『棲み着く女』


 まるで星屑が目の前に墜ちてきたような衝撃だった。

 出逢った日のことはよく覚えている。

 紫水晶の瞳が脳裏に焼き付いて、俺をずっと苦しませているからだ。

 生意気な女め。図々しくも俺の頭に棲み着きやがって。


 父が外で女と会っていたことは知っていた。

 お陰で母は愛してもいないくせに嫉妬に狂い、妹も母に似て性格が悪くなっていった。

 そしてある日、父が新しい娘・・・・を連れてきたから大変だ。

 蝶よ花よと母に育てられた妹は今まで抑えていた衝動をこれでもかと発揮し、手まで出すようになった。幼稚な行動であるから直ぐに父に気付かれ、こっぴどく叱られていた。



 あいつは本当に腹の立つ女だ。

 俺の視界に入り人生の邪魔をする。

 父が死に、本館から西館へ追いやられても付き纏ってくる。憎たらしい。叶うならその存在を壊してしまいたい。


「誰か! 誰か居ないの!!? あの女が此処を歩いたわ!! カーペットを全て替えて頂戴!!」

「信じられない! アンタ今わたくしに向かって口を開いているの!? 空気が汚れるから息もしないでくれる!?」


 父が俺達への最期の贈り物として王家との婚約を取り付けていたから、これからは母と妹の叫ぶ声を聞かなくて済むだろう。

 ただでさえあの女に呪われ頭痛がするのに、五月蠅くてたまったものじゃない。


 案の定、妹のリリアナは浮かれ、友人を招き侯爵家うちでパーティーを開くという。

 父が死んだというのに。血の繋がらない娘が一番悲しむとは。笑えるな。

 パーティーは嫌いだ。

 リリアナを祝う気もない上辺だけの卑しい女が俺に胸を押し当て濁った瞳で見上げ、たかってくるに違いない。

 ミア・・でさえそのような行為はしないのに。



「やだわ、相変わらず酷い臭いね! ねえアンタ。明日は絶対に西館から出ないでよね。とぉーーっても大事なパーティーがあるんだから! 殿下から戴いたアンタには到底似合わないドレスを着るのよ! アハハ! わたくしってとっても美人だから王太子に気に入られて婚約したの! お友達も沢山来て祝ってくれるのよ! 羨ましいんでしょ? 分かってるわ! わざわざ此処まで言いに来てあげたんだから守ってよね。破ったらどうなるか分かってるでしょ? ねぇ返事は無いの!?」

「あ、はい。分かりました」

「アハハハ!! きったない声!! アンタは一生結婚出来ないわね!!」


 自慢したくて堪らないのか普段近寄りもしないミアの元へ足を運び、念を押すリリアナ。たまに風にのって聴こえてくる歌声は、嘲笑うリリアナの声よりはよっぽどマシだと思うのだが。

