二話
空を飛ぶ、白い神殿のような飛竜。地を揺るがす咆哮をあげる度に、口の中に三本の舌の炎が見える。そこから地の果てまで届く勢いで、豪炎が地上を薙ぎ払う。
その炎のさなか、火に飛び入る羽虫さながら、手前に見える塔の
「え――、何これ――、」
周りには魔法と剣の応戦、戦場の轟。降り注ぐ流星群と大地には無数のクレーター。あまりの衝撃に文章を形成できない。
しかし現実は非情である。転移先が安全圏とは限らないものだ。原田は、ありったけの転移モノの知識で行動マニュアルを探そうとしたが、目ぼしいものは見つから無いと分かると焦燥をおし殺すように下唇を噛んだ。
◇
遠方の細長い塔から出で来るは、ひらひらとローブをはためかせる長身の魔術師。全身を包む深い紫のローブ、その上に赤い薄布を羽織っている。そして布の端には天球儀を模した刺繍。
双蛇が巻き付いている杖を取り出すと、何かに祈るように口ずさみつつ高く杖を掲げた。すると彼の頭上の空間が裂けそこから星雲が見えたのも束の間、出現した数多の光矢は飛竜を追跡し――遂に撃ち落とした。
「うわー、すごい。魔法かなぁ」
あっけにとられている間、重大なことを見落としていた。飛竜がこちらに落ちてきている。何処へ逃げるべきか分からないが、
「……っ! 」
このままでは下敷きになってしまうことだけは分かった。原田は、必死に身体に命令する。
(逃げろ! 逃げなきゃ! )
普段、運動しないことをこれ程悔いたことはないだろう。
隕石のようにこちらへ迫る白い飛竜。彼は力を振り絞り必死にダイブ。結果、翼の端ギリギリに躱せたが、墜落の風圧に吹き飛ばされた。砂埃と土が爆発のように散布する。
(こんな短期間に二回も宙に浮くなんて、僕はなんて運星が悪いんだろう)
頭と背中に激痛が走る。近くの樹木にぶつかり、枝を折りながら彼は落ちていく。
なんとか立ち上がり、
(とにかくここから離れなきゃ)
もたつきながら必死に走った。寒気が入り込んで喉が痛い。取り込む息は肺を凍えさせる。斜面に気が付かず転んでいった先は、ひときわ大きなクレーターだった。その中心にいたのは――
楚々として白く、寒月のような肌。長すぎるウルフカットの巻毛は腰にまで掛かっている。畢竟、そこにいたのは月光に身を包んだ裸の女性だった。
女は原田に気付くと、這うようにこちらへ向かい始める。けがをしているのか、その足取りは遅く、すぐに振り切れそうだった。が、足が動かない。棒きれ同然だった。すくんでしまったのだ、後方から聞こえる飛竜の咆哮を聞いて。
女が徐々に近づいてくる。
(逃げろ、逃げなきゃ! )
身体がこわばって動かない。女が右手を伸ばしてくる、生命を氷付けにするようなその手を。
彼は両手の甲を眉間の前にかざし、もがくように手で顔を隠した。気持ち悪い汗で背中がべたつく。けれども、
「君、そのままじゃ死んじゃうよ」
(――え? )
「マナを取り込む回路がないから」
女は氷柱のように鋭い視線をこちらに向けている。目の下がほんのりと赤い。
「ぼ、僕を殺さないのか? 」
「あー、普段ならそうするかもね。でも今は……。そう、もう長くはないんだ」
そう言って伸ばした右手は、長く尖った爪先から肘まで灰のように崩れて行った。それを見て忌々しそうに言う。
「この有様だ。そして君も長くはない。だけどオレには『回路』があるし、君を延命させることだってできる」
「何が言いたいん――」
「その体、オレによこしな」
(はい?? え? )
「オレに委ねろって言ってんだ」
「何を急に――」
「いいから決めろ! 」
華奢な体から発声される音とは思えないほどの怒号。
「このまま何者にもなれずに死んでいくのか、まだ始まってすらない君の人生を再開するのか! 前の世界が不満だったんだろ。ここに一からやり直すチャンスがあるんだ、さあ! 」
女は崩れた右手を彼に差し出す。まだ崩れは続いていた。女は苦々しい顔をして、下唇を噛んで焦りを殺す。
「なんで僕のこと――」
「『対侵入……』」そう言いかけて女はかぶりを振った。「ってそんなことはどうでもいい。時間がないんだよ、君もオレも! 後ろからワイバーンだって来てる! 」
――嫌だ、分からない、苦しい。
怖くなって目を瞑る。
――なんで僕ばっかりこんな目に。
夕暮れ時の教室が頭に浮かぶ。居残りみたいな閑散さ。窓から差し込む憂鬱な夕日と、哀愁漂うカラスの鳴き声。原田は一人で座っている。辛く、そして退屈な日々だった。目の前にいるのはあの女だ。このまま死ぬか、オレに触れて第二の生を送るか選べ、と叫んでいる。
――急すぎて、何がなんだか分からないよ。
異世界に来てから衝撃の連続で思考がまとまらない。
――そりゃ、前の暮らしに戻るのは嫌だけど、ここだって良い所か分からないし。
少ない情報量で、判断材料を集める。
――第二の生だって、幸せに送れる保証はない。さっき戦争に遇ったばっかりだし。
異世界に対する幻想が崩れる。ハッピーライフという淡い期待が蒸発する。
――目の前の女だって……信用できるの……? 女は悪魔だってあの時、悟ったんじゃないか……。
叫んでいる女に対し、原田は意識を向けないようにする。厚い水膜にでも隔てられたかのように声は靄となって遠ざかる。
周囲には教室のいろんな設備が見える。過去の理不尽な記憶が蘇る。
――僕は何も出来なかった。打ちのめされた人生だった。それがやり直せるとすれば……⁇
その期待の強さだけは、人よりあるつもりだ。
――やっぱりまた辛い目に遇うの⁇
不安が邪魔をする。結局こうなるのだ。彼は最後の決断ができないのだから。
――そしたら、僕は今度こそ壊れてしまう……。
嗚呼、共に歩む仲間という保証があれば。人生を分かち合うことができたら――。
「できるよ‼ 」
下を向く彼の視界に入ったのは女の手。眼前の靄が一斉に裂け、光に包まれた。明瞭に響く声は空気を突き抜け、心と骨を振動させる、その最も深いところで。
「世界が苦しいかどうかなんて今悩むな! 目の前のことに集中しろ。オレも君もまだ生きてるんだ。一緒に生き抜いてから、苦楽を判断すればいいじゃないか! 」
目の前の強い言葉で囁いてくる人物。正体不明の、微塵も信頼できない裸体の女が持ち掛ける、突飛すぎる提案。そんなもの承諾しない方がいいことは明らかだ。
「オレと、この世界を見定める旅をしよう! 」
だが、この女しか命を救えないのも事実で。だから、彼がした決断は――
「生きたい! 僕は、もう一度挑戦したい! 」
だって、世界への期待を捨てきれないのだから。
◇
降りしきる流星群を背後に、薄茶色と、月色の瞳がお互いを引き寄せる何かを探るように見つめ合っていた。運命の引力か、はたまた星の意志か。
すがるように原田は右手を前方へ伸ばす。女はまだ崩れていない左手を。ぺたんと地面に腰を下ろしたまま、二人の手が重なる。
戦場の轟が遠のく。攻戦に伴う噴煙のなかで、二人のシルエットだけが際立っている。
その刹那、女は陰りのある笑みを浮かべた。
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