鐚一文【時代劇台本・男性3名】

鐚一文(びたいちもん)


・・・・・・

青年(せいねん)


名を水戸弓馬(みときゅうば)という。

常州の武門の生まれ。剣で身を立てることを願う若者。

父の薦めで海野老人のもとを訪ねる。


金貸(かねかし)


名を賽の四五六(さいのしごろう)という。

高利貸しをしのぎにするやくざもの。

市の貧者と病人に金を貸し付けている。


老人(ろうじん)


名を海野七二郎(うんのしちじろう)という。

かつては会津一の剣豪と謳われた男。

町の外れの朽ちた小屋に隠居している。

・・・・・


(青年、老人の住まう小屋の戸を粗雑に叩く)


青年:御免。

海野七二郎(うんのしちじろう)どのはご在宅か。


(老人、戸は開けず、馬鹿にしたような声で答える)


老人:おりませぬ。


青年:家人(かじん)でも良い。戸を開けていただきたい。


老人:へえ。人違いではございませんでしょうか。


青年:間違いない。

海野どのにお渡しする書簡(しょかん)を預かってきたのだ。


(老人、諦めたようにして戸を開ける)


老人:はあ。どちら様で。


青年:それがし、常州の水戸弓馬(みときゅうば)と申す。

海野七二郎どのに、こちらの書簡をお渡しに参った。


老人:ええ、うんこくそじろうどのですってえ。

そいつはなんとも、ひでえお名前ですなあ。


青年:海野七二郎どのだ。

ご老体、海野どのの下人(しもびと)か。


老人:へえへえ。シモの方はお陰様で富士の山のようです。


青年:誰もシモの話などしておらん。

ご不在ならばこの書簡を海野どのにお渡し願いたい。


老人:はあ、どれどれ。


(老人、青年から書簡を受け取るとその場であらためる)


青年:おい勝手に封を切るな無礼者!


老人:喝ァッ!


(老人、一喝と同時に青年の水月に正拳を見舞う)


(青年、大きく咽せ込み、その場に膝をつく)


老人:無礼者は貴様じゃボケナス。

武人(ぶじん)の分際で相手の間合いに死に体(しにたい)で立ちよって。

殺されなかっただけありがたいと思えこの青二才。


青年:なんだと……貴様!某(それがし)を愚弄(ぐろう)するか!


(老人、膝をついた青年の鼻にさらに掌底を見舞う)


老人:一手貰ったら吠え面かく前にすぐさま後方に飛び退け。

それともお主、もっと殴ってくれと言うとるのか。


青年:貴様、覚悟しろ!斬って捨てる!


(青年、鼻血を垂らしながらようやく刀の握りに手を掛ける)


老人:後手の後手、さらに後手。遅いのよ。


(老人、青年が提げた刀の鞘に手をかけ、それを軸に青年を投げ倒す)


老人:これで三度、死んだ。


(老人、大の字に倒された青年を覗き込み、文を乱暴に投げ返す)


青年:海野七次郎どのとお見受けする。

どうか、某に剣を手ほどき願いたい。


老人:寝言は寝て言え。あっ、もう寝てたかの。


青年:何卒(なにとぞ)、お願い申し上げる。


老人:素性もわからぬ相手の前で正中(せいちゅう)を晒(さら)す呑気(のんき)。

少々揶揄(からか)われたくらいですぐ刀を抜く短気。

そうして亀のように倒され、天を仰いだまま剣の手ほどきを乞う能天気(のうてんき)。


何から何まで滅茶苦茶じゃこの莫迦者(ばかもの)。


青年:強くなりたいのです。どうか、某に剣を。


(老人、ため息を一つ、諦めたように手のひらを青年に向ける)


老人:さっさと出さんか。


青年:えっ。


老人:支度金じゃい。たんまり持ってきたんじゃろうな。


(青年、慌てて起き上がり懐から包みを取り出す)


(老人、不作法にその場であらためる)


老人:ほほお。切り餅とはまあ豪気だの。

果たして、この莫迦にそれほどの価値があるものかね。


青年:これで弟子入りをお認めいただけますか。


老人:まだじゃ。


(老人、切り餅を懐に捩じ込み、さらに手のひらを差し出す)


