9:繋がれた『絆』の在り処

 太陽が過ぎ去り、空に白い満月が上る頃。イクスたちの姿は、貴族街の外れに建つ屋敷の中にあった。


「……で、何でこうなった」


 勝手知ったる自分の屋敷——ヴァールハイト家の居間に置かれたソファに倒れ込み、ヴィルは虚ろな目で問いかける。その真ん前では長い黒髪の女性——コルネリア・シュタイツェン=ヴァールハイトが、にこやかな顔で『兄』を見下ろしていた。


「何故ですって? 本気で言っているのかしらお兄さま」

「あ、いやその……おい! お前ら見てないで助けろよ!」

「そうは言ってもな」


 ソファの向かいの椅子に腰掛けながら、イクスは視線をキールとマリアベルに向ける。当然だが、キールは苦笑いして首を振るだけだ。マリアベルといえば、そんな兄妹のやり取りをにこやかに見守っている。


 どうやらヴィルの救援は望めないらしい。あらかじめ自分は省いているイクスである。他人事のような顔をする面々に、騎士であるはずの青年は情けない声を上げる。


「見捨てるのか……俺とお前の仲だろう⁉︎」

「お前がそういうことを言うから、妙な話になるんじゃないのか。百歩譲って仲がどうとかいうのだとしても、私がお前を助けなければならない理由はないだろう。少なくとも今に関しては」

「ううう……風当たりが冷たすぎる」


 これに関しては風当たりがどうというのではなく、ヴィルの所業が問題だろう。イクスが腕を組んで顎をしゃくると、騎士はやっと観念したように居住まいを正した。


「あー……その、コルネリアさん? 何だか申し訳ありませんでしたー……」

「誠意がこもってない。それにどうして私が怒っているのかわかってるの?」

「いや、それはその……親父の命日すっぽかしたから……」


 その台詞を聞いて、イクスは思わず笑ってしまった。いまだにこの青年は、父親に対する葛藤を克服できないのだろうか。笑うべきではないとは思いながらも、イクスは笑いを抑えることができない。


 ヴィルと言えば、そんな魔法使いの姿に苦々しげな表情を浮かべる。だがそれでも反論しないあたり、自分自身の中にある複雑な感情を理解しているのか。


 早くに父親を亡くしたヴィルにとって、その背中はいつまでも超えられない壁として存在している。青年の父親に対する反感や葛藤は、『彼』が生きていれば今と違った形に落ち着いたことだろう。


 しかし『彼』——ギルベルト・シュタイツェン=ヴァールハイトは、もういない。だからこそヴィルヘルムにとって、父親は永遠の憧憬としてあり続けているのかもしれない。


「まあ、毎度のことではないか。あまり目くじらをたてるなコルネリア。あのが馬鹿息子一人来ないくらいでいちいち怒り狂うわけもない」

「魔法使いさま……そうは言いますけど、馬鹿でも兄は仮にもヴァールハイト家の家長なんですよ? それなのに自分の父親の命日にも顔を出さないなんて……薄情にもほどがあります」


 妹の言い分はもっとも過ぎて、馬鹿呼ばわりされても兄は抗議すらできない。眉を寄せ口をへの字に曲げている様子は、まるで子供に逆戻りしたかのようだ。


 そんなヴィルの表情に、イクスは遠くなってしまった『あの日』を思い出す。英雄の死を悼み、人々が涙を流す中——追悼の花を踏みにじり、父への鬱屈うっくつを口にした少年の姿を。


 遠くなった『あの日』。イクスは無二の親友ともであった騎士の息子に出会い——それから短くない季節を、ともに過ごしてきたのだ。


 だからこそ、つい余計なこととは知りつつも。ヴィルヘルムの想いを代弁するようなことを口にしていた。


「ヴィルヘルムにそれを言うのは酷だろう。それでなくともとして周囲から期待されてきたのだ。けれどその偉大な父の背を追いかけたところで、二度とその背に触れることさえ出来ない。永遠に乗り越えられない葛藤がいかほどのものかなど、私には想像もできないが……いなくなってしまった人間に対して当てつけをすることでしか、こいつは父親に対する想いを表現できないんだよ」

「……おい、わかったような口を聞くな」


 青年の声が低い。見れば、ヴィルヘルムは笑いもせずにイクスを睨みつけていた。薄青い瞳に浮かぶ本物の怒りに、コルネリアやもとよりマリアベルとキールも息を飲む。


 不意打ちのように現れた険しい瞳を受け止めて、イクスは静かに嘆息した。


 意外に思われるかもしれないが、ヴィルヘルムの気性はかなり激しい。誰に対しても気さくで温和な顔の下では、荒れ狂う感情を持て余している。だが彼自身、自身の気性を理解しているから、よほどのことがない限りそれを表面に出すことはないのだ。


 にもかかわらず、イクスの言葉に反応してしまったのは——ヴィルがそれだけ気を許しているからだろう。


 父を早くに失い、ヴァールハイト家の嫡子として責任を背負ってきた子供にとって、イクスは本当の意味で甘えられる相手だった。それは成長した今でも変わることはなく、こうやって不意に本心をぶつけてくる。


「怒るな。皆が怯えるだろう?」


 なだめるように笑えば、薄青い瞳はそっぽを向く。本当に子供に戻ったかのような仕草に、イクスはらしくもない想いに囚われそうになる。過去は過去だ。けれど、それはあまりにも——。


