2:争いというには遠く

 大体において、争いとは退屈なものである。


 カーディス王国首都『フレースベルグ』。緑豊かな盆地の真ん中にその都はあった。

 貿易路の中継地点に位置するこの都は、『翠花すいかの都』と呼ばれ、国内外から多くの人々が訪れる。

 六枚の花弁が開く様にも似た都市の形や、開国当時の姿を残す美しい石畳の街並み。各国からもたらされる珍しい品物と絶品であるとして有名なカーディス料理——。


 そして石造りの街並みに舞い散る、真白のソフィラの花。一つずつ挙げればきりがないが、それらを目当てに人々が訪れるフレースベルグは、王国首都であると同時に観光都市でもあった。


 そんなフレースベルグの中心に建つ、王城『ヴァルトシュタイン』。

 華やかな都にあって、その城壁は不似合いなほどに堅牢だ。それはかつて、この都が戦火に見舞われた名残であるのだが、それをすぐに思い出すものは皆無と言っていい。


 改めて言うが、争いとは退屈なものである。


 その証拠に争いが終わった後、渦中にいた者はともかくとしても。直接関わりのなかった者が、争いの歴史を無意味に紐解くことはまずない。


 往々にして争いとは人を狂わせるものだ。しかしその実、何の意味もなくその熱が持続することは少ない。それがなぜかと言われれば、まあ——人間とは意外と飽きっぽい生き物だからかもしれない。


 しかし、人間というものは飽きっぽい反面、忘れっぽくもある。だからこそ争いは終わらず、延々と終わりもなく続くのだろうか。


 どんな理由にせよ——閉じたまぶたの向こうで繰り広げられる争いは、犬どころか毛虫もまたいで通る。


 だからこそ、目を閉ざし言葉を聞き流し、彼は我関せずと欠伸を噛み殺したのだが——。


「——


 軽い調子で肩を叩かれ、彼——イクスは億劫さを隠しもせず目を開いた。


 目の前にある円卓は、数刻前と打って変わって静まり返っている。そこに座していた人々はとうに退室していたようだ。魔法の光を抱いたシャンデリアを見上げ、イクスは再び欠伸を噛み殺す。


 本日の会議も、滞りなく終わったのだろう。国の方針を決める重要な会議の場とはいえ、実質的に舵取りをしているのは、まだ年若い王ではなく宰相だ。


 その宰相といえば、稀に見るほど優秀な人物であることは間違いない。どういった手管なのか、口うるさい貴族の重鎮たちを軒並み黙らせ、次々と案件を処理していく様は見事としか言いようがなかった。


 伏魔殿ふくまでんと言っていいような貴族議会を手玉にとるのだから、宰相も素直な人間であるはずがない。事実、イクスから見てもロクでもない部分が散見されるが、それはまた別の話だ。


 目下の問題は、イクスの目の前で腕を組む男のことだった。


 黒髪に薄青い目をした男は、いくらか少年の面影を残した顔に笑みを浮かべている。一見すればにこやかであるのだが、男の目は全く笑っていない。


 成人して以降、妙な迫力を持つようになった笑顔をしばし見つめ——イクスは何事もなかったかのように脇を通り過ぎようとした。だが当然のことながら、それを許す男ではない。


「おいこら待て。なに普通に通り過ぎようとしてるんだよ」

「うるさいぞ、会議は終わったのだから帰るのだ。邪魔をするなヴァールハイト」


 ヴァールハイト、と呼びかけられて、男の笑顔は目に見えて胡散臭くなる。そして次の瞬間、問答無用でイクスの首に腕を回すと、にこやかに笑いながらギリギリと締め上げていく。


「だ・れ・が、ヴァールハイトだって?」

「お前だお前。お前以外の何者でもないだろう!」

「それは家名ですー。俺の名前じゃありませんー」

「だから何だというのだ。騎士が家名を名乗らないでどうする⁉︎」

「知りませんー。俺は俺なんだから名前で呼べっ」

「だから首を絞めるなヴィルヘルム‼︎」


 名前を叫んでやっと、男——ヴィルヘルム・シュタイツェン=ヴァールハイトは腕を緩めた。


 息を切らせて腕を叩くイクスを見下ろし、ヴィルヘルム——ヴィルはニヤニヤと笑う。その姿は大きな悪ガキにしか見えない。青筋を立てたイクスは男に蹴りを入れると、腕を振り払って距離を取る。


「いい加減にしろヴィル。近衛騎士の分際で、善良な市民をくびり殺す気か」

「近衛騎士だって人間だからな? 思わず『くいっ』とやりたくなる時もあるんだよなぁ。しかしイクス、お前が善良な市民だとは初耳だぞ。お前は『我が道を行く棒切れ』こと、我が国の魔法使い様だろ?」


 妙なあだ名で呼びかけられたイクス——カーディスの宮廷魔法使いは、目に見えて渋い顔をした。

 痩身といえば聞こえはいいが、棒切れと呼ばれる程度にその体は薄っぺらくひょろひょろしている。近衛騎士である青年と並んで立つと、細さが際立ちすぎて誰もが心配そうな目を向けるほどだ。


 そんな棒切れことイクスは、カーディス王国に仕える魔法使いである。

 仕えると言ったものの、イクスは『万能の魔法使い』と呼称される強い力を持った魔法使いであり、本来何かに仕えるような性質のものではない。


 それでも仕えているのは、イクスなりに思うところがあるからだ。魔法使いは孤独なもの——先代の魔法使い『フラメウ』は断じたが。根本的にイクスは、魔法使いとしては珍しいことに人間が嫌いではなかった。


 だからこそ、先代国王の招聘しょうへいに応じたのだ。当時、カーディスは近隣諸国との軋轢あつれきによって、極度の緊張状態を強いられていた。その状況に一石を投じるため、イクスはカーディスへと赴いたのだ。


 そしてイクスは、先代のヴァールハイト卿とともに国内外の平定に尽力する。それは世俗の出来事に関与しないはずの『魔法使い』にとって、珍しいどころかあり得ないことだった。


 だが結果、イクスたちの尽力により大きな争いは回避され、カーディスに平和な時代が訪れることになる。


 それから二十年近い時が流れたが、今もその平和は壊れていない。あの戦乱を駆け抜けた者たちは歳を重ね、中にはこの世を去った者もいる。それでもイクスは、この国を去ろうとはしなかった。


 イクスは有るか無しかの笑みを浮かべると、そばに立つヴィルを見つめた。かつてともに駆け、若くして世を去った騎士の面影を持つ青年は、そんなイクスに不思議そうな目を向ける。


「何だよ、俺の顔に何かついてる?」

「いいや、別に。それよりお前、私に何か用があったのではないのか? 冗談はともかくとしても、近衛騎士がそこまで暇ということもないのだろう」


 真面目に問いかけると、ヴィルは我に返ったように突然神妙な顔をした。その表情は何というか、とても意味深で——非常に面倒くさい。思わずイクスがそっぽを向けば、ヴィルの手が細い肩をがっちり掴む。


「こら待て逃げるなよ? 一応の命令なんでな、お前を速やかに連行する」


 意味がわからない。そう呟き逃げようとした瞬間、抵抗する間もなく騎士に捕獲される。腕をしっかり固められたイクスは、訳もわからず騎士に引きずられ議会場を後にしたのだった——


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る