青年:えっ。


老人:路銀(ろぎん)も出せ。どうせたんまりもらっとろう。早く。


(青年、言われるがままに財布を老人に渡す)


青年:ではこれで、弟子入りを……。


(老人、財布も懐に捩じ込み、さらに手のひらを差し出す)


老人:腰に提げてる無用の長物(ちょうぶつ)もよこさんか。


青年:刀は武士の魂。それだけは。


老人:じゃあ教えん。剣は教えん。


青年:ぬう。


老人:つまらん短気を起こす魂なぞ、いっぺん手放してしまえ。


青年:ですが。


老人:抜き身は納めてこそ刀。

儂(わし)に預けてみよ。


(青年、奥歯を食いしばり、唸るようにしてしばらく。老人に刀を渡す)


老人:ようやく頭(こうべ)を下げたのう。この大莫迦者が。


儂は海野七次郎(うんのしちじろう)と申す。

その昔、やっとうを多少、遣(や)っていた。


青年:某(それがし)は……。


(老人、咳払いを一つ、青年の頭を強く叩く)


青年:……私は常州鹿島郡(じょうしゅうかしまぐん)は駒場村(こまばむら)の水戸家嫡男(みとけちゃくなん)水戸弓馬(みときゅうば)と申します。

海野先生、ご指導の程どうぞ宜しくお願い申し上げます。


老人:海野先生は止(よ)せ。尻の穴が痒くなる。

では弓馬よ。早速だが、そこに積んである薪(たきぎ)を割ってみせよ。


青年:は。薪(まき)割りですか。


老人:んむ。


青年:それが剣の修行なのですか。


老人:いいから、はようやれ。儂が一服し終わる前に済ませろ。朝風呂に入りたい。


(青年、錆浮いた手斧を拾い、老人に指示された通りに薪を割る)


(老人、煙管を吸い付けながら独白)


老人:太刀筋(たちすじ)はまあ可(よ)し。

だがやはり、脇がまあ甘いのう。


(青年、太く短い掛け声と共に薪を割り続ける)


老人:それが終わったら今度は風呂焚きじゃ。

急げよ、日が暮れてしまうぞ。


(ひと月あまりの時が流れる。しばらく間)


青年:師匠。


老人:なんじゃい。


青年:私がここへ来てひと月が経とうとしています。


老人:おお。もうそんなに経つか。早いもんだ。


青年:私はただの一度も剣を振っていません。木剣(ぼっけん)さえ、です。


老人:はて。そうだったかの。


青年:してきたことといえば薪割りに炊事、掃除、洗濯、買い出し。

私はここに飯炊(めしたき)に来たのではございません。


老人:そりゃそうじゃ。飯炊を頼むなら尻の張った後家(ごけ)にする。


青年:稽古をつけていただきたい!


老人:喝ッ!


(老人、鋭い発声と共に青年の水月へ拳を打ち込む)


(青年、老人の拳を払い退け、すぐさま後方に飛び退き身構える)


老人:ほれ、ひと月前よりも進歩しておる。


青年:私を試すおつもりでございますか。


老人:薪(まき)割りをさせ続けたのは、お主に脇を緩める癖があったからじゃ。


青年:どういうことです。


老人:脇が甘い剣士はどれだけやっても物にならん。

この極意は、いくら口で教えたところでなかなか身に付かんが、

切れ味の悪い手斧で素早く薪(たきぎ)を割り続ければ、脇を絞めて獲物(えもの)の重さを遣う癖がつく。


青年:そんな理由が。


老人:それと、お主は咄嗟(とっさ)の場面で息を止める悪癖(あくへき)がある。

それでは薄皮一枚で仕損(しそん)じる。

手っ取り早いのは、一心不乱に火吹き竹を咥(くわ)えて風呂を焚くことよ。


(青年、その場に膝をつき、深く頭を下げる)


青年:御見逸(おみそ)れいたしました。


老人:脇が締まり、呼吸が深まれば不意の水月(すいげつ)打ちも自(おの)ずと捌(さば)けるようになる。


では次の稽古じゃ。山に入れ。


青年:山籠もりですか。


老人:飯の支度じゃ。川魚(かわうお)と野鳥を獲(と)って参れ。


青年:それも剣の修行なのですね。

して、道具は。


老人:お主には対の手足がある。川魚は掬い上げてみせよ。

山中には無数に石がある。野鳥は撃ち落としてみせよ。


青年:承知いたしました。では御免!


