御陰鞘【時代劇台本・男性3名】
御陰鞘(おかげざや)
30分程度 男性三人 時代劇
不孝助(ふこうのすけ)男性
山中に行き倒れていた男。
竹市から弁当を貰ったことを機に、騒動に巻き込まれる。
賊頭(ぞくがしら)男性
村から食料と金品を召し上げる山賊たちを束ねる男。
不孝助の剣才を見抜き、死合いを申し入れる。
竹市(たけいち)男性
朴訥で気の優しい村の青年。
行き倒れた不孝助に弁当を分け与える。
・・・・・・
竹市:もし。もし。
生きてるか、もし。
あんた、村の人かいね。しっかりしろ。
(不孝助、上体を起こしあたりを見回して、大きく伸びてあくび一つ)
不孝助:どこのどなたか存じませんが、ご心配をおかけいたしました。
どうやら寝てしまったようです。
竹市:寝てしまったって、こんな山道でか。
豪胆(ごうたん)なのか、呑気(のんき)なのか。
不孝助:いやあ、お恥ずかしい。
竹市:それにしてもあんた顔色が悪いよ。大丈夫ですかい。
不孝助:ここのところ飲まず食わずでして。
重ねて、ご心配をおかけいたします。
ですが体はどこも悪くございませんので、大丈夫でございます。
竹市:そうだったのか。
じゃあこれ、食いなさいよ。俺の弁当だ。
雑穀を捏ねた団子だけど、味はさておき腹の足しになりますよ。
不孝助:いやいや、そんな滅相もない。
ひとさまの弁当を頂くなど。
竹市:いいからいいから、ほら。
こんなところで行き倒れられちゃあ、俺たちも寝覚(ねざめ)が悪いんですよ。
不孝助:いただいて宜しいのですか。
竹市:いいって。食べてください。ここに水筒(すいとう)もあります。
不孝助:かたじけない。
ありがたく頂戴いたしまする。
竹市:そんな大袈裟(おおげさ)な。もう頭を上げてくださいよ、ね。
ほら食べて。また倒れちまったら難儀(なんぎ)ですよ。
不孝助:かたじけない、かたじけない。
(不孝助、竹市と竹市の弁当に両手を合わせ何度も深々と頭を下げる)
竹市:味の方はさておき、食べ応えはあるでしょう。
不孝助:実に美味(おい)しゅうございます。
竹市:ならよかった。
ところで、あんたなんでこんなところで寝てたんです。
話しぶりからして、どうも村の人ではないようですけど。
不孝助:墓参りに向かう途中でした。
竹市:墓参り。
はて、このあたりに墓地などあったかしら。
不孝助:この先の、見晴らしです。
竹市:見晴らし。そうですかい。
にしても、なぜ飲まず食わずなんです。
墓参りの道中で行き倒れるだなんて聞いたことがないですよ。
不孝助:ただ、惚(ぼう)としておりました。
行くべきか、行かざるべきか、ずっと悩んでおりました。
竹市:墓参りに、ですかい。
不孝助:はい。
気がついたら足はこの山に向かい、いつの間にか倒れておりました。
竹市:はあ。
あんたもまあ、色々あるんでしょうね。
不孝助:はい。
竹市:俺もこのまま見晴らしまで上がるから、一緒に行きましょうよ。
不孝助:これ以上ご迷惑をおかけするわけには。
竹市:いいっていいって。
この辺は、日暮れになると山賊が出るんだ。
村の人間と一緒に行動してた方が安全ですよ。
不孝助:そうですか。
では、お供させていただきます。
竹市:そんなにへりくだられるとこっちが息苦しいよ。
あんたの方が目上みたいだし、もっと気楽にしてください。
俺はタケイチ。麓(ふもと)の村の百姓(ひゃくしょう)です。
ええと、あんた名前は。
不孝助:……フコウノスケと申します。
竹市:フコウノスケ……。なんか、独特だね。
不孝助:はい。親不孝のフコウと書きます。
竹市:本当の名前ではないんでしょう。
不孝助:お察し頂ければ。
竹市:わかりました。これ以上は、聞きませんよ。
不孝助:かたじけのうございます。
竹市:うん。
さあ着いたよ。見晴らしだ。
不孝助:ここは、いつ来ても壮観ですな。
竹市:俺は一服するけれど、フコウノスケさんはどうします。
(不孝助、懐から懐紙に包んだ押し花を取り出す)
不孝助:この花を供(そな)えます。
竹市:菊の花。
お好きだったんですか。
不孝助:さて。どうでしょうか。
(不孝助、押し花を断崖の向こうにそっと投げ、両手を合わせ頭を垂れる)
