3:導かれた発端の糸

 連行する、などと剣呑な言い方とともに連れてこられたのは、城の上層にある執務室だった。


「よく来てくれた魔法使い。突然呼び立ててすまなかったな」


 快活な声音とともに振り返ったその人物——アストリッド・クロア・メンフィスは、切れ長の緑の瞳を細めて笑う。予想外、というには少々馴染みすぎた姿に、イクスは苦笑いして首を振る。


「まったくだ、いつもながらに驚かせてくれる。我らがは相変わらず人が悪い」

「宰相ともなると、そうそう素直に振る舞うわけにも行かなくてな。不本意ながら少々悪辣なふりをしているんだ。だが、そんなことは『万能の魔法使い』にはお見通しだろう?」


 悪辣というには闊達かったつすぎる笑顔を前に、イクスは曖昧に笑い返すしかない。

 その横ではヴィルが顔を伏せ、肩を震わせている。そんな騎士の足を踏みつけておいてから、イクスは宰相に向かって一歩踏み出す。


「そうだな、呼び出しの理由が少なくとも、の婚儀についての相談でないことはわかる」

「相変わらず愉快なやつだな! 今この国に、私と結婚したいと本気で思う男がいるはずがなかろう。裏で私がなんと呼ばれているか、知らぬ貴殿でもあるまい?」

「……『女獅子』だったか。なかなかに勇ましい呼び名ではないか。さすが女性としてその地位に上り詰めるだけはある」


 言っていろ、と軽く笑い飛ばし、カーディスの女宰相はイクスに座るよう促す。

 宰相の執務室にはいつも、仄かに甘い花の香りが漂う。テーブルに飾られ瑞々しい白バラを目にして、イクスはいつもながらに意外な思いにとらわれる。


 園芸を趣味とするアストリッドは、自ら育てた花々を部屋に飾っている。宰相でなければ花を育てて暮らしたい。そう言って憚らないほどに、彼女が花に傾ける情熱は強く激しい。


 だからと言って、実際に花屋になるわけもないのだが。こうしてアストリッドが咲かせた花々を見ていると、実はそちらの方が合っているのではという気もするのである。


「さて、呼び出しておいて茶も出せず申し訳ない。内密の話のため、侍女を入れるわけにも行かなくてな」


 ソファにイクスが腰掛けるなり、宰相は口火を切った。灰色の髪の下で輝く緑の瞳。緑柱石ベリルに例えられる美しいまなざしを受けて、イクスは軽く笑ってみせる。


「構わない。私も茶飲み話をしに来たわけではないし……それで、話というのはやはり、ラッセン公国のことか?」


 ラッセン公国。その名を耳にした騎士は、控えていた扉の脇で眉を寄せた。宰相も笑みは崩さないものの、軽く椅子に座りなおす。その反応に、イクスはかの国の情勢が思わしくないことを悟った。


 ラッセン公国は、カーディス王国にとって隣国であると同時に、重要な同盟国でもある。

 古くよりアルトヘイム大公家が治めるラッセンは、大国ガルディオスと国境を接している関係上、何度も戦火に見舞われて来た。しかしかの国はあえて戦うことはせず、外交のみで国を守り通りした。



 それを成し遂げたのが、現ラッセン大公ベルトール・フォン・アルトヘイムである。

 その神がかった外交手腕は、大国ガルディオスに『アルトハイムは千の手を持つ』と言わしめた。それ以降ラッセンは小国でありながら、近隣諸国から『策士の国』と呼ばれ、敬意と畏怖を向けられることになる。


 そんなラッセン公国だったが、最近になってきな臭い話がちらほらと聞こえてくるようになった。


 同盟国の異変を宰相が察していないわけもない。言外にそう匂わせれば、アストリッドは執務机の上で手を組んだ。


「……まあ、あの国に関しては、以前から懸念がないわけではなかった。しかしベルトール大公が存命である限り、ラッセンが万一にも倒れることはないだろうと——大公はまだ齢五十を過ぎたところであるし——高を括っていたのだろうな。どれほど偉大な人物であろうと、人間に違いないことを皆忘れていたのだろう」