(青年、急ぎ足で山へと向かう)


老人:莫迦は莫迦でもありゃ莫迦正直じゃ。


(老人、含み笑いを浮かべてゆったりと煙管を一服)


老人:強さを追い求めればどこかで驕(おご)りが顔を出す。

驕りは濁(にご)りを連れてくる。濁った川は見誤る。

さて弓馬よ、上手くやれるかの。


(場面転換、山中。青年、息を切らして立ち尽くす)


青年:近づくどころか足を動かしただけで魚は逃げる。

投げても投げても石は鳥にかすりもせん。


この有様では日が暮れてしまうぞ。


(途方に暮れる弓馬に、後ろから声がかけられる)


金貸:おや、こんな人寂しい山奥でどうなされました。


(青年、振り返り自嘲気味に笑う)


青年:野鳥と川魚を獲りに。


金貸:なるほど。難儀(なんぎ)されておられるようで。


青年:魚とりなど子供の頃にやったきりだ。

鷹狩には父の供連(ともづ)れで出向いたことはあるが、投石で野鳥を撃つなど、果たして。


金貸:鳥や魚を捕まえてどうするってェんです。


青年:夕餉(ゆうげ)にするのだ。


金貸:ふむ。早々に山を降り町に出て、煮売(にうり)を買えばよろしいではありませんか。


青年:生憎(あいにく)と持ち合わせがない。


(金貸、嬉しそうに小さく笑い、懐から銭を取り出し、青年に握らせる)


金貸:ここでお会いしたのも何かの縁です。どうぞお受け取りください。


(青年、眉を顰め、握らされた銭を拳ごと押し返す)


青年:そこもとに施(ほどこ)しを受ける謂(いわ)れはない。


金貸:そう言わず、お納めください。


青年:要らぬ。返す。


金貸:善(よ)いことがあったのですよ。祝儀(しゅうぎ)だと思って、ここはひとつ。


青年:要らぬと申しておる!


金貸:然様(さよう)でございますか。

では、魚の餌にでもいたしましょうかね。


(金貸、青年から返された銭を小川に投げ捨てる)


青年:何も川に放(ほう)ることはなかろう。


金貸:己(お)れァ仕事柄、けちが付いちまった金は鐚一文(びたいちもん)たりとも懐(ふところ)にゃ仕舞えねえんですよ。


青年:商売人の験(げん)担きか。


金貸:まあ、そんなもんです。

それにしても旦那もまあ、頑固な御人(おひと)だ。

祝儀くらい御笑納(ごしょうのう)くだせえ。へへ。


青年:済まんな。して、何の祝いだ。


金貸:ええ。

借りた金を返さないろくでなしを痛めつけてきたのですよ。


青年:金の取り立てか。


金貸:借りた金で酒を買い、飲むだけ飲んで仕事の一つもしねえろくでなしだ。

取り立てても取り立てても、剥げるのは爪と垢(あか)くらいなもんです。


だからね、剥いでやったんですよ。


青年:どういうことだ。


金貸:そっくりそのままですよ。

金を返さない、返そうともしない野郎の生爪を全部剥いでやったんです。


(金貸、返り血のついた袖を青年に嬉しそうに見せつける)


青年:惨(むご)い真似をする。

借主を痛めつけたところで貸した金が返ってくるでもなかろう。


金貸:そんなこたァ百も承知でございますよ。

向こうが返さないというなら、こっちが取り返すまでです。


青年:これだけの仕打ちをするのだ。さぞ、貸し付けたのだろうな。


金貸:二分(にぶ)ほどですよ。


青年:たかだか二分金(にぶきん)のために、爪を剥いだというのか。


金貸:金額の多寡(たか)じゃねえんだ。わかるでしょう、旦那。

己(お)れにとっちゃあ、金は命なんだ。

金という命を貸してるんだ。返済は、鐚一文(びたいちもん)たりとて、まからねえよ。


青年:さすがに度が過ぎるのではないか。


金貸:そう思うンなら、旦那が介抱(かいほう)してやったらどうです。

野郎はこの奥の茂みでそれこそ芋虫のようにしてますよ。


青年:御免。


金貸:己れァ金貸、賽の四五六(さいのしごろう)ってもんです。

どうぞ、ご贔屓に。


(青年、答えずに金貸の来し方へ小走りに向かう)


