酩酊占い
草森ゆき
第1話
繁華街の近くに店舗を構えているため酔客は珍しくもない。榊は長い黒髪を後ろへ流し、気だるく頬杖をつきながらそう伝える。目の前に座った若い男は、あからさまに据わった目つきで榊を見ると、そうなんですかあ、といやに明るい声で合いの手を入れた。ちぐはぐだった。両手でしっかりと握り締めたストロングゼロの缶は、まだ中身が残っているようだった。
榊は占い師だ。普段と変わりのない業務を終え、閉店するかと腰を上げたところで転がり込んで来たのが、今目の前に座っている若い男だった。客と見做し、料金と名前をまず要求した。精算は最後でよかったのだが、先払いに難色を示せば叩き出せるとの算段で口にした。
結果として、男は万札を机に置いた。よろよろと腰掛けると、
「かい、ああちが、かいじょ、かい、かみ、ああこれ、かみ、じょー、りく、うんこれ、これだ」
と長い自己紹介をして、榊は数秒考えてから
「カミジョウ・リク、でええですね?」
神上陸かと思うたわとはどうにか言わずに本名を仮定した。男は笑顔で頷いて、机に置いた人差し指をうろうろと動かした。
名前を書いていた。文字列は一応追えた。榊は吐きたくなったため息を堪えつつ、上条陸、とメモ帳に記入した。名前だけなら爽やかだ。こぼれた長髪を耳にかけつつ、上条へと視線を向ける。
「ほな上条さん、早速占わせて貰いたいんですが」
「リクってよんで」
「……陸さん、何について占いましょう?」
なんやこいつ。榊はかなり引いていた。酔客でもタチの悪い絡み酒である。柔そうな髪、人好きする子犬のような丸い目、バランスのいい目鼻立ちに見た目に合ったカジュアルな服装と悪くはない風貌だったが酔い方がすべてを殺している。
上条は据わった目のままぼんやりとしていたが、やがてハッとしたように目を見開いた。
「おれ、あれなんです。あれがこうやったってほんまに気がつかんかって、それであれが、」
「指示語やめろやボケたババアか?」
「いやちがう、おれはまだ二十二歳です、せやからあれがあかんかって留年したんですけど彼女に振られたり実家に泥棒が入ったりしてもうて」
「痛み入るけど情報多いわ」
「あれのせいなんですって、おねがいします占ってください!」
「あれってなんやねん情報少ないわ」
榊はほぼ仕事を放棄した。そうせざるを得なかった。いくら繁華街に近かろうが、ここまで極まっている客は占い館に辿り着かず力尽きる。路頭で寝ている。警察に補導されている。誰かに引きずられてどこかに消えていく。
それらに該当せず辿り着いたのだから、何か理由はあるのだろうとも、一応思う。
「占いって超能力ですか?」
上条が急に素面のような声を出す。
「そんなわけないとはわかっとるんですけど、それでもあれが……ええと、運、そう運って呼ばれとる、不可侵不可逆の大層な迷惑要素が、おれの行手を阻んでるようにしか思われへんようになってきて」
「大概責任転嫁やけどなそれも」
「うーーん」
「寒い返しすんなや」
げんなりしつつあしらうと、違いますって! と真剣な声で怒られる。理不尽さに榊はちょっとびっくりするが、プロなので堪えた。
「……まあ、ないとは言わんわ。運ってやつの話な」
溜め息をつきつつ、普段の仕事道具を机の中に片付ける。
「あるにはあるねん。せやけどなあ陸さん、お前のいう不可侵不可逆を見ようとしたらそれなりに覚悟がいるんやって。ちょっとは考えてみな。例えばこの先どんな幸運とどんな不幸が待ち受けてるか全部わかってもうたとしたら、人生なんてなんもおもろないやんけ。ただのノーマル確定ガチャ回しや。重課金してもせんでも結果は同じにしかならへんねん、それでもあれ、お前のいう運って呼ばれとるもんが知りたいんか?」
「知りたいです」
「即答やんけ」
榊は再び溜め息を吐く。机の奥をゴソゴソと探り、普段は絶対に使わない……しかし、本当は榊の愛用である道具を取り出した。
ごん、と音を立てて机に置く。上条の丸い目が、さらに丸くなって道具を注視する。榊は思わず笑う、笑いながらそれを軽く持ち上げる。
「ストゼロ信者くん、たまにはそれなりの酒飲まなあかんわ」
「え、」
「一杯飲め、話はそれからや」
榊は手に持った日本酒の蓋を開ける。おろおろしている上条の顎を掴み、上向かせ、開けろと低く命令する。大人しくぱかりと開いた口の中に、有無を言わさず透明な液体を一口分だけ流し込む。
「飲め」
上条はこくこくと頷き、飲み下してから濃い! とほとんど悲鳴のように叫んだ。酔いが増したらしく目つきが一層胡乱になったが、榊の知ったことではない。
自分も一口分だけ酒を飲んで座り直した。口直しのようにストロングゼロを煽る姿をちらりと見てから、机に両方の肘をつく。
「さあ、上条陸さん。俺は普段はタロット辺りを使てるんやけど、ほんまはこれが本分やねん」
「指示語で話さんといてください……」
「アルコールを飲むと世界が回って見えるやろう。なんやったら、光り輝いて映ったりもせえへんか? それはほんまにそうなってるんや。見えんもんが見えるのは幻ちゃう。普段見えてへんだけの、ほんまはその辺に転がっている不可視の何かや。わかるな? お前が見たがる、知りたがる、運って呼ばれとる何かもな……俺にはこうしておけば見えるんや」
榊の口上を上条は黙って聞いていた。目つきは怪しいが、しっかり耳には届いたらしく、見て下さい、とよろけた声色で懇願した。榊は笑顔で頷いた。若干回った酔いの中、目の前の二十二歳大学生(酒乱)の手をとって、掌の皺をじっと見た。
ぶっちゃけ適当に言った嘘だった。更に酔わせて混濁させて警察に突き出そうと、仕事終わりに愛飲している獺祭をストレートで飲ませただけだった。
榊は頭をふらふらさせ始めた上条に、当たり障りのない、一応手相に則った占い結果を伝えた。上条はうんうんと頷き、急に泣き出し、身の上についての愚痴を回っていない舌で漏らし続けた。
大学がうまくいかないだの彼女と続かないだの実家には頼れないだのと散々言ってから、ふと店の出入り口を見つめて最後の言葉を呟いた。
「運が見える……」
ごとりと音を立てて上条は机に突っ伏した。死んだように動かない姿を見下ろしてから、榊は出入り口へと視線を流した。そこには誰もいなかった。ただ、いつの間にか雨が降っていた。ノイズのような雨音に、上条の寝息が混じっていって、榊は思わず舌打ちをした。
煙草を引き出し、禁煙のプレートを横目にしながら火をつけた。俺の店舗やねん、と言い訳のように口にして、眠ったままの男を見下ろす。色素の薄い髪から覗いた表情は穏やかだ。空になったストゼロの缶は、眠っていようがしっかりと握り締められている。
吸い切った煙草を潰してから、上条を担ぎ上げた。酔っ払いはいつだってやけに重い。警察に突き出す気は、鬱陶しい雨とひとつの疑念が消していた。
上条の生命線はとても長かった。しかしそれを阻むべく、大きな斜線が出来ていた。バツを描くような、不穏な断絶をそこに見た。
勘違いならええけどな。榊の呟きは上条に届くこともなく、降り頻る雨が消していった。
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