 それを本人に伝えようものなら母に泣きつき、きっとまたヒステリーでも起こすだろう。



 ──パーティー当日。

 ミアは言われた通り西館から一歩も出なかった。庭さえも歩かなかった。電気も付けず存在を消していた。

 それでいい。

 お前みたいな女が住んでると皆に知られたら侯爵家の品位が下がるだけだ。

 しかし、酒に酔った招待客の男が一人、道に迷ったのか西館へ来てしまった。


「あっれぇ〜〜?? 君はぁ??」

「っ!? 何方様ですか……!?」

「君みたいな子居たっけ? 何処の家のレディかな? それともメイド?」

「え、あ、あのメメメイドです……! お客様、会場はあちらですよ。早く戻らないと皆さん心配なさいます……!」

「あー、あっちかぁーー。いやぁ迷っちゃってさぁ」

「あ、あはは……そういう事もありますから……」

「…………ねぇ教えてくれた御礼にさ。気持ち良くしてあげよっか?」

「……は?」

「もーー、期待しちゃって〜〜」

「いや何言って、ちょっ、やっ、離してっ!」


 グ、と腕を強く掴まれ壁に追いやられるミア。

 必死に抵抗するが、不意を食らった女がその気の男にはそう勝てない。

 あぁ……もういっそのことそのまま壊してくれないか。俺の中から存在を消してくれ。そうすれば頭痛も治まるだろう。


 壊れていく様を黙って見ていようと思ったのだが、ミアの寝衣が乱暴に捲りあげられている姿に沸々と煮え滾る怒りが俺の身体を動かした。


「おい何やってんだ」

「いよぉーウォルター! お前ンとこのメイドめちゃくちゃ美人だなぁ〜。ちょっと味見しようと思ってさぁ〜」

「ふざけてないで早く戻れ」

「んだよぉ〜〜、いいじゃねーかぁ〜〜。あ、まさかお前の玩具だったか? 婚約もしねーでこんなの飼ってたとはなぁ〜」

「そんなモノは居ない、いいから早く戻れ」

「ちょっとだけだって。な? 良いだろ? 彼女も欲しいって言ってたぞ?」

「っそんなこと言ってな、んあっ、どこ触って……!」


 はしたない声が廊下に響き、触れば柔らかそうな乳房が男の手で形を変えた。

 この女はどこまで俺を苦しませれば気が済むんだ。


「ッ、いい加減にしろよお前! そう言って“ちょっと”で済んだことがあるか? いいかダン、俺の屋敷を汚すな。分かったらさっさと戻れ」

「ったく……分ったよ! 当主のお前に言われちゃあ仕方無いな。戻ってレディでも捕まえるかな〜〜」

「汚すなって言ったろ」

「外行ってしますよ〜」


 仕事は出来るが如何せん女癖が悪い。

 お前みたいな男に一度はなってみたいものだ。そうすれば、…………そうすれば?

 そうすれば何だっていうんだ。ただ下半身で考える馬鹿になるだけだろう。

 男が去り、乱された寝衣を整えミアはひとこと「ありがとう」と言った。

 いとも簡単に胸を揉ませていたな。穢らわしい。


「お前を産んだ女に似て貴族の男を誘惑したのか」

「違います」

「いいや、お前が誘惑したんだ」

「いいえ、していません」


 紫水晶の瞳はいつだって揺らがない。

 誰も壊してくれないなら俺の足にすがりつき瞳を涙で濡らして靴でも舐めてくれないか。

 全く、苛つく瞳だ。

 なぜ揺らがない。

 顎を掴んで壁に追い込み見下ろして、もう一度問い質しても答えは変わらなかった。


「メイドなら貴族の男にご奉仕・・・できると思ったんだろ? そこまでして貴族に見初められたいのか?」

「ッ誰が! 誰が貴族なんかに! 貴族なんて死んでも御免だわ!」

「どの口が! 父の関心と遺産を奪っておいてよく言えたな、お前の父親でもないくせに!!」

「そうよ!? 私の実父はギャンブル狂のクズ! 侯爵様は自分の事を父と呼んでほしいと言われたからそうしたの! 愛したひとを失ってお父様は正常ではなかった。一体私にどうしろというの!? あと3ヶ月の辛抱なの……! 最後ぐらい静かに過ごさせてよ……!!」


 俺の檻に閉じ込められたミアは言う。

 時が止まったのか心臓が止まったのか判らない。分からない。一体ミアが何を言っているのか解らない。


「3ヶ月……? 一体それはどういう意味だ」

20歳ハタチになったら此処を出ていくわ。良かったわね、これで私の顔を見ずに済むでしょ」

「はっ! 行く宛もないくせに……! それに今更出ていってどうしようというんだ……!」

「結婚できる年齢になるから出ていくのよ! ずっと此処に居るわけないでしょう!?」

「っ……結婚するのか?」

「さあ。お兄様には関係無いでしょ」


 はぐらかす紫水晶。顎を掴む手に一層力が入る。

 こいつが結婚だと?

 有り得ない。こいつが屋敷に来て今まで…………いや。一人居たな。


「あの男か? 墓地の管理人だろ」

「は……?」

「そうなんだな。先週の日曜は妻子が居ない間に男の家でナニをやっていたんだ? ん? 言ってみろ」

「何で知って……!」

「母親の墓に供えていたから気に留めなかったがあのとき受け取った一輪の白薔薇はやはりそういう意味だったのか? 答えろミア!!」

「ぐッ、んっ……離、して……! 意味分かんない……! 一体何なの!?」

「死体に囲まれた男が好みとはな……! 死人とセックスでもしてそうな男だったがお前もそういうのが趣味か!?」

「ッ、信じられない……! 言って良いことと悪いことぐらい分からない!? アンタ達は私とお母さんを侮辱する権利ならあるけど他の人を侮辱する権利なんてないでしょ……! 貴族なら何やっても許されるの!? 墓地の管理人にまでそんな酷い言葉……っ! 領民ぐらい敬いなさいよ……!!」



 初めてだった。

 ミアが言い返したのは。

 本当に心臓が止まったのではないかと思うぐらい言葉が突き刺さった。


「それに薔薇の意味なんて知らないわ! 私は貴族じゃないからいちいち花の意味なんて気にしてない……! 退いて! お兄様もさっきの男と同じよ……!!」


 何も言えぬままミアは俺の腕を払って檻を抜け出した。

 誰も居ない西館で、ただ己の鼓動だけが響いている。


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