(しばしの間、場面転換。老人の住まいにて)


老人:儂は確か、川魚(かわうお)か野鳥を獲って参れと伝えたはずだが。


青年:魚も鳥も獲れませんでした。


老人:見ればわかるわ。

それで、お主が背負ってるその死に損ないは。


青年:素性は存じません。


老人:行き倒れ、と見るにはどうも物騒な形(なり)だの。


青年:山中で、借金のかたに叩きのめされ、生爪を剥がされておりました。


老人:そいつは剣呑(けんのん)。


青年:この者の手当てをしてやりたいのですが、町に医者はおりますか。


老人:この手合いの傷なら儂が看(み)れる。

辻の薬種屋(やくしゅや)に出向き、軟膏(なんこう)と気付(きつけ)を貰ってこい。

海野(うんの)の名を出せば話が早かろう。


青年:御意。


(青年、弾かれたように町へと駆けていく)


(金貸、貧乏徳利を小気味よく揺らし、千鳥足で往来を揺蕩う)


金貸:おお、おお!これは先ほどの。

日に二度も遭うとは奇遇でございますな。

いかにも押っ取り刀という体(てい)ですが、いかがなされた。


(青年、息を切らし、歩速を緩める)


青年:貴様が打ちのめした男の、介抱の道すがらだ。退(の)け。


(金貸、含んでいた酒を勢いよく噴き出し、咽せて高笑う)


金貸:まさか。まさか本当にお助けになったので。

いや参った、こりゃあとんだお人好しだ。

己れはてっきり、奴から身包みを剥ぎに行ったものだとばかり。


青年:悪銭(あくせん)欲しさに雪上(せつじょう)に霜(しも)を加(くわ)う者があるか。


金貸:これで旦那に一つ貸しができちまいましたね。

どうか一席、この賽の四五六(さいのしごろう)に一席設けさせてくだせえ。


青年:要らぬ。退け。


金貸:それなら綺麗な女(の)も横に付けますから。


青年:この薬を持って帰らねばならぬ。退け。


金貸:代わりに若え衆(し)を使いに遣りますから。


青年:諄(くど)い。

手前が打ち遣った相手の始末を二度も放り投げるな。


金貸:あんなものはね、踏み消す雑作(ぞうさ)もねえ糞火種(くそひだね)だって言ってるんですよ。


そんなことより、やっぱり旦那と己れは似ているよ。思った通りだ。

これは否が応でも一献(いっこん)付き合ってもらわねえと、いよいよ気が済まなくなっちまった。


青年:某と貴様が似ている。そう抜かすか。


金貸:正しいと信じたものなら、押し通すに迷いなどなし。

無理も道理も通らねえってんなら、スパッとやって、こじ開ける。


(金貸、肌蹴た着流しに呑ませた匕首を覗かせる)


旦那は段平(だんびら)こそぶらさげてねえが、きっと士(さむれぇ)でしょう。


(青年、張り詰めた殺気を一笑のうちに緩め、自重気味に乾いて笑う)


青年:生憎(あいにく)と質種(しちぐさ)に入れてある。


金貸:それなら今夜にでも質受(しちう)けに。

五両でも十両でも構いませんぜ。


さあ。


青年:一度手放してみるのも、よい薬だぞ。


(青年、一人呟き、これ以上は無用と走り去り家路を急ぐ)


