第2話

 職場の占い館から程近い住宅街に榊のアパートはある。うんうん唸る上条を背負って雨除けにし、十分程度雨の中を歩き、古びた外観が見えたところでやっと仕事の感覚は抜けた。

 とは言え背負っているのはともすると爆弾だ。連れて来てしまったのだから仕方がないと、部屋に入るなり敷きっぱなしの布団の上に転がした。

 榊の部屋は非常に汚い。片付けが苦手な上に、物が多い。易術や話術に関する本の他には、趣味で集めているアクセサリー類が散乱している。しまうところがないので、ハンガーや飲みかけのペットボトルやベッド上部の出っ張りなどに適当にかけてあった。

 上条は起きる気配がない。ベッド上は荷物置き場と化しているため榊が眠ることは出来ず、つまり徹夜か添い寝か浴室に布団を持ち込むかの三択になっているのだが、三択目を迷わず選んで荷物の下敷きになっている掛け布団を引っ張り出した。

 風呂場は少し寒かった。一口飲んだ獺祭のおかげですぐさま寝たが、叫び声で早朝に目が覚めた。

 叫んだ本人である上条陸は、顔を出した榊を見るなり青褪めた。記憶があるようで結構なことやと、欠伸をしつつ無責任に考えた。


「いやあの……ほんまにすみませんその……ちゃうんです、確かにめちゃくちゃ酔っ払ってましたけども占って欲しかった気持ちは本当で寝てまうつもりなんてほんまになかったんです……ええと……占い師さんの話を大学で聞いてたから……当たるって友達が……」

「榊竜二や、上条陸さん?」

「あっはい、上条です、友達はリッキーとかリッくんとか呼びますんで竜二さんも是非」

「お前素面でもちょっと距離感バグあんねんな……」

 灰皿を出し、視線で吸うと伝えれば、上条はこくこくと頷いた。ので、遠慮なく着火した。上条は丸い目を丸くしながらアメスピや! と場違いに抜けた感想を漏らした。

 素面でもちょっとボケてんねんな、と今度は口に出さなかった。榊は勤務時間外だった。人相や言動でのリーデイングを細かやかに行う必要性は、ひとまずなかった。

 気になっているのはたったひとつだ。上条の生命線。その長さを断ち切るような、深く刻まれた斜線の皺。

 当たって後ろめたくなる占いは二度としたくないのだと、内心舌打ちをしてしまう。

「陸さん」

「リッキーでお願いします!」

「……いやそれはもっと親密になってからや俺はパリピちゃうねん話の腰折んな酒乱」

「すみません」

「ええよ、話戻すけどもな陸さん、結局お前は酔ってもうててろくに占いもできんかったわけやから、しゃあなし持ち帰り仕事にさせてもろたんや。金も貰いすぎたしな、そんなわけやからもう一回聞かせてくれ。今一番何に悩んどる? 何か……思い当たるような、わかりやすい不幸があったんか?」

 例えば病気が見つかったとか、犯罪の多い地域に引っ越したとか、大学に爆破予告があったとか……そこまでは聞かずに口を閉ざし、考え込む様子の上条を上目遣いにちらりと見遣る。

 丸い目は素早く視線を合わせてきた。ついでのように伸びた手が、榊の長い黒髪を一束掬った。急な動きに驚くが、上条はなんでもないように笑顔になった。

「あの、実はおれ好きな人がいて、恋愛相談がしたくて行ったんです」

「あ? ああ……」

 若者らしい言い草に肩の力がにわかに抜ける。目の端には、自分の黒髪をいじる指先がまだあった。無意識にだが上条の距離感のバグり方に慣れつつあった。

「恋愛な、せやったらよく見るやつやわ。手貸せちゃんと見たる……前に、相手の情報を教えてくれ。年齢と氏名と出来れば生年月日、他には現在の関係性とかを」

「好きです付き合ってください」

「ん?」

「無理なら友達からお願いします」

「え?」

 榊の思考は分かりやすく止まった。上条は笑顔のまま、

「髪の毛めっちゃ綺麗ですね! 好きなんです、長髪。竜二さんの占いが当たるって聞いてから素面の時に一回行ったんやけど、もうほんまにガチで一目惚れでした。切れ長の鋭い目、モデルか? みたいなスタイル、異様に整った横顔、抜群に似合う黒髪長髪、全部めっちゃ好きです付き合ってください! ……って言いに行ったつもりやったんですけど緊張しすぎてストゼロ浴びたらあかんようになりました、付き合ってください」

 弾丸のように喋ってからポカンとしている榊の両手をさっと握った。

「竜二さん? 男は対象外ですか?」

「え? いや、……いや待て、」

 徐々に戻ってきた思考を回しながら、改めて目の前の大学生を見る。それから握られている手に視線を落とす。掴み返して、両手ともぐるりと反転させ、昨日と同じように刻まれた手相を再び読む。

 生命線の分断は変わりない。恋愛運は、元々良くはない。結婚運は悪くない。どれかといえば楽観主義だが一度落ちると自力で這い上がれないくらい深いところに落ちていく。

 ああこれかも、と榊は納得した。失恋は誰でもそれなりの痛手になるだろう。なら今自分に振られて、落ち込んだとして、這い上がれず底を彷徨い続けたとすれば、全てが悪い方向にいく可能性はなきにしもあらず。

「よし」

「よし?」

「付き合ったるわ、ええな?」

 今度は上条がフリーズした。固まった体は徐々に震え始め、最終的には大きな涙をぼろりと落とした。反応の大きさに榊は引きつつ驚いた。

 ありがとうございます! と涙声で叫びながら突進してきた体を受け止める。ほぼ犬やんけ。内心呆れつつ、あやすようにぽんぽんと背中を叩く。

 ちょうどフリーで良かった。付き合いながら手相の様子を見て、良さそうな段階で適当に別れよう。出来れば円満に。無理なら嫌われそうなことでもして、上条側が愛想を尽かすように画策しよう。

 喜びのあまり号泣する上条を宥めながら、榊はそのように考えていた。甘かった。大学生、とりわけ上条陸という男子生徒の動向について無知すぎた。

 同時に上条も榊の容姿以外を知らなさすぎた。

 二人の交際は困難を極めることになる。

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