告白 ―君に伝えたいこと―
ハルカは『秘密』を話してくれた。自分も話さなければ、とは思う。
ベッドに寝転がり、部屋の天井を見詰めながら考える。自分みたいに、受け入れてくれるだろうか、と。
「……判んねぇし」
解らないから話せない。嫌いになられたら、どう生きていけばいいのだろうか。自分の過去を知ったらどうなるのかと考えたら――怖い。
「ハルカ……」
お前の過去を受け入れることは当たり前だと思ったんだ。どんなハルカだろうが、変わりはないのだから。
ため息が出てくる。いや、ため息しか出てこない。こうして悩んでも、結局は自分の過去を受け入れるだろう。過去だけではなく、
「オレは……なにが出来る?」
彼に、なにをしてあげられるのか。何時も助けられてばかりで、なにもしていない。
あり得ない訳ではないが、ハルカが抱きたいと言えば『いいよ』と言える覚悟はあるつもりだ。男同士どうするかも知っている。――正確には『知っているつもり』が正しいのだが。
お前だからいいんだぞ、とは本人を前にしては恥ずかしくてとても言えないけれど。
「明日――早く来ないかな……」
ミノリは枕を握りしめながら、眠りに落ちた。
◇◆◇◆◇◆
家に帰るなり、伯母に怒られてしまった。そうなるであろうことは理解していたが、それは数分で終わりを告げた。
部屋に戻れば部屋着に着替え、ちらりと壁掛け時計を見る。時刻は午後十時五十五分――。
「言っちゃったな……」
クロゼットに背中を預けて、呟く。
父親に捨てられた過去を、大切な人に話してしまった。ほんの少しだけ知ってほしいと思ってはいたが、こんな形とは予想外だ。
「でも、ミノリ。お前は俺を受け入れてくれた……」
その優しさに、救われた。
「なぁ、ミノリはなにを隠しているんだ?」
薄々は気付いている。――でもそれは、間違いかも知れない。本人の口から聞くまでは、へたに動かない方がいいだろう。
「大丈夫。なにがあっても、俺はミノリの全部を受け入れるよ」
今はここにいない大切な人へ、彼は言葉を紡いだ。
◇◆◇◆◇◆
今日は部活がない日だ。各々好きなことをすればいい。
「家?」
インターホンが鳴ったので出てみると、そこにはハルカがいた。『俺の家に来ないか?』と言われ、ミノリは首を傾げたところである。
「暇だろ?」
「まぁ……」
遊びに行く友達は他にはいないので、彼に誘われなければ外には出ない。昔からそうで、自発的に赴こうとは思わないのだ。
「待ってるから、着替えてこい」
そう言って、くしゃりと頭を撫でる。
「――ハルカ……」
「ん?」
「なんもねぇ。着替えてくる」
そう言い放ち、玄関のドアノブから手を離す。彼は踵を返して廊下を進んだ。思考を巡らせながら。
あの顔は、なんだろうか。柔らかく微笑むハルカに、心臓が跳ねた。それは一瞬だが、力強い。
「ちょっと待てよ……」
顔が見れない時もあんな顔をしているのか、と考えて、また心臓が跳ねる。笑顔を打ち消すようにふるふると首を左右に振るが、鼓動が速く、躯には熱が籠っているみたいだ。
「好きな子を見るって、あんななのかなぁ……」
大切な人を見るとはああいうことなのだろうか。あんなに優しい目をしているのか。
「オレがハルカを見る目も、あんな風だといいな」
階段を上がりきり、二階にある自室のドアを開けながら言い放つ。
部屋に入り、クロゼットを開ける。服装には
服とズボンをベッドに置き、パジャマ替わりのシャツを脱ぐ。開け放たれたクロゼットの姿見に映る、自分の姿。――それはあまり見たくはなかった。肩にある痣と腕に散らばる紫斑。主に上半身にある痕は、色白の肌にあまりに不釣り合いだ。
「消えないよな……」