竹市:俺も手を合わせていいですか。
不孝助:ありがとうございます。彼女も喜ぶと思います。
(賊頭、断崖に向かって並ぶ二人の背中に声をかける)
賊頭:男二人で身投げでもするつもりか。
(二人、振り返る)
竹市:あ、あんたは。
賊頭:竹市、山狩りはどうした。
召(め)し上げは明日だぞ。のんびりと景色を見ている暇などあるのか。
不孝助:竹市どの、この御仁(ごじん)はお知り合いですか。
竹市:こいつがさっき言った山賊の、親玉だ。
月に二度、俺たちから食い物と金を巻き上げにくるんだ。
不孝助:ほう、こちらが件(くだん)の。
賊頭:そこもとは。
不孝助:ただの行き倒れにございます。
こちらの竹市どのに、命を救っていただきました。
賊頭:ほう。竹市、人助けとは見上げたものだ。
竹市:……へい。
賊頭:随分と懐に余裕があるようだな。
なら、明日の召し上げはいつもの倍にしよう。
竹市:そんなご無体(むたい)な!
いつもの倍もお納めしたら村が餓(かつ)えてしまいます!
賊頭:どこの馬の骨とも知らぬ行き倒れに恵んでやる余裕があるのだろう。
竹市:それは!
不孝助:旦那、ここは私の有金(ありがね)で納めていただけませんでしょうか。
賊頭:物分かりがいいじゃないか。
竹市:フコウノスケさん。
不孝助:命まで救っていただいて、これ以上ご迷惑をおかけするわけにはいきません。
わずかばかりですが、これに。
(不孝助、路銀の入った財布を賊頭に差し出す)
賊頭:ふん。
(賊頭、財布をあらため、中身を抜き、その場に投げ捨てる)
賊頭:三途の川の渡し賃にもならん。
そんなことより興(きょう)をそそるのは、そこもとの手よ。
不孝助:この手が、何か。
賊頭:見事な竹刀胼胝(しないだこ)だ。
何度も膨れては潰れ、骨のようだ。
剣術を、随分と遣(や)るのだな。
不孝助:生まれてこの方、鍬(くわ)と鋤(すき)しか振ったことがございませぬ。
賊頭:刀を佩(は)いた賊を前に堂々とシラを切れる百姓などいるものか。
その腹の膨らみ、その脚の不揃い、剣の道を歩んだものに間違いない。
不孝助:勘違いにございまする。
私は、小作人の倅(せがれ)です。剣など、夢にも。
竹市:(突如として刀の先を向けられ、小さく悲鳴をあげる)
賊頭:これ以上言い逃れるつもりなら、こいつの首を刎(は)ねる。
不孝助:……お戯(たわむ)れを。
賊頭:本気だ。元よりこやつらの生き死には某(それがし)の手中にある。
(不孝助、徐に脇を締め、重心を落とし前方に一歩進む)
不孝助:そればかりは、思い違いでは。
(暫しの間、不孝助と賊頭息を殺して見合う)
賊頭:……そうか。そこもとも一刀流の流れか。
不孝助:存じませぬ。
賊頭:無影一刀流無手位柄杓返し。
(むえいいっとうりゅうむてのくらいひしゃくがえし)
肘から手甲(てこう)を使い、相手の刀を絡め奪うという無手の奥伝(むてのおくづたえ)。
なるほど、迂闊に飛び込めば形勢がひっくり返るな。
(不孝助、息を呑む)
賊頭:その顔は、図星と見た。
こんな山奥でそこもとのような剣客(けんかく)に遭(あ)えるとは、解(げ)せぬものよ。
不孝助:竹市どの、早くこちらへ。
(竹市、後退りして不孝助の後ろに逃げ込む)
賊頭:名を何という。
不孝助:名乗るほどのものではございません。
賊頭:某(それがし)は常州(じょうしゅう)の水戸弓馬(みときゅうば)と申す。
名を聞かせてくれ。
不孝助:親不孝の不孝と書いて、フコウノスケと申します。
賊頭:なんと巫山戯(ふざけ)た名だ。
だが、それに至った理由(わけ)もあるのだろう。
フコウノスケとやら、某と死合(しあ)え。
不孝助:お戯れを。
賊頭:武門に生まれ、身に余る強き名をつけられ、何もかもを捨て精進してきた。
だがついぞ、剣で身を立てることは叶わなかった。
卑しくも賊の頭(かしら)に身をやつした今、
願いは強きものと死合うことばかり。
剣の道を歩んだそこもとなら、分かるであろう。
不孝助:わかりかねます。
立ち会いは、お断りいたします。
賊頭:死合わぬのならば、村を焼き払い、村人は切って捨てる。
竹市:そんな!お許しください!
