8:暗がりに潜む悪意

「うーむ、さらに謎が深まっただけのような気がするな」


 屋敷の門の前から歩き出しながら、ヴィルは億劫そうに伸びをした。その隣に寄り添うマリアベルも、騎士の言葉に深く頷いている。


 確かに様々な意味で不可解な話ではあった。だが、その不可解さの理由はおそらく——そこで一度思考を断ち切り、イクスは無言で空を見上げた。



 夕暮れが訪れ、寂寥感せきりょうかんが貴族街にも忍び寄ってくる。太陽はいつしか紅い色を帯び始め、西の空の向こうへと沈んで行こうとしていた。


 今日もじきに終わり、当然のように夜が訪れる。ため息まじりに空から目を離し、イクスはほとんど独り言のように呟きを漏らす。


「……まあ、『何をしたか』の部分はもとより、『誰が』に関しても大方想像がついたが……そうなるとが崩れてしまうからな。問題は、その矛盾をどうやって説明するべきかだ」


 考えれば考えるほど、その矛盾を説明するためには『何か』が足りない。難しい顔でイクスが唸ると、騎士は驚いたように目を見開いた。


「何だ? まさかと思うけど……もう誰が犯人か分かったっていうのか?」

「何だ? まさかと思うが……まだ誰が犯人か分からないっていうのか?」

「ちょっと! そこで呼吸を合わせないでくださいまし!」


 日傘を振り上げるマリアベルを手で制し、イクスは改めてルーヴァン侯爵の屋敷に目を向ける。

 あの屋敷で起こった事件のみを問題にするなら、。だが——他に事件が起こっている以上、その答えが大きな矛盾を抱えているのも事実だった。


「ヴィルが言った。それもこの事件単体で考えれば説明できないこともない。しかし、それだと他の事件にも『白い花びら』が残されている理由が説明できないのだ。これが連続盗難事件だというのなら、犯人はのはずなのに」

「……よくわかりませんけど、それぞれの事件の犯人は別にいる、ということかしら。だとしたら、が間違っているか、のではないの?」


 愛らしい顔をしかめながら、マリアベルは日傘を手の中で転がした。イクスの方を見ようともしないのに、言葉としては耳に入れていたらしい。そのことを意外に思いながらも、イクスは少女の言葉に一つ頷く。


「……おっしゃる通りだ、メンフィス嬢。さすが宰相殿の妹君なだけはある」

「別に。適当に言っただけですわ。そんな事でいちいち褒められても嬉しくなんてありませんからね」


 ツンとそっぽを向くマリアベルは、言葉の内容はどうであれ可愛らしい。敵意を向けられているイクスですらそう思うのだから、騎士などは言うまでもなく顔を緩めている。


「な、可愛いだろ」

「……そんな惚気のろけを吐かれてもー、私は何も嬉しくなんてありませんからねー」


 完全なる棒読みで言い放ったイクスは、にやける騎士から目を背ける。

 そんな会話をしているうちに、あたりは本格的に暗くなってきていた。冷たい風に身震いし、イクスは暗く沈む道の先を見つめる。そろそろ、今日の調査は打ち切るべきか——そう一人呟いた時、は聞こえてきた。



 たった、それだけの言葉。だがその瞬間、イクスの顔から血の気が引いていった。怯えたように視線を彷徨わせ、そして——少し離れた暗がりに、『その姿』を見つける。


 道の暗がりに立つ、小さな人影。意識しなければ見逃してしまいそうなほど、それのまとう存在感は希薄だった。それでも気づいたのは、それが向けてくる視線にからだ。


「何だ……」


 。見てはいけないと、それに気づいてはいけなかったのだと。そう理解していながらも、イクスは目を離せない。次第に狭まっていく世界の暗闇の中で、魔法使いは——



 腕を掴まれ、イクスは目を開いた。まるで夢に囚われたかのように、直前までの意識は曖昧に変わる。もう一度暗がりを見ても、そこに人影はない。長く止めていた息を吸い込んで、イクスはすぐそばに立つ相手を見る。


「大丈夫ですか、先生。何だかフラフラしてましたけど」

「……キール、戻ってきたのか」


 不安定に瞳を揺らしている師を、キールは不思議そうな顔で見上げる。それはいつも通りの表情で、不安定に揺れていた瞳は急速に現実感を取り戻す。イクスは長く息を吐き出すと、ゆっくりと首を振ってみせる。


「いや、大丈夫だ。それより外で何か収穫はあったか、キール。お前のことだから、何か掴んできていると期待しているのだが」

「ええ、まあ……ご期待に添えるかはわかりませんけど。それよりも、のが問題なんです……」

「なんだ別の収穫って」


 済まなそうに眉を下げた少年は、そっと背後を振り返る。つられて視線を動かしたイクスは、そこに立っていた人物の姿に思わず後退った。


「あ……お、お前は……」

「ふふ、お久しぶりです魔法使いさま。お変わりないようで安心しました。それに比べて——」


 言うなりその人物は、固まっているヴィルに歩み寄る。にこにこと笑いながらも、全く笑っていない薄青い目に見据えられ、騎士であるはずの青年は怯えたように身を震わせた。


「や、やめろ来るな……俺は何もしてないからな⁉︎」

「そんな言葉、私に通じると思っているの? 分からないっているなら、体に聞いてあげましょう。さあ——覚悟しなさい‼︎」

「ちょ、ま……待ってコルネリア————っ‼︎」


 騎士の叫びと巻き起こる破壊音。目の前で繰り広げられるを、誰一人として止めるものはいなかった。


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