「あのたぬきに何かあったのだな。いや、何かあったから狸がどうにかなったのか」


 偉大なる大公を『狸』と呼ばわるのは、魔法使いであるイクスくらいだろう。ラッセンの民が聞いたら刺されそうな台詞に、宰相も騎士もただただ苦笑いするだけだ。


 けれど、狸云々はともかくとしても、イクスの言葉は一面の真実を捉えていた。宰相は苦笑いを引っ込めると、灰色の髪先を指でなぞりながら『それ』を告げる。


「ご明察というところだな。大公の馬鹿息子どもが相続権を巡って争ったらしくてな。それを諌めた大公が、大怪我を負ったそうだ。今は床から起き上がることもできず、その命は風前の灯火だとな」


 まったく、くだらないことをしてくれたものだ——感情も込めずに宰相は吐き捨てる。イクスも事の重大さに眉を寄せた。騎士を見れば、彼は忌々しげに唇を噛んでいる。


 ベルトール大公が崩御するのは時間の問題と思われた。もしそうなれば、大公の息子たちによって国は二分されるだろう。仲の悪さしか伝わってこない息子たちのこと、穏便に相続が行われるとは思えない。


 そうなれば——内乱が起こる。その争いの影響は、ラッセンだけに留まらない。隣国であるカーディスにも何かしらの影響が出るだろう。それが良い事であるはずもなく、イクスは険しい目つきで宰相を見た。


「馬鹿息子どもとはな。偉大なる大公の子は暗愚あんぐ揃いということか?」

「親が鷹だからと言って、必ずしも子が鷹となるわけではないということだよ。しかし鷹でなくとも、やつらはとんびではない。中途半端に頭が回るものだから、本当の馬鹿より始末に負えない」


 両手を広げた宰相は、本当に面倒くさそうに唇を歪めた。もし事が起これば面倒くさいでは済まないだろうが、それでもそう言いたくなるくらいに状況は混迷を極めている。


 争いは退屈なものだ。そう明言してはばからない魔法使いとであっても、カーディスに降りかかるであろう火の粉を思うと憂鬱になる。守り通した平和が壊れる瞬間など、見たくはないというのに——。


「——まあ、備えはしておくにしても、今現在の状況で貴殿の手を借りることはない。今回呼び立てたのは別件でのことだ」


 表情を切り替え、宰相は軽やかな笑顔を浮かべた。『別件』という台詞に、イクスは思わず壁際のヴィルを睨んだ。その視線を受けた騎士は、心外だと言うように肩をすくめる。


「私は一言もラッセンのことだとは言っておりませんよ。魔法使い殿」

「……確かに言っていないな。一言どころか何一つ。ふざけるのもいい加減にしろ、職務怠慢だぞヴァールハイト」


 知らぬ存ぜぬを通そうとするヴィルを、イクスは射殺さんばかりの勢いで睨む。いつもの如く言い争いを始めようとする二人に、アストリッドは慣れた様子で言葉を割り込ませる。


「まあまあ、それくらいにしておけ魔法使い。あまりをいじめないでやってくれ」


『義弟』という呼びかけに、ヴィルの顔は不自然にひきつる。事情が事情だけに追撃もできず、イクスは仕方なく攻撃を中止する。その代わりに宰相へ視線を移すろ、そもそもの問題である疑問を投げかけた。


「では宰相、私をここへ読んだのは一体なんのためなのだ? 内密と言うからには、深刻な事情があるのだろうが……」

「察しが良くて助かる。ただ深刻とは言っても、国が揺らぐような種類のものではないのだ。しかし場合によっては。だからこそ、この話は内密に願いたい」


 淡い笑みを作りながらも、宰相の目は真剣だった。それだけで、イクスはこの件が下手に扱えない部類のものだと気づく。つまるところ、紛うことなき『厄介ごと』なのだ。


 だがそう気づいたところで、アストリッドの言葉を無下にはできない。宮廷魔法使いは宰相の目を捉えると、しっかりと頷いて見せた。


「承知した。話を続けてくれ」

「感謝する。……では本題に入ろう」


 宰相は頷き返し、顔を上げる。緑の瞳に先ほどまでの快活さはない。冷徹に冴え渡る視線をイクスに向けて、宰相は静かに口を開いた。


「魔法使い——貴殿には、貴族街で起こった『連続盗難事件』を調査してもらいたい。そして出来うる限り内密に、迅速に事件を解決へと導いてくれ」


 アストリッドの言葉は、あまりにも予想外すぎた。

 けれど真に想像を絶したのは、事件自体の奇怪さなのだと、今のイクスは知る由もなかった。


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