賊頭:脅しと思うなら、今から手付けに幾つか首をとってこよう。
不孝助:弓馬(きゅうば)どの。
ここは刀をお納めください。
賊頭:死合う気になったか。
不孝助:真平御免(まっぴらごめん)ですが、死合わねば
竹市どのの村に累(るい)が及びます。
賊頭:然様(さよう)。
竹市:フコウノスケさん、すまねえ。
俺たちの村の問題に巻き込んじまって。
不孝助:いえ、竹市どのには一飯(いっぱん)の恩義があります。
私の剣がお役に立つのならば。
賊頭:では決まりだな。
して、獲物(えもの)はどうする。
数打ち(かずうち)でよければ貸してやるぞ。
不孝助:木剣(ぼっけん)を一振り所望(しょもう)します。
賊頭:それで良いのか。
不孝助:はい。
竹市:フコウノスケさん、そりゃ無茶です。
こいつの剣の腕は生半可(なまはんか)じゃない。
木剣なんかで臨んだら、真っ二つだ。
不孝助:真剣を振ったことは、数えるくらいでございます。
竹市:そんな。それじゃむざむざ死にに行くようなものじゃないかよ。
賊頭:熟練者の木剣は人間の骨など容易く砕くが
未熟者の真剣は獣肉(ししにく)を切る包丁にも劣る。
そこもとが歩んだ足跡(そくせき)を垣間見れること、楽しみにしている。
明日正午、この場所で死合おう。
それから竹市。
今夜は貴様の家に泊まらせて見張っておくといい。
万が一、気でも変わったら、村が悲惨なことになる。
(賊頭、見晴らしを去り山中に消える)
竹市:ああ。大変なことになっちまった。
フコウノスケさん、面倒をかけて本当に申し訳ない。
何なら、今すぐにでも逃げてくれて構いませんよ。
不孝助:いえ。それでは村に累が及びます。
竹市:あいつだって俺たちを殺したら飯の食い上げになることはわかってるだろう。
頭を下げて這いつくばれば、命ぐらいは。
不孝助:あの男は、やりかねません。
もはやあの目は人のものではない。
竹市:だがそれじゃあ、あんたを死ににいかせるようなものだ。
不孝助:良いのです。
親に、師に、不孝を働いた私に、もしまだお役目があるのだとしたら、これほど有難いことはない。
竹市:……もう日が落ちる。
どうするにせよ、一旦俺の家に行きましょう。
(場面転換:竹市の家)
竹市:雉肉(きじにく)の塩漬けと柿の和物(あえもの)です。
粗末な酒と菜(な)ばかりですが、召し上がってください。
不孝助:どうぞお気遣いなく。
賊どもの召し上げで、台所は大変でしょう。
竹市:ええ。村中が、干上がってますよ。
不孝助:ならば尚更、いただくわけにはいきませぬ。
竹市:せめて、せめてこれぐらいはさせていただけませんか。
俺が余計なことをしてしまったばっかりに、フコウノスケさんをこんな目に遭わせてしまった。
不孝助:私は、地獄で仏に遭った気分でございました。
竹市:えっ。
不孝助:この山に入り、墓参りを済ませたら、そのまま自然に任せて死ぬつもりでした。
私はどうにも、道が見えなくなってしまったのです。
自分が生きていることが、許されざることのように思えてならなかったのです。
ですが、あなたの善意が腹に入ると、そんな心の暗がりもどこかに去ってしまった。
命を助けていただき、ありがとうごぜえます。
(不孝助、深々と土下座し、竹市に礼を伝える)
竹市:フコウノスケさん。
もう頭を上げてください。
不孝助:一つ、昔話をさせてくださいませんか。
竹市:……ええ。
不孝助:私は、とある片田舎の小作人の三男坊でした。
母は早世(そうせい)し、父は肺を病み、二人の兄は出稼ぎに行ったきりでした。