形として残った痣は、見る者を怪訝にさせる。『消えてくれ』と願っても、消えてはくれない。痕を消すように、急いで服を身に纏う。次いで、パジャマ替わりのジャージのズボンを脱ぎ、クロゼットから出したズボンに穿き替えた。
「ミノリ」
声が聞こえた後にノック音が聞こえ、びくりと躯を竦める。なんの心構えもなければ、驚くしかない。
「着替えたか?」
「ま、まだ。もう少し」
ドアの外まで聞こえるように少し大きな声で言う。
「判った。ここで待ってるから」
先ずはズボンのファスナーを閉めて、ホックを留める。シャツのボタンを留めれば、準備万端。脱いだ服は素早く畳んで、ベッドの端に置いておく。
着替えは終わり、ドアに近付きつつドアノブに手を置けば、向こう側から開けられた。
「えっ?!」
「いや、近付く気配がしたから……。着替え、終わったんだな」
「あ、う、うん」
彼は何時ものように優しく頭を撫でる。
柔らかく微笑む顔が浮かび、ミノリは彼から顔を背けた。
「ミノリ?」
「な、なんでもねぇから……」
「そう」
再び頭を撫でて、垂れ下がる手を取る。少し冷たいミノリの手は、少し火照る躯を冷やした。
「行こうか」
握る大きな手に導かれ、彼は部屋を後にする。
◇◆◇◆◇◆
「ハルカの家って、誰かいるのか?」
夏の陽射しは容赦ない。うだるような暑さに温められた生暖かい空気がまとわりつく。二人は夏の陽射しの下、ゆっくりと歩を進めている。
「美江子さん、今は仕事に行ってるから俺とミノリだけかな」
「なんだよ、そのシチュエーションは」
「別になにもしないから安心しろよ」
「なっ……! なに言ってんだよ!」
「したくても、出来ないだろ……」
ボソリと呟く。その呟きは、慌てて顔を背けたミノリには聞こえていなかった。彼はじっと前方を向いている。
「ミノリ」
「……なに?」
声を掛けるとこちらを向いて、少しだけ歯を見せて笑う。一時前の言葉で頬が赤いのだがその顔は他の人には見せていない。言わば、ハルカだけが見れる表情だ。自分だけが見れる。それはとても幸福だ。
「なにを見てたんだ?」
「雲、かな。雲っていうか、空」
言いながら前方の空を指す。青い空に、色々な形をした白い雲。それはゆっくりと風に流されている。
「へぇ。そう言えばミノリに電話した時にも、そんなようなことを言ってたよな」
「そんなこと覚えてるのかよ」
何日も前のことなのに。記憶力がよすぎではないか。
「覚えてるさ。ミノリのことならなんでもな」
「は、恥ずかしい奴だな……」
瞬時に頬が赤みを増した。手の甲で口を隠し、視線は空へと戻す。
「そうか? 好きな人のことは覚えるもんだろ」
――好きな人。その言葉に、鼓動が速くなる。
「顔、赤い」
「っ……! お前が変なこと言うからだろっ」
笑いながらの声にプイとそっぽを向いた。それでも、繋いだ手から温もりが伝わる。ミノリは手に力を込めた。離れたくない、と昨日の想いが甦る。反してハルカは空いた手で彼の頭を撫でた。愛しくてたまらない。
「……ハルカは何時も頭撫でるよな」
「丁度いい位置に頭があるからだよ」
「あっそ」
そんな他愛もない話をしていただけで、目的地の家に着いてしまう。玄関の前に立ち、彼は胸ポケットからカギを取り出して玄関を開ける。
「ちょっと散らかってるけど、どうぞ」
促されつつ足を踏み入れ、靴を脱ぎ玄関を上がる。
「リビングじゃなくて、俺の部屋な」
背後から心地よい声がする。声だけで胸が温かい。
「え、ハルカの部屋?」
「見てもらいたいモノがあるんだ」
玄関のカギを掛けて靴を脱いだハルカは、振り返って首を傾げた彼の手を取り廊下を進む。
