだねえフール


 ノータは鏡を見て服装を微調整しながら詳しく説明を行った。曰く、この世界は五元素で構成されている、と。すなわち火、土、水、空気、星気。空気と星気はほぼ同じだが、その違いは過去の魔法使いの認識に由来する。地上において常に落下する物体と天の落ちぬ星々を見比べて昔の人は思った。宇宙は、地上の空気とは違うエネルギーに満ちているに違いない。そのエネルギーを空気と区別してこう呼んだ。星気と。そして、その星気に自己の意識を乗せて形成する個体をアストラル体と呼ぶ。あの対侵入魔法も星気について学べば突破できるようになるらしい。


『理解できたかい⁇ フール』

 青い人形のようなノータがにんまりと笑顔を向ける。悪魔の嘲笑だ。

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