暮らしは貧しく、働けど働けど一向に楽になリませんでした。
竹市:ご苦労をなされたんですね。
不孝助:はい。私の支えは、剣だけでした。
村の剣術道場にそれこそ朝から夜中まで入り浸りました。
学も金もありませんでしたが、剣だけはあった。
私はそれで十分に幸せでした。
竹市:善きことではありませんか。
畜生とは違う。人が生きていくには、楽しみがいる。
不孝助:はい。
ですが、この身に余る幸せが、周りの人たちを変えてしまったのかもしれません。
私は今でも思うのです。
もし私が剣を握らなければ、父も師もまだ、生きていたのではないかと。
竹市:フコウノスケさんは剣をとったことを後悔していますか。
不孝助:いいえ。微塵(みじん)も。
竹市:ふふ、ははは。いや、実にこれは快(こころよ)い。
ならばいくら何を思ったところで、どうもならぬではありませんか。
(不孝助、つられて乾いた笑いを浮かべる)
竹市:フコウノスケさんが正しいと思うならば、それが善いのでしょう。
貧しくとも、正しいと思えるように生きろと、死んだ父がよく申しておりました。
不孝助:ならば私もそう致しましょう。
竹市:さあ、ご一献(いっこん)。
(竹市、不孝助の茶碗にどぶろくを注ぐ)
不孝助:かたじけない。
竹市:酒と呼ぶには気恥ずかしいどぶろくです。
不孝助:酒の味は分かりませぬが、お気持ちが有難い。
竹市:フコウノスケさん。
不孝助:はい。
竹市:逃げるなら今です。
不孝助:逃げませぬ。
竹市:あの男は強い。これまで、村の若い男衆(おとこしゅう)が束になってかかったが、傷ひとつつけられなかった。勝ち目などありますか。
不孝助:分かりませぬ。
竹市:それでも、挑まれるのですか。
不孝助:あの男は剣に振られています。
それだけならまだしも、さらに、死地(しち)を求めています。
竹市:死地を。
不孝助:はい。
死に場所を求めた剣客(けんかく)は危険です。
およそ、見境(みさかい)というものをなくします。
あの男に引導(いんどう)を渡すのが、私に与えられた役目なのだと思います。
竹市:役目ですか。
あなたは、何のために戦うのです。
(不孝助、盃を干し、小さく嘆息する)
不孝助:一縷の燈明(いちるのとうみょう)を探せ。
竹市:今何か。
不孝助:いいえ。独り言です。さあ、ご返杯を。
(長い間の後、竹市規則的な寝息を立てる)
(不孝助、独白)
不孝助:暗夜剣は無明(むみょう)の剣。
敵を必殺し、己の矜持(きょうじ)もまた、殺す。
(場面転換、見晴らし。よく晴れた日の正午)
賊頭:来たか。
不孝助:遅くなりました。
賊頭:お前は。
竹市:立会人です。
賊頭:無用。どちらかの骸(むくろ)がひとつ転がるだけだ。
不孝助:死合えと仰ったのは弓馬どのではありませぬか。
死合いに立会人はつきもの。死人に口なし、ですからね。
賊頭:なら好きにしろ。
受け取れ、獲物だ。黒檀(こくたん)だ。これ以上はないぞ。
(賊頭、不孝助に一振りの木剣を放り投げる)
不孝助:かたじけない。
賊頭:始めよう。
孤月一刀流(こげついっとうりゅう)
水戸弓馬(みときゅうば)と申す。
不孝助:……私は。
賊頭:某(それがし)か、そこもとが、今日ここで死ぬのだ。
流派と名くらい、報(しら)せてもいいではないか。
不孝助:無影一刀流、門下(むえいいっとうりゅう、もんか)
耕三(こうぞう)と申します。
賊頭:相手にとって不足なし。存分に斬り合おうぞ、コウゾウ。
(賊頭、言うか早いか素早く踏み込み、嬌声と共に上段から燕尾に切り落とす)
竹市:フコウノスケさん!