「見てもらいたいモノって?」
先程から疑問符ばかりだが、気にしない。
「着いてからのお楽しみ」
「判った」
いまいち意味がよく判らないが、取り敢えず頷いた。
階段を上がる音が、辺りに響く。
――もうすぐだ。全てを、知ってもらえる。
そういえば、とミノリはハルカの部屋に初めて入ると気付く。リビングには入り浸っていたし、場所は解るにせよハルカ自身の部屋には一度も入ったことがない。ミノリも部屋に入れた記憶はないので、ハルカにとっても同じであるが。今になって何故部屋に入れようとしているのかが読めない。
「――――だ」
「え……、なに?」
ぼんやりと考えていた為に、ハルカの声は耳には届かなかった。ぽんと頭に手を乗せられる。
「会わせたい人がいるんだ」
彼は微笑み、目前のドアを開けた。
「会わせたい、人……?」
部屋を見るが誰もいない。目についたのはタンスの上に飾られた写真立てである。ミノリはその写真立てに吸い寄せられるように、ハルカの部屋へと足を踏み入れた。
その写真立ての中には、若い女性の写真が入れられている。写る女性は、花が咲く緑の中で柔らかく微笑んでいた。
「この人、ハ、ルカの……」
この人は、ハルカのお母さんだ。直感的にそう思った。そっ、と写真立てに触れる。
「そう。俺の母親」
背後から声が降ってくる。それはどこか淋しげだった。
「俺が、殺した人だよ」
後ろから声と共に抱きしめられる。泣いているかのように掠れていた。
「ハルカ……」
「ミノリ、俺はずっと過去に縛られて生きてきた……。お前もそうだろ?」
「っ……」
躯を竦めはしたが、『そうだ』とも『違う』とも言えなかった。彼はただ俯いて、写真を眺めている。
ハルカは『秘密』を話した。辛い秘密を話してくれた。オレは、なにをした? オレは――オレからは一切なにもしていない。嫌われるのが、怖いから。
写された彼の母親が『大丈夫』と言った気がする。ただの幻聴であろうが、それは大きな力となった。ぎゅっ、と両手を握り躯を捩る。
「ハルカ」
仄かに揺らぐ瞳には、それでもどこか強い光が宿っていた。
「なぁ、オレの話を聞いてくれるか?」
ハルカは一瞬目を見開いた後に、目を細めてこう言い放った。
「当たり前だろ」
受け入れる準備は、
◇◆◇◆◇◆
壁掛け時計の秒針の音が部屋に響く。二人がベッドに腰を掛けて、五分が過ぎようとしていた。
ミノリの手はしっかりとハルカに握られている。
「あ、のな……オレは……」
言う決心をしたが、いざとなると口が開かない。一度小さく息を吐いて、自身を落ち着かせた。
「オレな……、いや……、オレが悪い子だから……、お母さんはぶってきたんだ……」
俯いて、言葉を絞り出す。ポツリポツリと紡がれる言葉は小さくとも聞き漏らさない。
「お母さんは……悪くないんだ。そんなことは判ってる……」
手をあげる度に、母親は泣きそうな顔をしていた。それでも、怖かった。ぶってくる母親が怖かったんだ。
「でもっ、怖くて……っ、お母さんが怖かった……」
ハルカは握る手に力を込める。大丈夫だというように。
「……殴られたり、水の中に顔を入れられたり……、押し入れに閉じ込められたり……っ」
なにがそうさせるのかは解らないが、暴力、水、暗闇――その全てが、トラウマになってしまったのだ。
「ミノリ、こっち向いて」
優しさを滲ませた声で言われ、彼は徐に顔を上げる。顎に手を置かれ、ミノリは躯を強張らせた。少しずつハルカの顔が近付いてきている。驚きに目を見張ったが、その後は逆らわずに瞼を閉じた。重なった唇はすぐに離れていく。
「それが、ミノリの『秘密』?」
問う声に瞼をゆっくりと押し上げて、恥ずかしげに軽く頷いた。
