第1話演劇部
高校生活最初の夏休みが明けた九月一日。
二学期始めの登校日である。
長期休みのほとんどを冷房の効いた部屋で過ごしていた私は、今現在既に瀕死の状態に陥っている。
無常なことに、休みが明けても外の世界は依然として暑いままなのだ。
したがって当分の間この寒暖差に苦しみこと必至。あー熱い……。
ゾンビを彷彿とさせる足取りでどうにかこうにか自分のクラスに辿り着くことが出来た。
廊下側の隅に腰掛ける。そこが私、
苦手な教室の中も、気温の高い間はクーラーのおかげでそんなに悪い気がしない。生き返るー……。
まるっとした眼鏡の端から周囲を見渡す。
うん。私の唯一にして無二の友人はまだ登校……いや、部室の方に顔を出している可能性もあるか。文化祭に向けて劇の稽古で忙しい様子だったし。
確か題名は―――メタモルフォーゼ、だったっけ?
スマホを取り出して検索検索ぅー。
意味は……変身、変化、転身、変形、変態。
まぁ取りあえず変わるってことね。OK理解した。
そんなことよりも一つ気に掛かる事があるのよねー。
このモヤモヤした感じ何なんだろう?
……まっ、私には関係のない話しだし、気にしても仕方ない。
気持ちを切り替え、一人他に友人のいない私は喧噪の中、スマホで電子書籍を開く。
ここ最近ハマって読んでいるライトノベル。
実力が全ての学校で、主人公が力を隠して暗躍すると言う端的になるがそんな感じの話だ。
面白いだけあってなんと、つい先日。続編、それも二期と三期同時に決まるという、ファンにとっての願いがやっと成就したと言っても過言は無い人気作。
まだ全巻購入はできていないので後の数冊も急いで買わないと。
集中して読み進め、ページを捲る手が、いやページをスライドさせる手が止まらない。
そんな束の間のひとときを楽しんでいる時だった。
「おはよう詩子」
背後から名前を呼ばれる。そして私の名を知っていると言えば大袈裟だけど、そう言ってくれるのはこの学校でも一人だけ。
中学からの付き合いで唯一にして無二の友人、
と言うのも、同学年で私のことを
理由は私の頭髪が黒く性格も内向的、右下口元にほくろがあるから。
声のする方に身体を向けて返事をする。
「おはよう凛音。時間ギリギリだね」
「あー、文化祭について色々相談とかしてたら、いつの間にか話し込んじゃってこんな時間なってたわ」
夢中になっていたのか。気付いていなかったかのような物言い。
私と同じで好きなことに熱しやすいタイプ。
けれど、それはあくまでも内側のみ。外側は凜然としてクールに。
キリッとした瞳に金髪ショートで胸はまな板……人のことは言えないけど……。
上半身は夏仕様のシャツに対して、下半身は学校指定の赤色ジャージ。
言葉遣いと中性的外見から、よく男性に間違われるとか。
何かと苦労が絶えないだろう。
とは言っても、私よりは学園生活を謳歌しているからマイナスばかりでもない。
「そう言えば、続編決まったな」
「そうなの! もう楽しみ過ぎる! 今まだ途中なんだけど、凛音はどこまで原作読んだ?」
「俺はもう全巻読んじまったよ。早く詩子と語り合いたいな」
「ぐぬぬ。部活動で忙しいはずのにヲタ活も疎かにしないとは、流石ね」
「練習が活発になる前に、なんとか読破出来ただけさ」
ヲタ話に花を咲かせたい所だけど、始業のベルが鳴り響く。
×××
始業式は
下校時間を迎えるも、活動が盛んな部活はこんな時でもやってるみたい。帰宅部の私には関係ない事だから、早く家に帰ってラノベの続きを読まないと。
凛音もとっくに部室棟の方に行っちゃったし。
念の為忘れ物がないか机の中を確認する。
「……あれ? なんでこれがここに?」
『メタモルフォーゼ』
そう書かれた台本が、何故か私の机の中に入っていた。
下部にしっかりと名前も記入されている。
『黒川凛音』
凛音が間違えて入れたとか?
