西館の図書室で

ぱっつんぱつお

「侯爵家の膿」


「お父様……、どうしてこんなにも早く……」

「う、うう……お父様ー……っ!」


 母の愛した人が死んだ。

 母を愛した人が死んだ。

 そして、血も繋がっていない私に、遺産が相続された。


「何でこんな卑しい女に半分もやらなくちゃいけないのよ……!!」

「奥様……! どうか落ち着いて……!」

「お母様の言う通りだわ!! 実の娘の私より多いですって!? 信じられない!!」

「そうよ! そんなもの無効よ! 今すぐ書き換えなさい! 出来るでしょ!? いくら欲しいの!?」

「なッ……! そ、そんな事は許されません! 法律違反です……! それに……! 侯爵様はこのような事態を想定しておりました故、契約書にはサインが──!」




 母はクズな男と結婚して私を産み、クズな男と離婚した。

 美男美女でお似合いだったが、働いた金を全てギャンブルに注ぎ込む男だった。

 私の中での父はいつも母を泣かせる人だった。

 これからの人生では笑ってほしかったから一生懸命お手伝いして、新聞配達や花売りもやった。

 優しくて美人で、大好きな母。


 あれは……私が14歳の時だったかな。クズな父親と離婚して2年が過ぎた頃、母が皿洗いをしながら鼻歌を歌っていた。

 良いことがあったときの癖だ。

 だから聞いたの。なにか良いことでもあったの、って。

 そうしたら、「ふふふ! あのね、とっても素敵な人と出逢ったのよ!」と、本当に、この上なく素敵な笑顔で言ったのだ。

 あのときの笑顔は今でも忘れない。

 それが、マクロン侯爵様との出逢いだった──。



 妻子の居る侯爵様だったが、貴族の結婚は家や血筋を守るためだと聞く。

 家庭があると知っても私自身嫌だとは思わなかった。

 平民と貴族、一線はキチンと守っていたのだ。

 私達の生活を全面的に援助するわけでもなく、侯爵家に転がり込もうとするわけでもなく、ただ普通に、愛し合う恋人同士、普通にデートをしていた。

 娘の私がこういうこと言うのは何だけど、避妊もしていたんだと思う。子供ができたら大変だものね。

 血も繋がっていない私にだって優しくしてくれて、本当に優しい人。

 何より母の幸せそうな姿ったら。それだけで十分だった。

 惹かれ合う二人は止められない。


 けれど、私が17の年。大好きな母は流行り病に罹り呆気なく死んでしまった。

 私よりショックを受けていたのは侯爵様だった。

 可笑しいと思うでしょうけど、嬉しかったの。助けてあげられなかったと言って悲しんでくれて、心から愛してくれたんだと、知れたから。


 私はというと。

 マクロン侯爵に引き取られた。

 正妻と、兄と妹。黒髪一家の中でたった一人プラチナブロンドの私。緑眼の家で唯一人、アメジストアイの私。

 そりゃあ家族からは勿論嫌われた。外で作った恋人の、血も繋がっていない自分たちとは全く関係の無い小娘。

 マクロン侯爵様は優しい人だと思っていたがそれは私達の前でだけだったらしい。マクロン侯爵が唯一素で過ごせる居場所だったのだ。

 教養も何も無い私だったが、己が愛したひとの大事な娘であるからそれはもう良くしてくれた。


 貴族としてのは厳しい人だった。

 生まれも育ちも貴族でない私には変わらず優しい人だったが、一番に嫉妬していたのは妹だった。

 主人が居ないときは盛大に罵り物を投げられたこともあった。けれどその時に出来た痣で妹の行いはすぐに発覚し、それからは執拗に頭が痛くなるほど悪口を言われたっけ。ヒステリックな母親と一緒になって人を罵り、何が一体楽しいのか。貴族のすることは分からない。解りたくもない。