「ん……、そうだよ。オレの『秘密』だ。……ずっと過去に囚われてた……」
顎に置いた手を肩に滑らせ、彼はミノリを抱きしめる。
「同じだな。過去に縛られて生きてきたんだ。俺もお前も……」
「……うん……」
「でも――もう受け止めよう。過去に縛られているだけじゃ嫌なんだ」
「受け止めるって――」
どうやって? という言葉は、飲み込んだ。疑問を読み取ったらしい彼が笑ったから。
「俺はミノリの『秘密』を受け入れた。ミノリは俺の『秘密』を受け入れてくれた。お互いが、受け止めたんだ」
「そういうことでいいの?」
「今はな。後はゆっくりと自分で受け入れていけばいい」
「そう、だな。今は、それでいいか」
過去を受け入れるには、かなりの時間が必要だろう。受け止めてくれる人が傍にいる。それはどんなに心強いだろうか。
「正直に言えば、俺は判ってた」
「え、なにが?」
「ミノリが、母親からなにかされていることを」
たった一度、垣間見たのだ。カーテンの隙間から、手をあげている姿を。買い物を頼まれ、家の前を通った時になる。その時に、隠しているのはこれだ、と思った。
「――えっ?」
彼はまた目を丸くさせる。判っていた? ずっと、判っていたのか? ――それでもなにも言わずに、傍にいてくれたのか。
「な、んだよ、それ……」
「ミノリの口から聞きたかったから、黙っておいたんだよ」
ハルカの声は、彼の耳には入ってこない。
少しだけ疑っていたが、まさか知っていたとは思わなかった。
優しすぎるんだよ、お前。その優しさに何時も救われてきた。だから――。まだ隠している部分を、曝け出そうか。嫌になる程眺めたあの躯は、見せてはいない。
ミノリは肩に回された手から逃れる。
「ミノリ?」
決意を固め、きゅっとズボンを握りしめた。湿る掌は熱い。
「……恋人同士ってさ、キスより先に行くよな?」
「え? あぁ、そうだな。だけど、人によって違うんじゃないか?」
海に遊びに行った時に解った。人間各々だと。他人は他人で、自分は自分なのだと。
「その場合は、綺麗な躯の方がいいよな?」
「いきなり、なにを言い出すんだ?」
突飛な考えに首を傾げたくなる。
「ごめんな。オレの躯、綺麗じゃないんだよ」
ミノリは申し訳なさそうに、彼を見遣った。
「っ――えっ!?」
腕を取られ、ベッドに押し倒される。スプリングが軋む音が、むやみに大きく聞こえた。
「綺麗だとか綺麗じゃないとか、そんなのは俺が決める」
「でも、本当に綺麗じゃな――」
『い』という言葉は、出てこなかった。ミノリの唇を塞いだからだ。
「ん……っ」
何時もの触れるだけのキスではない。その先の――深いキス。熱を持つ舌は、口内を蹂躙する。生まれてこの方そんなことはされたことがない彼は、されるがままである。
時折、息をする隙を与えてくれるが、上手く吸えない。息苦しさに涙を浮かべ、頭がぼんやりとしてきたところで、唇が離れていく。
「……っ、ハ、ルカ……?」
「ミノリは、綺麗だよ」
熱い息が頬を掠める。くすぐったさに耐えていれば、額に口付けられた。
どこまでも優しい。そんな彼に、時折溺れそうになって、その優しさに甘えてしまう。
「躯にはいっぱい痣があるし、女の子みたいな胸はないよ?」
それでも、いいのだろうか。
「ミノリは男だって判ってる。それでも好きになったんだ」
「オレも、好き……」
『好き』と言われて『好き』と返せば、優しく微笑んだ。
「心だけじゃなくて、躯も繋がろう」
心の繋がりだけじゃ不安なんだ。見えない分、脆く儚い。
「ちゃんと生きてるって、ミノリの傍にいるって、判りたい」
「うん……」