(不孝助、咄嗟に太刀筋を切り払い、そのまま後方に飛び退く)
不孝助:なるほど疾(はや)い。御見事にござる。
賊頭:抜かせ。こちとら一太刀で頭をかち割るつもりでおったわ。
不孝助:一度だけお尋ねする。この村から手を引くつもりは。
賊頭:コウゾウ、死合いに集中しろ。後のことは勝った者が考えればいい。
(不孝助、深く息を吸い込み、袈裟斬りを放つ)
賊頭:道場剣術は型(かた)通りには滅法強い。
だが、型破りには調子を乱される。
(賊頭、懐から石礫を取り出し、手裏剣のように投げつける)
竹市:飛び道具とは卑怯な!
賊頭:死合いだ。卑怯もまた戦法だ。
勝ち残り、生き延びたものだけが、正しい。
竹市:フコウノスケさん!しっかりしろ!
不孝助:大丈夫、額(ひたい)が割れただけです。
賊頭:そうだ。額が割れただけだ。死には至らぬ。
さあ、斬り合いを始めよう。
(賊頭、脇を締め、手首を返し、連続して剣を振るう)
不孝助:強い。険しき剣の道を歩み続けた御仁が、なぜこうまで死地を求めるのか。
賊頭:某は強さを欲した。ただ誰よりも強くありたいと願った。
しかし、強いだけでは叶わなかった。切れるだけでは至らなかった。
燻(くすぶ)り続けた魂はどこに征(ゆ)けば良い。
コウゾウ、そこもとならわかるか。
不孝助:分かりかねます。
賊頭:ならば剣を振り、身を欠くに値する意味を探すまでよ。
(不孝助、賊頭の縦斬りを斜に受け、切り返して袈裟に鎖骨を叩く)
賊頭:(苦悶の声を押し殺す)
不孝助:肩骨(かたぼね)を砕きました。その腕では剣を握れませぬ。
賊頭:まだ、逆の腕がある。
竹市:いけねえ、避(よ)けろ!
(賊頭、即座に刀を持ち替え、飛び込むようにして真一文字に薙ぎ払う)
賊頭:薄皮一枚か、腑(はらわた)まで至ったか。手応えはわからぬが、確かに切った。
竹市:フコウノスケさん、フコウノスケさんッ!
これ以上はダメだ、血を止めないと。あんた死んじまうよ。
不孝助:大丈夫です。
竹市:だが!
不孝助:手出し無用の事。
賊頭:なぜ当たった、という顔をしているな。
筋読み(すじよみ)は確かであった。
紙一重で剣先をかわした。
ゆえに、当たったのだ。
(不孝助、血の流れる腹を抑えながら小さく笑う)
賊頭:コウゾウ、どうした。なぜ微笑(わら)っておる。
不孝助:懐かしいのです。
柄の握りも、体の痛みも、何もかもが懐かしいのです。
(賊頭、深く頷く)
賊頭:うむ。
孤月一刀流が秘伝(こげついっとうりゅうがひでん)
川流れ(かわながれ)という。
不孝助:川流れ。
賊頭:川流れは必中の剣(ひっちゅうのけん)。
深く沈み波打つことで間合いを歪ませる捨て身の剣。
遣(つか)うに能(あた)う相手に遭(あ)えた。
礼を言うぞ、コウゾウ。
不孝助:御見事な一太刀でした。
賊頭:無影一刀流(むえいいっとうりゅう)には音無(おとなし)の剣があると聞く。
そこもとは、遣うのか。
不孝助:ともすれば。
賊頭:受けたし。
不孝助:弓馬どの。あなたは剣がお好きか。
賊頭:是非に及ばず。某は剣で在りたかった。
不孝助:剣に溺れたその先に、何があると言うよ。
(不孝助、切っ先を下げ、頭を下げるようにして前に歩み出す)
竹市:いけねえ、あれじゃ切られにいくようなもんだ。
(賊頭、腰を深く落とし、身構える)
竹市:フコウノスケさん、ダメだ!止まってくれ!