 兄は……穢らわしいと言わんばかりに無視していたな。楽といえば楽だった。

 別に私は侯爵様が優しくしてくれるからと甘えるつもりもなかったし、実の母と同じく貴族との一線は引いていたつもりだ。

 元々平民女性が結婚できる20歳までお世話になる予定だった。恐縮する私をマクロン侯爵様が説得し、私は此処へ来たのだ。

 そうでもなきゃこんな地獄みたいなところ来るもんですか。


 たまにと散歩をしたりお茶を飲んだりすれば、いつの間にか母の話をしていた。私が昔の母の話をすると侯爵様は懐かしみ、嬉しそうに、そして哀しそうに聞いていた。

 一見、元気なふりをしていたが、最愛の人を亡くした隙間は私でも埋められなかったようだ。

 日に日に憔悴していき、不眠に陥り、薬を飲み、疲労が溜まり、けれど仕事は進めなければならない。

 そして遂に──、過労で此の世を去ってしまった。

 私が侯爵家へ来て2年目の秋のことだった。

 まるで後を追うように。否、追ったのかもしれない。


 そして冒頭へ繋がる。




 は抜かりのない人だった。

 己の死期が近いことも分かっていたのだろう。自分が死ねば私の扱いがどうなるかも。

 私が住まう場所は滅多に人が出入りしない西館へ移し、忠誠心と正義感が強く若くて真面目な弁護士に遺言書を託した。

 民間の病院に多額の寄付金をし、月に一度私の健康チェックを頼んでいた。

 私が20歳を超えて契約期間が終わり、この家を出れるその日まで。


 は私という存在から目を逸らすため妹と王太子との婚約まで漕ぎ着けたようだ。

 お陰で遺産目当てで私を殺してやろうとかそういった事は無かったが、顔を合わすたび侮辱されるのは変わらなかった。

 醜く人を罵る人が王太子妃なるだなんて笑える話だ。しかも社交界の花と呼ばれているらしい。

 妹は今年17で、貴族の女は16歳から結婚できる。平民は身売りを防ぐため20歳なのだ。

 遅すぎる。早く此処を出たい。が居なければ私はただの膿でしかない。

 因みに男は貴族も平民も一律で18歳。兄は今年21になるが、未だに婚約者も決めない。

 数え切れないほどの縁談やデートの申込みがあるのにも関わらず開封もせず燃やすのだから贅沢な人だと思う。

 父親である侯爵が死に、己がその座に就いたのだからそれどころではないだろう。


 兎にも角にも早く時が過ぎてくれないだろうか。

 最低限の食事を運び、最低限の掃除をする使用人。

 医者が訪問するから最低限のことはするが、それ以外は全く関わらない。

 言葉も最低限の返事や挨拶のみで、西館にはわたし独り。

 暴言を吐かれるよりよっぽどマシだが毎日がつまらなかった。


 そんな中最近お気に入りの場所が出来た。

 西館の図書室だ。

 本館の図書室と比べると書かれている内容は古めかしいし、専門的な学術書ばかりだし哲学的な考え方や偏った考えで書かれていたり、ハッキリ言って難しい。

 だから誰も来ない。

 誰も来ないけれど歴史的価値はあるから、年に一度、専門家に本の管理を頼んでいる。

 侯爵様が死ぬ2ヶ月前がその日だったのでこの場所を知れた。

 扉の鍵を閉めれば使用人も入ってこれないからとても良い場所だ。

 それに何となく読んでみたけどこれはこれで面白い……と思う。恐らく。

 自分で淹れた茶を飲み、眠くなったらソファーで眠る。

 極稀にクッキーもあったりなかったり。

 もしかしたら本物の貴族より贅沢なのではないか。



 ──その日も、図書室のソファーでうたた寝をしていた。

 背もたれに脚を乗せ読んだ本を枕にして。こんな姿見られたら絶対に罵られる。

 「これだから下賤な血は」とか、「穢らわしい人間は行動まで穢らわしいのね」とか。

 耳に障る金切り声で。

 でも大丈夫。誰も来ないから。


「んっ……、やば。また寝ちゃってた。ぐぅ~……身体いたぁ~」


 目を擦り背伸びをする。

 固まった身体をほぐしていると、ぴりりと口元が張り付いて痛い。


「やだ、私ったら涎垂らしてた……?」


 片付けて部屋に戻り鏡を覗くと、白い液がべったりと付着し固まっていたのだった。


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