老人:戻ったか。


青年:遅くなりました。


老人:今しがた、ようやく眠ったわ。

随分な仕打ちであったな。両の指を全て潰されておった。

あれでは当分、仕事はおろか暮らしもままならん。


確か、借金のかたに叩きのめされた、と言っていたな。

こやつが自らそう言ったのか。


青年:いえ。

金貸しを名乗るサイのシゴロウという細面(ほそおもて)の男が、そのように。


老人:賽の四五六、か。


青年:ご存じですか。


老人:この辺りで目下(もっか)売り出し中の高利貸しよ。


青年:奇しくも薬種屋(やくしゅや)の鼻先(はなさき)でまた遭いまして、悪びれるでもなく酒を浴びるように飲んでおりました。


老人:その苛烈さから、閻魔(えんま)も怯む取立てなどと呼ばれておる。


青年:道理で。


老人:かくいう儂(わし)も客でな。


青年:……何と。


老人:彼奴(あやつ)からかなりの金を借りている。物入りでの。


青年:過日(かじつ)お渡しした支度金ではその借金は支払えませんか。


老人:あんなもん、とうに使うてしまったわ。


青年:はあ!今、何と仰いました。


老人:綺麗さっぱり無くなって、懐が軽いのなんの。


青年:路銀を合わせたら、三十両近くはあったはずでは。


老人:全部突っ込んでしまったわ。


青年:……何にです。


老人:男が突っ込むものと言ったら一つしかなかろう。


青年:博奕(ばくち)ですか。


老人:はて、どうじゃったろうか。


青年:悪所通(あくしょがよ)いですか。


老人:さて、そんな気もするのう。


青年:師匠、私は……。


老人:まあ待て、待て。

いずれお主にもわかる時が来るから。

そんな目で見るな。のう。


青年:ですが!


(老人、遮るように、湿った咳を三つ)


老人:一息ついたら手当てを行う。とくと見よ。

生殺与奪(せいさつよだつ)は表裏一体、奪い方を覚えたのならば、与え方の一つくらいは覚えておけ。


(老人、湿った咳を七つ。咳は徐々に強く苦しく、咳を持って場面転換と成す)


金貸:海野さん。海野七次郎さん。

金貸、賽の四五六でございます。


老人:おお。今な、妻が、幼妻が産気づいて大変なんじゃ。後にしてくれんか。


金貸:なンだい、居るじゃねえか。邪魔するよ。


(金貸、乱雑に戸を鳴らし、下駄も脱がずに土間へ上がり込む)


へえ。噂通り、たいそうなやつれっぷりじゃあございませんか。


老人:老いた姿を見られたくなかったんじゃ。

酔狂(すいきょう)を気取る割には、洒落のわからぬ男だよ。


金貸:急で悪いンだが、貸した金、今日中に用立てて頂く。


老人:はて。利子さえ払えば、返済は翌年(あくるとし)まで延ばす約定(やくじょう)ではなかったか。


金貸:悪いが事情が変わってねえ。

あんた、肺臓(はいぞう)を病んでもう長くねえんだろ。


老人:はて。この通り、いたいけな稚児(ちご)の如き肌つやをしておる。


金貸:勝手に死なれて貸し倒れってのは、百歩譲ってまあ、可(い)い。


己れが気に食わねえのはね、あんたの金の使い方だよ。


客の取れなくなった女郎(じょろう)や仕事のなくなった片端(かたわ)もんに

何かにつけて気前よく恵んでやってるそうじゃねえかい。


ええ、それも、人様から借りた金でだよ。


老人:はて。どこのどなたか存ぜぬな。

だがそんなお大尽(だいじん)がいるとは、この世も捨てたものではないではないか。


(老人、小さく咳き込みながら、それでも煙管に莨を詰めて火を移す)


金貸:しらばっくれンじゃねえよ。


金の取りっぱぐれは己れの不始末だから構わねえ。

だが、己れの命を使って徳を積もうとしてる手前には、どうにもこの、腹の虫が収まらねえのよ。


老人:ない袖は振れん。


金貸:だったら取り立てるまでよ。


(金貸、老人から煙管を奪い取り、一口強く吸い付けて、羅宇を二つに握り折る)


金貸:子の三つ(ねのみっつ)に、取りに来る。


(金貸、退場。老人、咳を三つ、代わりに青年が家内へ)


青年:師匠。


老人:うん。今日は獲れたか。


青年:はい。川魚(かわうお)も、野鳥も。


老人:ついにか。でかした。めでたいぞ。


青年:師匠。


老人:わかっておる。聞いておったのだな。


青年:はい。


老人:あれのいう通りじゃ。


青年:では、私の支度金も。


老人:病めるもの貧しいものを食わすにはいくらあっても足りんよ。


青年:なぜ師匠はそのような施しをなされた。


老人:儂は若い頃、強くなるためにうんと人を斬った。

躊躇うことも迷うこともなく、斬って捨てた。


だがある日、そこに疑問が生まれた。


天に続くものとばかり信じていた登り坂が、奈落へ続く下り坂に変わって見えたとき、儂の周りにはもう、斃(たお)すべき敵は、いなくなってしまった。


(老人、咳を立て続けに、呼吸を乱し倒れ込む)


青年:師匠、もう、もう結構です。どうぞ休まれてくだされ!


