「年頃の娘」
「お前、赤の他人だったのか!?」
「っびっくりした……何よいきなり……」
午後四時頃──。
侯爵家に居候するのも残すところあと一週間。夕陽に照らされた庭を散歩していた時だった。
あれから姿を見せなかった兄が後から声を掛けてきたのだ。
街の公園なんかよりよっぽど丁寧に整備された庭を、これでもかと目に焼き付けていたのに。もう二度と踏み入ることはないのだから邪魔をしないでほしい。
「ッ、知ってて家族のふりをしたのか!?」
「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないで。確認もしないで勘違いしたのは貴方達でしょ」
「俺のことを気安く兄と呼んでおきながら……!」
「はあ!? それはこっちの台詞よ! 妹だと思ってた私にあんなことしておいて、」
「今はそんな事どうだっていい!」
「なっ! 女性を犯してよくもそんな……! ああそうよね! どうせ私は平民だから従うしかないものね!! 貴族様には逆らえないもの!! そうでしょう!?」
最後だからと気が緩んでいるのだろうか。
今までなら「ええそうですね」と右から左へと流していただろうに。
そう言い返すと、かたちの良い唇をきゅっと噛み、エメラルドに似た瞳が伏せた。なんだかデジャヴのような気がする。
(あぁ……墓地の管理人がどうこう言ってたときもこんな顔してたっけ)
あれは思い出しても酷い言い様だ。いやいや、私に対してもなかなかに酷かっただろう。
目の前の男が、他の女性には貴族らしくスマートにエスコートしているのは知っている。
屋敷に客人が来たとき。街でデートしている姿を見たとき。あまりにも違うからゾッとしてしまったのだ。人はこうも態度を変えられるのかと、恐ろしかった。
そう思う私も、兄からしてみれば違う人間に見えるのだろうか。
だからどうということはない。今までもこれからも変わらず赤の他人なのだ。
「本当に……出ていくのか」
暫し間をあけ、兄は私に問うた。
ええそうよ、と素っ気なく答えるとこの世の終わりみたいな
一体この男は何をしたいんだ。散々罵って犯して精液ぶち撒けて。私をどうしたいのか。
「俺は明日から仕事で屋敷を空けねばならない。帰ってこれるのはお前が20歳になった次の日だ」
「だから? それが何か関係あるの?」
「ッ……一日待ってはくれないか。最後ぐらい……別れを……」
本当に頭がおかしいんじゃないかと思った。
別れの挨拶をしたいだと?
気が狂ってるとしか思えない。
けれどあんまりにもしおらしく言うものだから、「はぁ……分かったわ。お世話になったもの。一日だけ、待つわ」と、そう言って一日早く出て行った。出てやった。
ざまあみろだ。誰が兄のお願いなんか聞くものか。
「ミアー! こっちこっちー!」
「ごめーん! お待たせーっ!」
──あれから三ヶ月が経った。
屋敷を出て最初の一週間は、兄が怒って追いかけてくるのではないかと気を張っていたのだが、そんなことはなく。忘れかけていた日常を今は過ごしている。
「ミアちゃん久し振りー!」
「久し振り! アリアちゃん変わってなーい!」
「え! この
「これで全員揃ったかな?」
屋敷を出てすぐ、
隣の領で売りに出されていた十年前に没落した男爵の屋敷。小高い丘の上にあって見通しがよく、綺麗な小川と美しい自然。治安もいいし、何より隣の領だからマクロン侯爵の領民でなくなるのだ。これほど素晴らしいことはない。
母の墓参りも馬に乗れば一時間で着くし、友達だって余裕で招ける。
いくら有り余る遺産があるからといって怠惰は良くないので、街の花屋で働き出した。
友達ともこうして会って、お年頃だから今夜は
「カレンお前こんな可愛い
「隠してませんー。ミアはマクロン侯爵家で住込みで働いてたのぉー」
とまぁそういう事になっている。
昔からの女友達は事情を知っているのだが、誰にも彼にも話せる内容ではない。ただでさえ
「へ〜。住込みか〜。普通のメイド?」
「はいはい、先ずは乾杯しましょうね〜」
「それもそうだ!」
とりあえずカンパーイ、と盃を交わすのも久し振りだった。
同年代で気を使わず飲み食いしてお喋りして。あぁ自由になったんだと、実感した。
普通の平民女性らしく、こんな風に男性と出逢ってデートしてお付き合いして結婚する。それがいい。貴族の世界が羨ましいと言われるけれど、そんなもの要らない。戻りたくない。綺麗なのは見た目だけなんだ。
社交界の花だろうが星だろうが中身は醜いし、あんな狭い社会は向いてない。それと、偽りの兄に犯されただなんて、仲の良い友達にも言えなかった。
言いたくもないし知られたくもない。
「ねっ、ミア。あたしら抜けるから」
「えっ!? だってアリアちゃんとリト君あんな感じなのに!? カレンまで……!」
「だあってぇ〜〜。ほらぁ〜君らも良い感じじゃーん? ミアもさ、たまにはハメ外してみなよ。大人なんだからさー! じゃ、ルーカス。ミアを頼んだ!」
「あっ、ちょっと!」
店を変えて一時間経った頃には、何となくそうなるのではないかと感じていた。
ルーカスと呼ばれた男は役所で働くごく普通の男。ごく普通の平民女性に似合う、ごくごく普通の安定した相手。
「えっと……ミアさん……うち、来る……?」
「あ……。ん、そうですね……ハイ」
お持ち帰りされた。
別に初めてではない。二人前の彼氏はお持ち帰りがキッカケで付き合い始めたっけ。半年で別れたけれど。そんなものだと思う。
貴族の御令嬢は結婚するまで処女を貫くらしい。もちろん皆が皆そうではないが、リリアナは処女だった。血の繋がりと家の為に結婚するから。あんな人だがある意味尊敬する。
「触ってもいい?」
「うん……あっ」
「ミアさんとっても綺麗だよ」
どうしてだろう。
「キスしよ。こっち向いて」
「んっ。……ふっ、」
言葉は優しいのに。触り方が、雑だ。
ふと、(あの人の方が……)なんて、頭を過ぎってしまった。
己は馬鹿か。何故あの男が出てくる。あり得ない。それだけはあり得ない。
「ッ、ああっ──!」
あり得ないんだから。
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