「……お前が変なこと言うからだぞ」


 不機嫌そうな声だった。しかし、先ほどまでの険しさは消え去っている。再びイクスに向けられた瞳もまた、落ち着いた色を取り戻していた。


 子供の頃だったら数時間は怒り狂っていたのに、青年はいつの間にか感情を鎮める方法を会得したらしい。


 そんなわずかな変化が、流れていく時間の証のようで——イクスは少しだけ寂しげな笑みを浮かべた。


「……何だよ。怒って悪かったって。そんな顔することないだろ」

「ん? ……いや、何というか急に寂しい気持ちになってな。あんなクソ生意気な子供でも、それはそれで可愛かったのだなと今更思って……」

「……お前さ、喧嘩売ってるなら覚悟しとけよ。俺が親父に負けてないってことを思い知らせてやる」


 にこやかに笑いながら指を立てたヴィルに、イクスは素知らぬ顔で手を振ってみせる。

 やっといつも通りと言えるようになった空気に、コルネリアたちは安堵のため息を漏らす。だが、心臓に良くない魔法使いと騎士のやり取りを目にした少女たちは、こっそり囁きを交わした。


「……ヴィルヘルム様って、意外に苛烈な面があるのですね。私初めて知りましたわ」

「そうね……お兄さまって魔法使いさまにだけはああいう風に言うのよね。マリアベルさんも気をつけなさい。あんまり気を許すと、お兄さまは際限なく甘えてくるから」

「……そういう問題なのかなぁ」


 それぞれに言い分はあるようだが、華麗に無視した魔法使いと騎士であった。


「まあまあ、皆さん。仲が良くて素敵ねぇ……私も仲間に入れてくれないかしら?」

「って、母さん。いつからそこに」


 ぎょっとして振り返ったヴィルの視線の先に立っていたのは、優しげに微笑む黒髪の女性だった。


 コルネリアによく似た笑顔のその人は、『母さん』の呼び名の通りヴィルたち兄妹の母親だ。そして英雄ギルベルトの伴侶にして、かつては戦場を駆ける『戦乙女』と呼ばれた女傑であり——


「何だ。相変わらず闇討ちをしているのか?」

「ふふ、いつの話をしていらっしゃるのかしら……あなたも相変わらず、命が惜しくないようね?」

「ヴァールハイト兄妹の笑顔が恐ろしいのは、明らかにお前の影響だな。それはそうと久しいなレイリア」


 気楽に呼びかけたイクスに対して、レイリアと呼ばれた彼女は笑顔で応える。ヴァールハイト兄妹の母親である彼女もまた、イクスの古くからの友人の一人だった。


「ええ、久しぶりね魔法使い。出不精のあなたに会えるなんて、あしたは槍が降るのかしら」

「槍なんて降ってきたら、お前は喜んで拾い集めるんだろう? それより体調は良いのか。最近臥せっていると聞いていたが」

「少し熱が出ただけよ。この時期は気候が不安定だから、毎年体調を崩しがちなの。だけど、何だか賑やかな声が聞こえてきたから……ふふ、若い人たちがいると家が明るくなるわね」


 穏やかに笑うレイリアの顔を見つめ、イクスは軽く眉を寄せた。どうやら騒いだせいで、休んでいるところを邪魔してしまったようだ。反射的に謝罪を口にしようとすると、その前にキールが申し訳なさそうに頭を下げる。


「……その、すみません。お休みのところを邪魔してしまって」

「あらあら、気にしなくて良いのよ。ヴィルヘルムはいつもいないし、コルネリアも花嫁修業があるからいつもこの家は静かなの。だからなんだか嬉しくてね……ああ、そうそう! どうせだから、皆さん宜しければ泊まっていってくださいな。もう随分遅い時間ですし、最近は物騒ですからね」


 良い考えだというように、レイリアは手を打ち笑顔を浮かべる。その提案にイクスたちは顔を見合わせた。


 確かに今から帰路につくのは、正直億劫ではあるし、暗い道に危険がないとは言えない。少なくとも、マリアベルを一人で帰すのは論外だ。イクスとキールに関しては、泊めてもらえるなら特に文句はない。


「わたくしは……ご迷惑ではないでしょうか。ヴァールハイトの奥さまはお加減が優れませんのに」

「それに関しては気にしなくて良い、マリアベル。どのみち今から君を帰すのは心苦しいし、万が一何かあったりしたら俺は悔やんでも悔やみきれないよ。どうしても気が進まないなら馬車を呼ぶが……」

「ああいえ! 嫌とかそういうわけではないのです! ただ、少しでもお邪魔になるならわたくしは」


 なおも迷っているマリアベルは、チラチラとヴィルを見ている。どうしたかは誰の目にも明白ではあったが、良家の令嬢としては口に出しにくいのだろう。しかし、ずっとこうしていても話が進まない。


 イクスは手早く二人の間に割り込むと、一度手を打ち鳴らす。そうやって話を打ち切っておいて、魔法使いはヴィルに向かってひらひらと手を振った。


「気にしなくて良いといっているのだから、つべこべ言わず泊まればいいのだ。ほら、ヴィルよ。さっさとメンフィス家に使いを出せ。ついでに宰相にも言付けを頼む」

「ちょ、何ですの勝手に! わたくしは何も」

「はいはいはいはい。もう泊まるの決定。さてさて、そうと決まれば何かつまめるものを探しに行くか」

「どこに行こうというの! お、お待ちなさい……!」

「みんなして自由だなぁ……」


 キールが漏らした呟きは誰にも拾われることもなく。

 こうしてヴァールハイト家の夜は、静かに更けていくのだった。


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