私の真後ろが凛音の席だけど、間違えて入れたとは考えにくいと、思う。多分。
故意に入れるメリットなんて無いだろうし、なんなら困るはずだよね。
全て記憶しているもないだろうし。
そこまで記憶力も良くなかったような……うーん、分からん。
仕方ない。本人に聞いてみるか。
スマホを取り出し、電話帳の数少ない登録先から凛音を選択。
数コール程待ったのち、相手から音声が流れる。
『もしもし詩子。どうかした?』
「今大丈夫?」
『ん? あぁ大丈夫。まだ始まってないから』
思ったよりも声は落ち着いたように感じる。気付いているのかな?
「凛音、台本無くしてない?」
『なんで知ってるの⁉』
「私の所に何故か入ってたのよ」
『そりゃあ見つからない訳だ。実は一週間ぐらい前かな? 手元に無くて、他の部員から見せて貰ったりしたけど、無事見つかって良かった。この後予定とか無ければ、部室まで届けに来てくれないか? ちょっと今、先輩に頼まれごとされて』
『おーい。何やってんの黒川。早くしてくんない』
確かに、男の声が遠くから聞こえてきた。怖いなー怖いなー……。
予定と言ってもラノベ読むだけだし、ただ一人の友人の頼み事ぐらい聞いてやりますか。
「仕方ないなぁー。今すぐそっちに届けてあげるから待ってなさい」
『サンキュー詩子。助かるよ』
通話を終え、駆け足で演劇部の教室へと向かう。
×××
うちの高校は上から見ると、大文字でIの形になっている。
二つの校舎の間を繋ぐ渡り廊下。手前の校舎が各学年の教室、職員室や保健室の教職員がよく出入りする場所などがあり、奥の校舎には部活動で使う教室とそんな設計だったはず。
しかし、あまりこちら側に足を運ぶことのない私は、当然演劇部の教室がどこか分からずに居る。
四階構造からなる校舎の二階に渡り廊下があり、そこを通ってきたはいいけど、これもしかして一つ一つ教室を見て回るの?
無理なんだけど……。
自分の状況を理解した途端足を止める。
一度振り返って反対側の校舎を見つめる。
誰かいれば場所を聞こうと思ったけど誰もいない。
凛音に連絡しようにも先輩からの頼まれごとに奔走しているだろうし。
これは詰んだくさい。
どこか部室を訪ねて場所を聞く勇気があればいいけど、残念ながらそんなコミュニケーション能力があればとっくに苦労しないわけで…………。
仕方ない。もう一つ一つの教室を確認して行くしかない。
幸い、室名札で確認は出来る。
これで遅れたとしても私に落ち度は無い。むしろ最善を尽くしたことに対して賞賛されるべきだ。
心の中で何度も自分に言い聞かせる。
「よし! これで私は悪くない」
「なにかしたの?」
「へっ?」
突然背後から話しかけられる。急な事に口から間抜けな声が漏れでてしまう。
ゆっくりと後ろを向くと……なんということでしょう。そこには長身のイケメンが立っているではありませんか。
可愛らしい短めの茶髪に物腰柔らかい雰囲気と口調。しっかりとした佇まいと服装。そして気付く、男性のネクタイに。
赤が一年、青が二年、緑が三年。この人の色は青色、つまり二年、先輩。
これはチャンスだ。演劇部の場所をこの人に聞けば……と思うも次の言葉が上手く出てこない。
「ゆっくりでいいよ。待つのは慣れてるから」
もしかしてこの人……中身もイケメンなのか? いやはや、出会って五秒でいやもっと経ってるか。決めつけるのは時期尚早ではないだろうか。
「その……演劇部の部室に行きたいんですけど、場所が分からなくて……」
少しモジモジしながらそんなこと言う私、実に淑やかだ。合ってるか知らないけど。
「そうだったんだね。俺で良ければ案内するけど?」
「お願いします!」
謎のイケメン先輩のおかげで無事にたどり着けそうだ。
けど……この人、渡り廊下を歩いてきたなら部活動で部室に向かうはずだよね。大丈夫なのかな?