繋がりがほしいのは、ミノリも同じだった。全てを曝け出して、その上でハルカを受け入れたい。彼の全てを判りたい。
「いいよ。ちゃんと生きてるって判ってよ」
彼は顔の横に置かれた愛しい人の手を握る。
「オレもハルカの傍にいるって判りたい」
そう言うと、とても嬉しそうに笑った。自分だけに向けられる笑顔。その顔が見れただけで、ミノリの胸は温かいモノでいっぱいになった。
◇◆◇◆◇◆
「……っ」
服が脱がされ、外気に肌が曝される。白い肌に残る痕を見て、ハルカは眉を顰めた。
「お前……」
「だから、綺麗じゃないって――わっ」
突如、腕を取られ紫斑に口付けられる。柔らかい感触が残った。
「な、なにっ?」
「ミノリは、これを抱えてたんだな」
くしゃくしゃと頭を撫でる。柔らかなそれは触り心地がよく、不快感がない。それに、触れる度に胸が温かくなるのだ。
「は、恥ずかしいから、あんまり見るなよ……」
全てを曝け出して云々とは思ったが、見られるとやはり恥ずかしい。気休めに視線を逸らし、窓の外を眺める。晴れていたのに、今は灰色の空に覆われていた。
「……雨、降りそうだ……」
「そうだな」
声に視線を巡らせれば、視界は灰色になる。
「昔もあったよな。二人で公園に行ったら雨が降ったこと」
「その話は後な」
首筋にキスをされ、躯が強張った。
「大丈夫か? 怖いなら止めるぞ」
「そりゃあ……、ちょっとは怖いけど、大丈夫。オレはちゃんとハルカを受け入れるから、続けていいよ」
「判った」
了承として微笑み、優しく触れ始めた。降り始めた雨の音に混じり、愛撫の音が部屋を満たす。
「ん……っ……」
くすぐったさが熱へと変わるのにそう時間は掛からなかった。熱は全身を巡り、躯が火照る。
ハルカは愛撫を止めて、なにを思ったのかミノリと目線を合わせた。そうして名前を呼べば、彼は嬉しげに笑う。目尻に溜まる涙が頬に流れ、熱い吐息が薄く開いた唇から漏れている。それは厭に艶かしさがあり、それでいて綺麗だ。
「好きだ」
「オレも、好き……だ」
ずっと好きだった、と紡ぐ声は、軋むベッドの音に溶け込みどちらのモノだったのかは判らない。
熱い躯に、ハルカの熱が加わった。じんわりと、それでも、確実に浸透する。
「んぅ……っ、ぁ、ハルカぁっ」
「ミノリ……っ」
ベッドの軋む音が、嫌になる程聞こえる。耳を覆いたくなるが、名前を呼ぶ声を聞きたい。ミノリは羞恥よりも、ハルカの声を取った。
重なる躯は、熱く脈を打つ。その躯に触れて、ここにいるんだと判る。
「……いる、よな……」
「い、るよ。ちゃんと、生きてる」
ミノリは手を伸ばし、頭を垂れるハルカの首に手を回す。
「オレの、前にちゃんといるから……っ、ハルカを、感じてるよ」
「ミノリ」
ハルカは背中に手を回し、ミノリを優しく抱きしめた。もう一度、触れて確かめる為に。
俺はミノリの傍にいるんだ。――生きてる。ちゃんと、生きてる。それはこんなに喜べることだったんだ、と今になって思う。
大切な人と一緒になるのは、こんなに温かいモノで包まれているんだ。温かさと優しさで、なんだか無性に泣きたくなった。
「……ちゃんと、傍に、いるよ……」
涙に濡れる顔で、ミノリは微笑んだ。
――愛しい。その想いが、躯を巡る。
目の前いるミノリは、荒い熱い息を吐き出しながら、こちらを見ている。苦しさを和らげようと、啄むようなキスを落とした。
「ハル、カ……、好き、だよ」
その言葉に頷いて、また口付ける。
幸せすぎて、どうにかなってしまいそうだ。
「ん……っ、ハ、ル、カっ……」
首に回した手に力を込めた。もう――限界だ。
「うん……。一緒に、な……」
熱を吐き出したのはほぼ同時で、蕩けそうなほどの幸せだけが残った。