老人:弓馬。お主の刀はいつもの酒屋の蔵に預けてある。

親父に、この書付(かきつけ)を渡せ。

そして刀と、伝書(でんしょ)を受け取り、そのまま町を去れ。


青年:伝書……師匠、一体何を。私はまだ何も。


老人:生涯、人は斬るな。斬れば、もう、わかるであろう。


青年:そんなことができようものか。夜更けにはあの男が取り立てにくるのです。


老人:何、掛け取りが来るだけよ。

子の三つ(ねのみっつ)までにくたばれば、儂の逃げ勝ちじゃ。


(老人、大きくあくびを一つ)


老人:少し寝る。


最後の稽古じゃ。


夕餉の用意をしておけ。


(長い間の後、深夜、月もなく外は弱い雨)


(傘もなく、ただ立ち尽くす青年のもとに、強盗提灯を提げた金貸たちの一行が現れる)


金貸:これは旦那、お出迎えいただきありがとうございます。良い晩ですねえ。

こうなることはわかってましたから、腕の立つ若いのを二、三、連れてきましたよ。


それでね、旦那。

己れの邪魔立てをするってンなら、己れァ旦那でも許さねえよ。


道開けてくれよ。わかるだろ、旦那なら。


青年:海野七次郎どのは先ほど床(とこ)につかれた。

お引き取り願う。


(金貸、心底嬉しそうに手を叩いて笑う)


金貸:そうかい、死んだのかい、あのジジイは。

人の褌(ふんどし)で仏心(ぶっしん)出しやがってよ。

それでいて手前が逝(い)くときはこのザマだよ。

あの世にもきっと、他人の念仏で行くんだろうねえ。ええ。


青年:海野七次郎どのは先ほど床(とこ)につかれた。

お引き取り願う。


金貸:断る。

己れの取り立てが終わってねえんだ。

閻魔様がジジイをあの世に連れてっても、己れの取り立ては終わってねえ。

まからねえ、鐚一文(びたいちもん)まからねえぞ。

金がねえなら命で取り立ててやるよ!


青年:海野七次郎どのは先ほど床(とこ)につかれた。

お引き取り願う。


金貸:あのジジイの死体から首掻っ切って、泥棒野郎の入れ墨掘って、腐れて骨になるまで晒してやらなきゃ己れの気が済まねえんだよ!


青年:四五六(しごろう)。


金貸:……なんだい。


青年:そこもとと某(それがし)は似てると言ったな。


金貸:言ったねえ。


青年:その通りであった。

慧眼、実に見事であった。


(青年、愛刀を抜き、助走もなく低く駆け、一息のうちに一行を切り伏せる)


金貸:……だろう。旦那と、己れは、似てるんだよ。


(金貸、喘ぐような呻き声をこれより徐々に漏らしていく)


青年:故に、まからぬ。


金貸:そうだ、鐚一文(びたいちもん)たりとて、まからねえんだ。


なあ旦那、頼むよ、己れの首を刎(は)ねて、目抜き通りのど真ん中に、転がしておいてくれよ。


青年:骸(むくろ)は山奥に埋める。


金貨:お願いだ。キャンキャンと吠えた負け犬の生首は、世間様の目に晒されなくちゃなんねえよ。


青年:断る。


金貨:ええ、そうかい。そうですかい。

旦那もまあ、頑固なお人だ。

無理を斬って、道理を斬って、これから一体、何を押し通すっていうんで。


青年:無理も道理も、師の教えまでも斬ったのだ。

某に残るは、もはや剣のみ。


金貸:へえ。そうですかい。

己れは、三途の川向こうで拝んでいますよ。


(金貸、引き笑いを一つ。直ちに絶命の一声をもって舞台は幕)

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