×××
「着いたよ」
優しい声音で告げるイケメン先輩。
これはなにか払った方がいいのか少し考えものだけど、生憎と今は持ち合わせがないので見送ることにする。
「本当に助かりました。ありがとうございます」
頭を下げてお礼を述べる。
「気にしないで、俺もここに来る予定だったし」
イケメンは笑顔も似合うな……ん? ここに来る予定?
私がその言葉の意味はなんぞやと思っていることもお構いなしに、イケメン先輩は部室の扉を無遠慮に開く。
「部長! 迷子の新入部員連れてきましたー」
「はい?」
このイケメン先輩は何を言っているんだ? 何か勘違いをしていないか?
「新入部員?」
部長と呼ばれてやって来たのは、普通も普通。可も無く不可も無い顔をした黒色ベリーショートの三年の先輩。身長は結構高いけど、イケメン先輩程ではない。
どこか怪しげな様子でこちらに寄ってくる。
「一年か。まずそうだな、きみは本当に入部希望なのか?」
「いえ違います!」
即否定。
「だろうな」
「なんで分かったんですか
どういうこと? え、なに、ついて行けないんだけど。これが陽キャのやり方なの?
さっきまでと違って、イタズラっ子のような表情をしているイケメン先輩。それを分かっていたような口ぶりのフツメン先輩に質問していた。
「夏休みも明けて文化祭まで一ヶ月ちょっと。各学年、部活動は何をするか決め始める時期、練習を必要とする演劇部にこのタイミングで新入部員が来ることはまぁない。希に経験者が来ることはあるけど、違うようだしな」
「なるほど、タイミングが悪かったですね。また出直します」
「出直しますじゃねぇんだよ。時間ギリギリなんだよ。早く準備しろコラ!」
ひぃぃぃぃぃ!
怖いんですけど山本先輩! フツメン先輩なんて思ってすんませんでしたー!
なんなの演劇ってもっとフランクなものだと思ってたんだけど違うの?
「分かりましたから。そんな怖い顔しないでくださいよ。この……えー名前なんだっけ?」
「え? 白波です……」
「違くて、下の名前」
「……詩子」
「詩子ちゃんも怖がってますよ?」
いや、アンタも怖いよ!
なに涼しい顔で名前呼んでんの?
恐ろしく早い距離の詰め方。私じゃなかったら見逃しちゃうね。
「誰のせいだ?」
今にも人を殺しそうな目の山本先輩。
それを見てここまでと思ったのか。イケメン先輩は教室の奥に行って他の部員たちと合流した。
「見苦しい所をみせてすまない。俺は三年、演劇部部長を務める山本かい。今回はどういった件でここに?」
落ち着いた様子で改めて自己紹介をされる。
「い、一年帰宅部、白波詩子です。今日は、ここに所属してる友人が忘れ物をしたのでそれを届けに来ました」
「お、おう。そうか。なんて名前だ?」
ちゃんと言えたと思ったのに、山本先輩はどこか困惑気味に訪ねてくる。
「黒川凛音です」
「黒川ね。今呼んでくるよ」
「え、あ、いや……」
別に直接じゃなくても山本先輩から渡してくれればそれでよかったのに……。
ここで待ってるしかないか。
数分後、申し訳なさそうな顔で私のもとに駆け足でやって来る凛音。
「すまない詩子。部室の場所分からなかったよな。後から思い出してメッセージ飛ばしたけど、大丈夫だった?」
「大丈夫じゃなかったよ。変なイケメン先輩がいたり、怖い部長がいたり……凛音ちゃんとやれてる? 何か困ったことがあったら先生に相談するんだよ」
「え、あ、うん。ありがとう。でも大丈夫だよ」
「そう? ならいいけど」
完全には信じ切っていないけど、本人が言うならこれ以上は何も言うまい。
鞄から台本を取り出して凛音に手渡す。
「疑うなら少し見ていくかい? ちょうどこれから稽古が始まるから」
「これから家に帰って続きを―――」
「イケボの先輩がいるけどいいの?」
「少しだけなら……」
渋々居座ることになってしまった。
白波詩子の成り上がり劇場 工藤凛 @0_white
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