◇◆◇◆◇◆
情事の後、二人はベッドに横になった。裸に布団を掛けているという格好だが気にしない。そもそも、終われば大概が同じようなモノだろう。
「平気か?」
「平気だよ」
少し掠れた声でミノリは言葉を紡いだ。軽く咳をすれば、頭を撫でられる。
「無理させて悪かったな」
「無理じゃないってば。ハルカは、平気?」
「俺は大丈夫。ミノリの方が大変だったろ。少し寝ろよ」
「いいよ……。眠たくないし」
特有のダルさがあるにせよ、躯はまだ睡眠をほしがってはいない。大体、抱くにしても抱かれるにしても、どちらも体力がいることに変わりはないのだ。心配することもない。
「じゃあ、なんか飲むもの持ってくるから。喉を潤せ。な?」
優しく頭を撫でるハルカの手は、何時もの如く温かく心地がよい。誰かに触れられることが怖くなったけれど、何時だって彼になら触ってほしいと思う。――温かくなるから。
「ん……、判った。その間に着替えとく」
軽く頷けば、ハルカは頬を掻いた。
「あー、ミノリ、その前に背中こっちに向けて」
「なんで?」
「いいから」
「判った、よ」
促され、ダルい躯に鞭を入れて寝返りをうつ。言われた通り、背中を向けた。
「なぁ、なにするんだ――っ?!」
背中に柔らかい感触がある。それは背中にキスをしたから。いきなりのことで、ミノリは躯を
「っ、な……なんっ?」
肩に残る痣に向かっているかのように、それは上に移動する。彼はなにをしようとしているのか。
「ハルカ……?」
「もう少し、な」
その優しい声に不安が消える。そうして軽く頷いて、目を閉じた。
柔らかい感触は肩で止まって。次いでぎゅっと抱きしめられ、徐に瞼を上げる。
「ごめんな」
吐息が肌にかかり、くすぐったい。
「なんでハルカが謝るんだよ?」
「ミノリを守れなかったから……」
淋しげな声。それは酷く後悔しているのかと思わせた。
「別にオレは、守ってもらおうなんて思ってないよ」
身を捩り向き直る。眉を下げる彼を見据え、小さく笑う。
「オレだって男だからな。守られるより、守りたい。好きな人を守れる男になりたい」
言い放ちつつ肩に手を置いて、自身の唇を押し当てた。
「……自分からするのって、恥ずかしいな……」
頬を赤らめて俯くミノリを、ハルカは呆然と眺めている。
「いや、そんなことはどうでもよくて……、とにかくさ、そんな声出すなよ」
そろそろと顔を上げ、彼を見詰める。淋しげな声を聞くと、胸が締め付けられるのだ。痛くて哀しい。そんな想いが伝わってくるから。
「ハルカのそんな声は聞きたくない」
言葉を紡ぐと、強い力で抱きしめられた。と同時に、盛大な笑い声が聞こえる。
「な、なに笑ってんだよっ?」
問い掛けの返事は返ってこない。笑うところではないのに、まだ肩を震わせて笑っている。
一頻り笑った後に、彼は息を吸いこんだ。次の瞬間、小さく息を吐いて、目尻に溜まった涙を拭う。
「大丈夫か?」
問いに、頭を撫でて答えた。まだ心配そうに眉を下げるミノリを見れば、笑みが溢れてしまう。
「すっげぇ嬉しい」
「なにが?」
「心配、してくれたことが」
「心配、とかじゃなくて、ただ……淋しげな声を出してほしくないだけだよっ」
それを心配していると言わずに、なんと呼ぶのか。そう言うとまた返されて、話しが終わらないだろう。
「まぁ、この話しはもういいか」
呟いて、再度頭を撫でてやる。そうすれば、彼は心地好さそうに目を細める。
「飲みもの持ってくるから、待ってろ」
そう紡いでベッドから抜け出した。次いで急いで服を纏えば、彼は部屋を後にする。
「着替えなきゃな」
床に散らかる衣類を一瞥し、布団から手を出して細い腕を眺めた。
