『蝶の様な』


 どうせミアのことだから予定通り出ていくだろうと思っていた。

 だからあんなお願いをしておいたくせに、当日には屋敷に戻った。だが遅かった。俺の予想を裏切ったのだ。

 手紙の一つもなく、与えたドレスもそのままで。

 ただお前の香りだけ残して消えた。

 どうしたって手に入らない。ひらひらと蝶のように舞って、此方が躍らされる。捕まえておけない。


 何故?

 他の女で試してみるが、いとも簡単に捕まえられる。

 何故あいつだけ手に入らない。


 まるで別人のように笑うんだな。

 コロコロと表情を変え、よく呑んでよく喋る。

 そんな風に笑い合える友が居たのか。そんなことも知らず俺は、俺はお前を閉じ込めた。だってそうでもしないと逃げるだろう?

 なのに、苦労して閉じ込めておいたのに、今日会ったばかりの男に抱かれるのか?

 そんなのあんまりじゃないか。

 俺は半ば無理矢理に奪ったのにあの男は──!


「一体何が違うんだ……何が、俺と何が違う……」


 頭痛の元が居なくなったのにも関わらず俺の呪いは解けない。

 俺の屋敷が徐々に輝きを失っていくのに、バッケル元男爵邸は次第に花で溢れていき輝きを増していった。

 ルーカスという男とは何度かデートを重ね、唇や手や、身体を重ねている。

 役所で働く実に真面目な男。曇りのない硝子のような人間。

 それがミアの幸せなんだな。


 そうだ。俺とお前じゃ立場が違うんだ。

 お前は平民で、俺は貴族なんだ。そろそろ俺も、結婚しなければ。家の為に。













「何であんたが此処に……」

「ミア──!」


 今日はミアの実母で、俺の父が愛した女の命日だった。

 会いたくなかった。

 必ず来ると知っていたがどうしても変更できない予定があったから。数分違えば顔を合わせず済んだのに。一日の時間の中でどうして惹き合わせる。


「まさか母の墓参りに……」

「ッ父が、きっと望んでいるから、しているまでだ」


 それとお前を産んでくれたから。等と伝えることは出来そうもない。

 ミアは「ああそう。まぁ……わざわざありがとう」と、俺とは違い素直に礼を言った。

 変わらずお前は輝いているのか。

 捻くれもせず、嘆きもせず。変わらない。


 嗚呼そんな事を思っている場合ではないのだ。

 花を手向け、早く馬車に戻らねば。なにせ五月蝿い女を待たせているから。


「!? ちょっと、それ、その花束……うちの店の……」

「こ、れは、たまたま通り掛かったから買っただけだ」

「…………なら良いけど」

「っ…………」


 久し振りに見つめ合った瞳。

 揺らがぬ紫水晶も変わらず、か。



「ウォルター様!? 遅いと思ったら女と話していたの!? この女誰よ!」

「フェリシア嬢……ただ墓参りに来た女性と偶然会っただけだよ。挨拶をしていただけさ」


 フェリシアは俺の腕に絡み、ミアを睨みつける。

 明らかに貴族令嬢だと分かるフェリシア。だがミアの紫水晶はここでも揺らがなかった。


「あの、先代のマクロン侯爵様と私の母が知り合いで、本当に今偶然会っただけです。不安な気持ちにさせてしまい申し訳御座いません」

「本当かしら!? 私の婚約者に・・・・・・色目使ってたんじゃないの!?」

「え……?」

「フェリシア嬢、」

「ふん! でも残念ね! アンタみたいな平民の女じゃ相手にもされないでしょうね!!」

「フェリシア嬢そこらへんで」

「いーい!? そもそもウォルター様は社交界でも高貴な御方なのにこんな汚い墓地に足を踏み入れさせて、」

「フェリシア……! 嫉妬してくれるのは嬉しいけれど、そんな言い方は駄目だよ。彼女の母親が見ているんだから」

「あ……そ、うね……ごめんなさい」

「もう済んだから行こう」

「え、ええ……」


 婚約者の肩を抱いて馬車に乗り込む際、振り返るとミアの隣には男が居た。

 真面目なルーカスではない、別の男。俺が知らない間に、またアイツは……。

 知らない男は小さな花束を携え墓に供えると、二人で並んで祈っている。

 その役目は、俺でも良かったんじゃないのか?



「あ、あの、ウォルター様……? あの、先程、私のこと呼び捨てにして下さいましたよね……?」

「え? あぁ……ごめんね、つい」

「いいえそんな謝ることでは」


 動き出した馬車の中。流れゆく木々がミアと男の存在を隠し、姿を捉えるのも難しい。

 瞳の奥に焼き付けているのに、隣に座るフェリシアはうっとりとした瞳で俺を見つめ、そっと膝に手を置き邪魔をする。

 この女は一体何を勘違いしているのか。虫酸が走る。


「ふふっ。正直、距離が縮まったようでとっても嬉しいんですの! 次からもそう呼んで下さい。その、もし宜しければ、わたくしも“ウォルター”と、お呼びしても?」

「…………ああ、勿論だよ」

「うふふ! わたくしって本当に幸せ者だわ!」

「そう? なら良かったよ」


 腕に押し付けられる硬い胸。ビスチェで頑張って寄せたのか。

 海のように美しいと讃えられるサファイアの瞳も、高級クリームとブランド物の紅で彩られた唇にも何も魅力を感じない。おかしいのは俺の方なのか?


「ところで……先程の女性とは、本当になんの関係も御座いませんの……? わたくし不安で……」


 馬鹿だな。聞かなければいいものを。


「ああ、ミアの事かい?」

「ッ、え……?」

「あのひとは俺の一番大事な人だよ」

「……!! どういう意味!?」

「どういう意味って……そのままだけど?」

「酷いわ!! 婚約してるのに!!」

「…………ねえフェリシア。勘違いしないでほしいんだけどさ。貴族の結婚って家の為だろう? 別に君を好きだから婚約したわけじゃない」

「そんな……!」

「きっとこれからも愛することはない。ごめんね。悪いけど、俺は父親似だからさ」



 散々怒って泣き喚いて、終いにはすがりついて。

 ミアならこんな真似、絶対にしないだろうな。

 本当に馬鹿な女だ。

 “相手にもされない”のは、俺の方なのに。


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