賊頭:……何だ。何が起きた。
(不孝助、念仏のように小声で独白)
不孝助:暗夜剣は無明(むみょう)の剣。
敵を必殺し、己の矜持(きょうじ)もまた、殺す。
賊頭:何をしたというのだ、コウゾウ!
不孝助:御免。
(不孝助、残された片腕に木剣を振り下ろす)
(賊頭、獣のような唸り声をあげ、刀を落とす)
竹市:ただ、切られた……守るも、避けるもなく。ありゃあ、何なんだ。
不孝助:これで剣は持てませぬ。仕舞いです。
賊頭:それがそこもとの秘伝か。
不孝助:はい。
賊頭:手も足も出なかった。
いい技を、授かったものだ。
不孝助:はい。
この身に余る、果報でございました。
賊頭:うむ。
某の負けだ。
この腕ではもう腹も切れぬ。
最後に、首を刎ねてくれぬか。
不孝助:お断りいたします。
人の生き死になど、私の手には余るものでございます。
賊頭:ふん。なんと残酷な男よ。
だが、そこもとの勝ちだ。差配に従おう。
不孝助:賊の塒(ねぐら)は何処(いずこ)に。
賊頭:あの獣道(けものみち)を上がり、突き当たりの枯れ木を左。
茂みの奥に大きな荒屋(あばらや)がある。
不孝助:承知。
竹市:その傷でどこへいくってんですか。
不孝助:ひとつ山狩(やまがり)に。
竹市:なあ、手当をしないと。あんた本当に死んじまうよ。
不孝助:頭(かしら)が負けたと知れば、子分らが自棄(やけ)を起こすかもしれません。
急がねばなりますまい。
竹市:だが、何もこの足で行くことはないだろう。
不孝助:お願いがあります。
彼岸にはこの見晴らしに、菊の花を供えて頂けませんか。
竹市:なあフコウノスケさん、縁起でもねえよ。
よしてくださいよ。戻って手当しましょう。
不孝助:弓馬どのの剣は腹に深く入りました。
この体が動くうちに、片付けておきます。
竹市:フコウノスケさん!
(不孝助、竹市の静止を払い、獣道へと消える)
竹市:なんでだよ。
命を助けていただきありがとうごぜえます、って昨日言ったじゃねえかよ。
賊頭:竹市よ。命の使い方を考えたことはあるか。
竹市:そんなものねえよ。人間なんてさ、生きてこそじゃねえか。
フコウノスケさんも、あんたも、死んじまったらお陀仏だ。
それじゃまるで、まるで馬鹿じゃねえかよ。
賊頭:馬鹿か。そうだな。馬鹿者ばかりだ。
竹市:……なんだよあんた、泣いてんのか。
賊頭:竹市、それがしの首を切ってくれぬか。
竹市:嫌だよ。あんた殺したところで、何にもなんねえ。
手と服が汚れるだけだ。
あんたらよ、どうして生きるってことをどうして考えられねえんだよ。
賊頭:かつては考えた。賊に身をやつす前に。
だがどうにも、自分が薄くなるように思えて、ならなかった。
竹市:なんだよそれ。
賊頭:剣を取ったものにしかわからぬかもしれぬ。
竹市:それなら、わかりたくもねえよ。
なあ。
俺はあんたを許せない。
だが、あんたを殺したいわけじゃない。
山を出て行けよ。もう二度と姿を見せるな。
賊頭:ああ。
竹市:じゃあな。
賊頭:竹市。
竹市:何だよ。
賊頭:賊は全部で十四人。
一丁前に腰になまくらを提げているが、お前の半分ほども肝が据わっておらぬ。
村の男どもを連れて加勢に行けば、間に合うやもしれぬぞ。
竹市:言われなくてもそうするよ、この馬鹿野郎!
(竹市、大急ぎで山を降りていく)
賊頭:善き死合いであった。
抜き身は納めてこそ刀(かたな)、か。
(賊頭、折れた両腕でどうにか刀を納刀する)
賊頭:師匠。
某には、ついぞ、わかりませんでした。
(賊頭、再び刀の鯉口を切り、露わにした刃の上に首から倒れ込み自刃する)
(断末魔一つ、舞台は幕)
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