「もう、隠さなくていいんだ……」
受け入れてくれたんだ。綺麗じゃない躯を綺麗だと言ってくれた。ただそれだけでも、どんなに救われたのか計り知れない。
「やっぱり、優し過ぎるんだよ」
ミノリは躯を起こし、ハルカが出ていったドアを見詰めた。半分開いたドアからは、廊下の白い壁が見えている。
「ありがとう」
消え入りそうな声で言い放ち、もぞもぞとベッドから出て着替え始めた。
◇◆◇◆◇◆
部屋のドアを押し開けると、ミノリはベッドに腰を掛けて、なにかを眺めていた。よく見ればその手には、タンスの上に置いてあった写真立てがある。
部屋にあるミニテーブルに、氷と共に冷えた麦茶が入っているコップを乗せたお盆を置き、ミノリに近付く。
「なに見てんだ?」
隣に腰を下ろし、横目で彼を見る。声に気付いたのか視線に気付いたのかは解らないが、ミノリは視線を合わせた。
「ハルカのお母さんの写真、だよ。思ったんだけど、目元が似てるな」
「そりゃあ、遺伝子受け継いでるからな」
「そうだけどさ。あと……」
そっ、と片手でハルカの頬に触れる。壊れ物を扱うように優しく。
「笑った顔がお母さんとすごく似てる」
「そんなこと、初めて言われたんだけど」
「えっ!? 鏡見てて判らないのか?」
彼は驚いた顔で言い放った。まさかと思ったらしく、口を開けたままだ。
「判らない。というか、俺は似てるとは思わないし」
頬に置かれた手をやんわりと外し、元の位置に戻してやる。瞬間、手を握られた。
「似てるけどなぁ」
「判った。似てるに一票な」
まだ諦めずにじっと見詰めるその頑固さに小さく笑って、無理矢理話しを終わらせつつミニテーブルに置いたコップを手渡す。
「ほら、お茶飲んで。掠れた声で喋り続けると、喉を痛めるぞ」
尤もなことを言われ、お茶を一口含んだ。麦茶の味が口内に広がる。
「あっ、忘れてた」
嚥下すれば彼は勢いよく立ち上がった。
ミニテーブルに写真立てを置いて、その横に飲み掛けのコップを置く。そうして腰を下ろし、両手を合わせた。小さく空気を吸い込んで、紡ぎだす。
「ハルカを産んでくれて、ありがとうございます」
そのお蔭で、オレはハルカに出会えました。それは『奇跡』だと思います。
「ミノリ」
声と共に背後から抱きしめられる。なにをしているのかと問われ、軽く躯を捩った。
「ほら、言ったじゃんか。お礼したいってさ」
お茶を飲んだ時にふと写真立てを見たら、記憶が甦ったのだ。幸せの余韻に浸っていた為に、今まで忘れていた。
「そういえばそうだった。――俺もお礼を言おうかな」
「え、ハルカも?」
「母さんにお礼を言ったことは一度もないし……」
母の日でさえも出来なかった。写真を見る度に胸中がざわめくのだ。ツキツキと蠢くそれは中々消えない。どんなに頭を働かせても、なにをしても、失ったことは変わらない事実で――怖かった。光のない闇の中を一人走り回っているようだった。けれど、今はどうだろうか。今は光がある。
「感謝の気持ちは、伝えないとな」
「じゃあ、オレ退こうか?」
「いや、いい」
「いいって、どうするんだよ?」
「こうするんだよ」
言い終わるなり、彼はミノリの顔の前で綺麗な手を合わせた。
「えっ?」
ぽかんと眺めていれば、柔らかな声が降り注ぐ。それは優しくどこか愛しさを含んでいた。
「母さん、俺を産んでくれてありがとうございます。俺は大切な人と出会えました」
貴女は大切な人と一緒にいられなかったけど、その分、俺は大切な人を一生掛けて守るよ。自分だけ幸せで、そんなのはいけないことだと解ってる。俺は母さんの一生を台無しにしたんだ。――でも、許してくれますか?
「親不孝でごめんな、母さん……」
そっ、と写真立てに触れるが、その手は微かに震えていた。ミノリは無言でその手に自分の手を重ねる。数分もしないうちに、徐々に手の震えが治まってきた。
「は……、この様か……」
「無理するなよ。ゆっくりって言ったのはハルカだろ」
その言葉に写真立てから手を離して、その手をミノリの躯に巻き付ける。ぎゅっと抱きしめれば、震える声で言葉を紡いだ。
「……向き、合えるよな?」
「向き合えるよ。だって、伝えられただろ?」
話せたことは大きい。伝えられたなら、それは大きな一歩なんだ。
回された腕に、自分の手を置く。ふと外を見ると、雨雲は風に流されてそこには綺麗な青空があった。
「向き合えなくてもハルカを嫌いになることはないから、安心しろよ」
受け入れようとしても、受け入れられないこともある。それを知っているから、嫌いになるなんてことはない。
「話して後悔はしてないだろ?」
「
「オレも後悔はしてないよ。ハルカには……ハルカにだけは、全てを知ってほしかった」
彼は顔を上げてハルカを見る。瞳に映る双方は何処と無く緊張しているようだ。雰囲気がそうさせるらしい。
「だから――話せてよかったよ」
そう言葉を紡ぎ、緊張を消し去るように柔らかく笑う。ハルカはミノリをただただ力強く抱きしめた。
「いたっ、ちょっ……、痛いっ」
「ありがとう。俺も、ミノリに話せてよかった」
コツン、と軽く額を合わせる。笑顔を浮かべながら。
ずっと話したかった。けど、嫌われたくないので、話せなかった。だって――君しかいないから。それでも、君に伝えたかった。自分の全てを、判ってほしかったんだ。
今日、君に全てを伝えたよ。そして、生きてる証を得た。この掌に温もりがある。
「なぁ、ミノリ」
「なんだよ?」
「産まれてきて本当によかった」
初めて心からそう思えた。産まれてきたことに、意味なんてないと思っていた。少しでもいい。こんなに幸せなら――。産まれてきたことに、意味があるかも知れないと思えた。
「ミノリに出会えて、よかった……」
「オレもハルカに出会えてよかったよ」
置いていた手を腕に絡ませる。力を込めて、離さないと言わんばかりに。
君がいたから、心が壊れなかった。君がいたから、今がある。
「……ありがと」
ポソリと呟く。『秘密』をちゃんと聞いてくれてありがとう。こんな自分でも、好きでいてくれてありがとう。同じ分だけ君を想うよ。今はまだ言えないけど、君に伝えたい。――大切な君と、生きていきたい。
「なぁ……ハルカ」
「ん?」
「オレ今幸せかも……」
呟いてハルカの胸に躯を預ける。その温もりを感じながら、瞼を閉じた。
この時間が永遠に続くとは思わない。明日には終わる可能性もある。だから『今』を大切にしたい。好きな人といたい。
「俺も幸せだな」
言い放ちながら、彼は優しくミノリの頭を撫でた。
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